サントリーニ島とエーゲ海クルーズ |
スケジュール |
出発: 2011年6月14日〜23日
月 日 | スケジュール | 宿泊ホテル |
6月14日 | 成田発20:50 EY871 | 機中 |
6月15日 | アブダビ着3:05 アブダビ発9:30 EY091 アテネ着13:25 アテネ空港 −> カランバカ(約380Km) カランバカ到着19:40 |
マリア カランバカ |
6月16日 | ホテル発8:30 メテオラへ (メガロ・メテオロン修道院、アギオス・ステファノス 修道院を観光) カンランバカで昼食 昼食後アテネへ 途中 セルモピーレス(古戦場)に立ち寄り アテネ市内のレストランで夕食後ホテルへ |
クラシカル インペリアル |
6月17日 | ホテル発 8:30 ー>アテネのピレウス港へ 11:00 ピレウス港出航 ミコノス島着18:00 島内観光 ミコノス島 23:00出航 |
カリプソ号 泊 |
6月18日 | クシャダス港(トルコ)着 7:00 市内観光 クシャダス港 11:30出航 パトモス島着 16:00 (黙示録教会、聖ヨハネ修道院観光) パトモス島 21:00出航 |
カリプソ号 泊 |
6月19日 | クレタ島着7:00 クノッソス宮殿観光 クレタ島 11:00出航 サントリーニ島着16:30(クルーズ船下船) ホテルへ |
サントリーニ パレス |
6月20日 | ホテル発 9:00 サントリーニ島観光(イア地区散策、ワイナリー、 フィラ地区散策) フィラ地区で昼食 昼食後フリー 夕食はフィラの「ZAFORA」レストランで夕日を眺めながら |
サントリーニ パレス |
6月21日 | ホテル発 9:00 サントリーニ空港へ サントリーニ発11:55 A3-355 アテネ着12:40 ゼウス神殿観光 市内レストランで昼食 シンタグマ広場、アクロポリスの丘(パルテノン神殿) 夕食は市内レストランで |
クラシカル インペリアル |
6月22日 | ホテル発 11:00 アテネ空港へ アテネ発14:25 EY-090 アブダビ着20:00 アブダビ発21:45 EY-878 |
機中 |
6月23日 | 成田着 12:15 |
帰国 |
1.アブダビからアテネへ |
午前3時過ぎ、定刻より1時間早く到着。 アブダビ空港での日の出
アブダビの待ち時間は6時間
ペルシャ湾
アテネ空港
アテネから約380Km(約6時間)、オリーブ畑が続く中をバスは走る。
入り組んだ海岸線も見える。
午後20時前にカランバカのホテルに到着
2.メテオラ観光 |
6月16日
メテオラ観光
カランバカ近郊にあるホテル。 ホテルからメテオラの一部が望める
メテオラ観光の拠点。ホテルは満室だった。
メテオラの修道院の配置図
メテオラの起源 |
メテオラ:
ギリシア北西部、セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群とその上に建設された
修道院共同体、いわゆるメテオラ修道院群の総称である。その地形及びギリシャ正教
の修道院文化の価値から世界遺産(文化・自然複合遺産)に指定されている。
その名はギリシャ語で「中空の」を意味する「メテオロス」が由来。
9世紀には既にこの奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。
この時代の修道士は現在のような修道院共同体を形成する事はなく、単独で修行する
隠修士が主流であった。
メテオラに修道院共同体が成立したのは、14世紀、セルビア王国がセサリア地方に勢力
を拡大してくる時代であるといわれる。それまで東ローマ帝国で修道院活動の中心を担っ
ていたアトラス山は1346ン年にはセルビア領の中に組み込まれた。
セルビア王ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンはアソスの修道院に多大な保護を与え
その活動を奨励したが、当時の戦乱を避けて多くの修道士がアソスを出て南下し、
メテオラに住み着いた。その一人が修道士アサナシオスで、彼はメテオラに主の変容
(メタモルフォシス)修道院を創立した。アサナシオスはアトスに於ける修道院共同体
の様式、いわゆるキノヴィオン(共住)を導入して修道院共同体の確立に努めた。
これらに前後して聖ニコラオス、聖ステファノスなどの修道院も創立されている。
メテオロン修道院 |
1387年に建立された同名の主聖堂がある。壁画は1483年から1552年間に作成されたもの
が今も残る。かつての食堂の建物が現在は博物館として公開されている
メテオラを代表する修道院で最も大きい。
バスの駐車場からメテオロンを背景 バスの駐車場から一旦下り、深い谷に架かった
橋を渡り、絶壁に造られた階段を登る
橋を渡る人、階段を登る人が見える
入り口から谷の架かる橋を渡る。すぐにトネンル トンネルを抜けた場所
階段が続く(115mの絶壁を登る)
絶壁の道 、背景にはヴァルラアム修道院が見える
礼拝堂内は撮影禁止 入り口の上部
入り口の台におかれた絵
オスマントルコなど様々な民族、国が支配した歴史 中庭
(支配者の絵が飾れている)
台所 ワイナリー
ヴァルラアム修道院
大メテオロンのすぐ隣に立つ修道院である。
14世紀に活動した隠修士ヴァルラアムの居所に、ヨアニナ出身のセオファニスと
ネクタリオス修道士兄弟によって現在の修道院が建てられた。
修道院内部にはフランゴス・カテラノスによるフレスコ画が残る。
ニコラオス修道院
通常聖ニコラオス修道院と略称される。
14世紀にラリサ府主教・スタギ(現カランバカ)・ニカノル修道院の
聖ディオニシオスにより創建。クレタ出身のセオファニスという画家
による壁画が残る。
ルサヌ修道院(女子修道院)
大メテオロン同様に救世主変容を記念した修道院であるが、
同時に聖女ヴァルヴァラにも捧げられている。現在の修道院は1545年の創立。
垂直に切り立った岩の上に三層建ての修道院の建物が建つ。
1950年以降、女子修道院となっている。
トリアダ修道院
至聖三者に捧げられた修道院。15世紀後半、ドメティオスによる創建。
ステファノス修道院 |
ルサヌ修道院同様に女子修道院。メテオラの中では修道士の活動が早くから見られた場所で、
1192年には隠修士イェレミアスがいた事が知られている。
修道院そのものは14世紀前半に存在していたが、1367年に共住の修道院として創建。
主聖堂には聖ハラランボス
教会内は撮影禁止。
クルーズ船の観光客で大混雑 カランバカの街
ステファノス修道院の全景
カンランバカで昼食 |
カランバカのレストランで昼食
2.セルモビーレス |
映画「300」で話題となった古戦場。
スパルタの戦士300名がペルシャの大軍と壮絶な戦いを演じた場所
メテオラからアテネに戻る途中にある
3. アテネで夕食 |
シンタグマ前広場はデモのため閉鎖されていた。
プラカ地区のタベルナで夕食。
めったにない夕立になった。
食事が終わるころには雨もやんだ
4. 3泊4日のエーゲ海クルーズ |
6月17日
アテネのクラシカル インペリアル ホテルを8時30分に出発。
アテネのピレウス港に向かう。
クルーズ船の乗客で港近くでバスは渋滞にはまった。
3泊4日のクルーズ船で最後の訪問地サントリーニ島で下船する。
このため船で2泊3日。
多数の大型クルーズ船が停泊している 出発ターミナルは混雑
出発ロビーへ 一人ずつ顔写真を撮られる(IDカード作成)
カリプソ号に乗船
出航は11時予定だが、セキュリティチェック、乗船確認など時間がかかる。
乗船してすぐに避難訓練があった。法定で定められているようで
全員参加。
乗船したカリプソ号は、アテネから3泊4日でエーゲ海を巡りアテネに
戻るクルーズ船。そのため船の構造は次のようになっている。
7デッキ : 屋上で日光浴などと小さいスポーツジムがある。
6デッキ : ここの船尾部分がわれわれが宿泊した船室。トイレ、シャワー付き。
5デッキ : 船室
4デッキ : ビュッヘスタイルのレストラン。16時からティーサービスもある
3デッキ : ロビーがあり、船から離れるなどの際にはここに集合した
2デッキ : 1品料理レストラン。サラダ、スープ、メイン、デザートを複数の
メニューから選んで食べれる。
午前11時過ぎ定刻より遅れてアテネ港を出航。
12時から2階の一品料理レストランで昼食 船尾は日光浴を楽しむ人もいる
午後4時からティータイム 4階のレストランでお茶とクッキー
ミコノス島が近づいてきた
ミコノス島 |
午後6時ミコノス島に到着。
クルーズ船は接岸できる港に入るため島の旧港までバスで移動。
ミコノス島は東西15Km,南北12Kmの島
古い港から街の中心部を望む
中央の風車まで全員で向かう 白が基調の街。道幅は狭い
風車に到着
風車はかって小麦を挽いていた。
「カト・ミリ」と呼ばれていた
次に海岸に並ぶ4台の風車に向かう 街並み
4台の風車に到着
白い町並み
午後8時35分日没
まずはギリシャ正教をシルエットに 港の防波堤と灯台を背にはぼぼ沈む
エーゲ海に中に太陽が沈んだ
21時までの帰船にやっと間に合う。
21時から2階の一品料理レストランで夕食
食事を終えてデッキで休息 ミコノス島の昇る満月とミコノス島の夜景
ミコノス島の出航は23時
5.クシャダスとパトモス島 |
6月18日
クシャダス(トルコ) |
トルコのクシャダス港に午前7時到着
船主会社主催のトルコのエフェソス観光ツアーは7時に出発。
クシャダスは大きな港でクルーズ船が4隻入港していた。
クルーズ船の乗客は、船のIDカードだけでパスポート 船から見えた砦へ散策した
チェックなしでトルコへ入国、出国できる。
港近くにバザールがありバザールも散策
クシャダス港を午前11時30分に出航した。
パトモス島 |
午後4時パトモス島に到着。
ここは本格的な港湾施設がないため「はしけ」で島に渡る
黙示録教会
1世紀キリストの弟子ヨハネがローマ皇帝から異端者として流された島。
聖ヨハネが神の啓示を受けて黙示録を洞窟で執筆した。そこが教会となっている。
彼が啓示を受けたとされる場所や神の声が下ったときに割れたとされる
岩などが残っている。
教会の入り口の門 教会
教会内は撮影禁止
教会のギリシャ正教の牧師 パトモス島に停泊するクルーズ船
聖ヨハネ修道院 |
1080年に、東ローマ帝国コムネノス王朝のアレクシオス1世は、正教会のクリストドゥーロスに
パトモス島を下賜した。これがきっかけとなり、1088年から丘の上に神学者聖ヨハネ修道院の
建造が行われた。
カトリコン(Katholikon, 身廊)、中央教会、資料館、聖マリア礼拝堂などからなる修道院で、
周辺を黒みがかった城壁に囲まれている。16世紀になると、創立者クリストドゥーロスの
聖遺物を納めたクリストドゥーロス礼拝堂も建てられた。
入り口 要塞の建物のため登っていく
教会の入り口
風車(修道院見学前は風車に帆が張られて 風車(修道院見学後、風車が回っていた)
いない)
パトモス島の中心街 喫茶店で休息
カリプソ号の6階の船室前 船室。左がシャワーとトイレ
パトモス島出航は21時
6.クレタ島 |
6月19日
カリプソ号はパトモス島からギリシャの最大の島クレタ島に向かう。
エーゲ海の日の出(午前6時10分)
クレタ島は東西250Kmの細長い島 午前7時、クルーズ船のオプショナル
面積は四国の半分程度 ツアは2台のバスに分乗してスタート
ギリシャ1のオリーブの産地
クレタ島では紀元前3000年〜紀元前1400年
までミノワ文明が栄えた。
クノッソス宮殿 |
ミノア文明の下で儀式や政治の中心であった場所
伝説の王ミノスの居城とされ、1900年以降アーサー・エバンズの指揮下
イギリスの調査隊により発掘された。建造は紀元前2000年頃、紀元前1700年
に地震により崩壊ただちに拡大再建された。紀元前1400」年、ギリシャ本土
からのアカイア人移住でミケーネの支配下におかれた。
南の門 南の門にあるフレスコ画(コピー)
西側の中央宮廷(公務の場所)3階建て 青の貴婦人
青の貴婦人(ミノアの3人の少女を描いている)
両脇の白い人が女性。真ん中は男性
王の間(公務の場所)
聖獣グリフィンが描かれている 玉座
中庭:南側が遺跡入り口。東側がプライベートな住居
北側には御客を迎える広場がある
当時の建物の想像図。
左側が北門と歓迎用広場
上部が西側で公務用の建物(3階建)
下側が東側で住居(王、女王、皇族・貴族など)
東側にある浴場 女王の間のイルカの絵
女王の間の隣にある王の間(住居)
北門 歓迎レセプションホール
右に北門が見える
遺跡巡りはたいへん暑いので
絞りたてのオレンジジュースで潤う
遺跡入り口にはジャカランタの花
クレタ島を午前11時に出航。サントリーニ島へ向かう
7.サントリーニ島 |
紀元前1628年の火山噴火と地震で中心部が陥没して火口周辺に
海水が入り三日月型のティラと周辺の島々となった。
6月19日 |
16時30分にサントリーニ島に到着
サントリーニ島の南端 島でもっとも高い場所。標高330m
島の上部に白く見えるのが家。
パレル・カメニ島とネア・カメニ島 フィラの街
16時30分到着後、下船者は最後のため
17時近くになる。船のIDカードのチェックを
受けて下船。 船は直接接岸できないのではしけで向かう
カリプソ号と下船口
旧港。フィラの街の中心部につながっている。
ケーブルカー(4ユーロ、2分)待ち時間あり
ロバ(5ユーロ、20分)多少負傷する危険あり
徒歩(階段588段、20〜30分) このように階段をロバに乗って登る
新港。バス、乗用車も入れる。
バスでフィラ近郊のホテルへ移動 フィラの中心にはこのような道を歩いて
10分強。
ギリシャ正教の教会 旧港をフィラの上部から見た。
5〜6台つながったケーブルカーも上がっている
フィラの街
午後8時35分サントリーニ島の夕日
6月20日 |
ホテルを9時に出発して北端のイアの街へ向かう
の道中目にしたのがブドウ畑です。地面を這うように
植えられています。このブドウがワインとなりサントリーニ島
を有名にしたそうです
イアの街散策
島全体にガスが立ち込めて幻想的でした
めったにない現象だそうです
大型のクルーズ船が到着して街は大混雑です
イアの港です
ワイナリー訪問
ワイナリーのゲート 新港のちょうど真上でした
ワインの試飲
フィラの街散策
フィラの街のレストランで昼食
海綿が特産物だそうです ギリシャ正教の牧師さん
ギリシャ正教の教会 教会内部
教会の外観
1日の仕事を終えたロバが帰宅 フィラの町中
またロバが帰宅
フィラの街で夕日を眺めて夕食
フィラの夕日が眺められるレストラン
「ZAFORA」で夕食
夕日に染まるフィラの街 午後8時30分過ぎて太陽が沈みかける
午後8時35分日没
テーブルにローソクが灯される 街の灯が灯されたファラ
とっぷり暮れた道を10分ほど歩いてホテルへ
背景はフィラの街
6月21日 |
ホテルからイアの方向へ朝の散歩
崖に沿って下へ下へ建物が伸びる
ホテルを10時に出発しサントリーニ空港へ向かう
サントリーニ空港出発ターミナル 午前11時55分出発の飛行機に乗り込む
サントリーニ空港ターミナル
アテネまでは45分のフライト。サトリーニ空港を離陸
8.アテネ市内観光 |
ゼウス神殿 |
紀元前515年に工事開始、2度の中断後、紀元125年ローマ皇帝
ハドリアヌスの時代に完成
当初は104本の柱があったが、現在残っているのは15本。
上部にはアカンサスの葉をモチーフにした模様がほどこされている。
これをコリント様式という。
ゼウス神殿から見たアクロポリス
シンタグマ広場とその周辺 |
国会議事堂前にあるシンタグマ広場
ギリシャの経済危機でEUなどからギリシャは
経済改革を迫られている。これを断行すると
困る人たちがデモを行っている。
毎日19時から開始する テントを張って泊まり込みでデモを行っている
シンタグマ広場近くのタベルナで昼食
正面に見えるのは国会議事堂。
アテネの一番の繁華街。エルム通り。横浜の大倉山にもエルム通りがあり姉妹都市。
カプニカ教会(ビザンチン教会)11世紀に建てられたもので
通りを塞ぐようにある。
あまりに暑いのでエルム通りのホテルの喫茶室
でアイスクリームとカプチノでのどを潤す。
アクロポリスの丘とパルテノン神殿 |
アクロポリスの丘に登る。地面は大理石のためすべりやすい。
ヘロデス・アディクス音楽堂
5000人収容可能。
前門
左はアテナ・ニケ神殿 パルテノン神殿
ペルシャ戦争の勝利に感謝して 紀元前433年完成
紀元前427年建設
エレクティオン神殿
(6体の少女の像が支えている)
左側の高い丘はリカベトスの丘 真ん中の芝地に建っている柱がゼウス神殿
その左にはハドリアヌスの門
プラカ地区で夕食 |
19世紀の古い町並みが保存されている
夕食のレストラン入り口 屋上で食事
今回のツアー18名全員。2組の新婚旅行者も参加していた
午後9時過ぎ街の明かり点灯してきた
9.アテネから帰国へ |
アテネのインペリアルクラシカル ホテル
ホテルの玄関。午前11時の出発待ち
アテネの国際空港
経由地のアブダビの第2ターミナル