スケジュール |
出発: 2009年6月15日〜23日
月 日 | スケジュール | ホテル名 |
6月15日 | 成田発 9:35(LH711) フランクフルト 着 14:15 フラクフルト発 16:45 LH3634 グラーツ着18:10 グラーツ (バス)212Km 3時間45分 ブレッド ブレッド泊 |
ゴルフホテルブレッド |
6月16日 | ホテル発10:00 ブレッド湖観光(ブレッド島) 昼食後 ポストイナへ101km 2時間 ポストイナ鍾乳洞観光 オパテイアへ 56Km 2時間 オパティア泊 |
ブリストル |
6月17日 | ホテル発 8:00 バス 224Km 4時間30分 ザダール ザダル観光後 トロギールへ 125Km 2時間 トロギール観光後 スプリットへ30Km 30分 スプリット泊 |
ル メリディアン |
6月18日 | ホテル発 9:00 スプリット観光 午後 ドブロヴニクへ 204Km 3時間30分 途中ボスニアヘルツェゴビナ のネウムを通過(トイレ休憩) 【希望者】夜のドブロヴニクの散策 ドブロヴニク泊 |
グランドビラ アルジェンティーナ |
6月19日 | ホテル発 8:30 ドブロヴニク 観光 午後 コトル(モテネグロ)へ 88Km 2時間15分 コトル観光 コトルからドブロヴニクへ 88Km 2時間15分 ドブロヴニク泊 |
グランドビラ アルジェンティーナ |
6月20日 | ホテル発 8:15 モスタルへ 135Km 2時間30分 モスタル観光 モスタルからプリトヴィッツェへ 335Km 5時間45分 プリトヴィッツェ泊 |
ベルビュー |
6月21日 | ホテル発 8:00 プリトヴィッツェ湖群観光 ザグレブへ 140km 2時間30分 ザグレブ市内観光 ザグレブ泊 |
シェラトン |
6月22日 | ホテル発 4:30 グラーツへ 178Km 3時間50分 グラーツ発 10:35 LH3631 フランクフルト着 12:05 フランクフルト発 13:55 LH710(出発が1時間遅れの14:55)) |
機中泊 |
6月23日 | 成田着 7:50(到着も1時間遅れの8:50) | 帰国 |
訪問した場所
アドリ海を挟んで、左はイタリア半島。南はギリシャ
1. 成田からグラーツ |
成田で出発待ち
フランクフルト空港でグラーツ行きを待つ。外は雨で気温は15度以下。寒かった
オーストリアのグラーツの空港
グラーツからブレッド湖へは212Km、バスで3時間45分。
グラーツはオーストリアのためスロヴェニアのブレッド湖へ
行くには、国境を通過する。
ただし、スロヴェニアは【EU】に加盟しているため、バス、乗用車
などの国境通過はフリーパス。トラック等の貨物は関税の問題があり
税関審査が必要
2. ブレッド湖 |
スロヴェニア。人口約201万人。面積は四国と
ほぼ同じ
通貨はユーロ。
ブレッド湖は、ヨーロッパアルプスの東の端、ユリアンアルプスの最高峰
トリグラフを背景に持つ。
ブレッド島の聖母被昇天教会 ブレッド城:湖面から100mの断崖に立つ
湖畔にある聖マルティヌス教会 ホテルから朝に散歩で湖畔へ
宿泊したホテル。湖畔の高台にある。湖畔までは7〜8分。
元ユーゴのチトー大統領の元別荘。現在はホテル。 ホテルの下から手漕ぎボートで島へ
ブレッド島:ボートを降りると99段の階段 聖母被昇天教会の鐘楼
教会の前は広場になっている。 この教会起源は8〜9世紀にさかのぼる
現在は17世紀に造られたバロック様式
鐘を鳴らすと願いがかなうといわれている。 鐘につながる紐を引く
島の周りを歩くと魚が見える
帰りもまた手漕ぎボート帰る ブレッドの町には観光学校もある
ブレッド城の城門に向かう。登り坂 城門前。別のツアー客が食事を終えて出てくる
ブレッドの町はずれのレストランで昼食
3. ポストイナ鍾乳洞 |
ブレッド湖から101Km2時間でポストイナ鍾乳洞に到着
ヨーロッパ最大の大きさを誇る鍾乳洞。
はじめて調査隊が入ったのは1818年。
トロッロ電車が鍾乳洞内を走ることで世界遺産に登録
できなかった
トロッコ電車に2km乗り、徒歩で1.1K観光。帰りも電車。
バスの駐車場からトストイナの鍾乳洞
ポストイナ鍾乳洞の入口。トロッコの発車に合せて入場 トロッコで2Km走る
洞窟内。内部は年中8℃。 英語、ドイツ語等言語に分かれてガイドが案内する
トロッコを降りて1.1Km程度を歩いて観光する
コンサートホール
恐竜の化石も展示。 帰りもトロッコ電車。
これはインディジョンズのロケにも利用
トロッコでこのような鍾乳石の間を縫うように走る
4. オパティア |
ポストイナから56Km2時間。
スロヴェニアとクロアチアの国境を越えて
クロアチアに入った。
クロアチア
人口444万人。九州の1.5倍の面積。通貨はKn(クーナ)1kn=約20円
ドブロヴニクなどの有名な観光地ではユーロも流通している。
アドリア海の最奥部に位置する。
イタリアから海岸沿いを陸路でやってこれる
オーストリア・ハンガリー帝国時代から王侯貴族
が訪れていた。クロアチアでも屈指の高級リゾート地
左先の方向がイタリアのベネチアへ通じる 夕食後21時頃
ブリストルホテル。チトー通りに面している。外観の黄色はマリアテレジアが好んだ色
6月17日 オパティアでの朝の散歩 |
海岸沿いの散歩道
高級リゾート メインストリートのチトー通り
高級ブティク、ホテルが並ぶ
5 サダール |
オパティアから224Km 4時間30分でサダールに到着
途中アドリア海沿いにバスは走る
サダールは、ダルマチア地方の中心で栄えた港湾都市
町の起源は紀元前9世紀リブニア人の集落までさかのぼる
ローマ帝国の支配をへて中世にはベネチア共和国と争う
ほどの勢い。第4次十字軍に攻撃されベネチア共和国の
支配下に置かれる。
バカの町(アドリア海の小さな湾の町)
サダールの旧市街の地図
3ほぼ四方がアドリア海に囲まれている。
陸地とは2本の道路で結ばれている
バスの駐車場は城壁の外 城壁の門をくぐり旧市街に入る
旧市街の街中を抜けて昼食レストランへ
昼食レストランへ
9世紀に建てられた聖ドナント教会 プレロマネスク様式の円形教会
円形教会の内部、石材はローマ遺跡を壊して利用した
聖マリア教会。戦争時にドア、窓をふさぎ貴重な絵画などの流失を防いだ
ベネディクト派の女子修道院
ローマ時代のフォーラム、ジュピター、ジュ、ミネルバの3柱と神殿跡
石柱は恥の柱といわれ軽犯罪の公開処刑に使われた
シーオルガン 防波堤に空気穴があり、波で音を発する
フランシスコ修道院1823年構築 ダルマシア地方ではもっとも古い
第2次世界大戦で壊れなかった家。 セルビア正教の教会
聖ストシャ大聖堂 12世紀に構築
6. トロギール |
サダールからアドリア海に沿って125Km 2時間でトロギール
シベニクの旧市街(世界遺産)
トロギールは、回りを城壁に囲まれた小さな島
町の起源はギリシャ時代までさかのぼる。
1997年世界遺産に登録
トロギールの地図
北門
南の門
トロギールの旧市街への入口 旧市街の北門(門の上には聖イヴァンの像)
この像は外敵を防ぐ目的
門は夜には閉められだれの入ることができなかった
サンドミンゴ教会の鐘楼
プライベートヨット。(金持ちは船でくる) ドライバーのサバンさん。2000Kmを一人で運転
カメルレンゴの砦 城壁
南の門、昔は船が南の門に直接接岸。門の隣の
建物は閉門後、旧市街に入れない人が一夜を過ごした
旧市街の通路 現在も旧市街で生活している証拠
聖ロヴロ大聖堂、鐘楼は78m
ロッジア
裁判、集会、税関の仕事に利用 壁画はフィレンツェ出身のニコラスが作成
7. スプリット |
アドリア海沿岸最大の港街。ローマ皇帝
ディオクレティアヌス(245?〜316?)の宮殿が
そのまま旧市街になったという珍しい起源の町
スプリットの南側(海を埋め立てた場所) 建築時のスプリットの旧市街について
説明ずる坂井様(添乗員)
南門から旧市街に入る
ディオクレティアヌス帝の宮殿
黒い部分がスプリット(天然の良港)
ディオクレティアヌス帝の宮殿の地下
ローマの建築技法のアーチ形式の屋根 この木は、左の写真のくぼみにさして
天井の梁として使用したもの
天井がドーム型 ディオクレティアヌス帝の胸像
当時流通していたコインに刻まれたものから復元
音楽の間で歌う青年達
エジプトから持ってきたスフィンクス 大聖堂前の広場
ジュピター神殿
西の門 西の門を出とナロドニ広場
北の門の外のはグルーグ・ニンスキの像 左足に触れると幸運が訪れる
大聖堂の鐘楼
鐘楼の最上階(有料で10Kn) 南にアドリア海
右が東門、上の木々があるのが北門
グルグール・ニンスキ像は木々部分にある
アドリア海 大聖堂前の広場
暑いときにはアイスクリーム 昼食レストラン。左上の写真で右上の海岸沿い
8. スプリットからドブロヴニクへ |
スプリット(クロアチア)からドブロヴニク
(クロアチア)へは204Km 3時間30分
アドリア海沿いにバスは走るが、
途中ボスニアヘルツェゴビナを通過しないと
ドブロヴニクには行けない。これもユーゴの
内戦の結果
上記の内容は下記の地図で明白
アドリア海はたいへん美しい
イタリア等からの観光客が宿泊する家々が海岸に並ぶ 糸杉は巡礼者への接待の意志表示
途中の景色の美しい場所(将来の観光地)
ネレトバ川河口の大干拓地
ネイム(ボスニアヘルツェゴビナ)のスーパーマッケット。トイレ休憩に立ち寄る
9. ドブロヴニク |
ドブロヴニクへ入るための大橋 夕食レストラン
入り江はグルージュ港
「アドリア海の真珠」と称えられている
ドブロヴニク。
1667年の大地震と1991年のユーゴの攻撃
により壊滅的打撃を受けたが復興をはたし
世界遺産に登録された
ドブロヴニクの旧市街の地図
夜のドブロヴニク |
プラツァ通り(薄暮21時過ぎ) 空の青さが増した
日没直後のスカイブルー
聖イグナチオ教会(バロック様式)
大聖堂(ライトアップされている) ルジャ広場
聖ウラホ教会
昼のドブロヴニク |
朝日に照らされるドブロヴニク旧市街(ホテルから)
ユーゴ連邦軍に爆撃された地点(黒い点)火災発性場所
観光資源の場所を集中的に破壊された
ピレ門から海に突き出た「ポカール要塞」 ピレ門(正門)
跳ね橋構造となっている
プラツァ通り(メイン通り)東西方向に200m
聖ウラホ教会
ドブロヴニクの守護聖人
大聖堂
旧港(昔の貿易の拠点)検疫所もある
城壁めぐり(全長1940m) 半周した
ミンチェタ要塞(最も高い。25m)
ドブロヴニクとアドリア海
プラツァ通り
10. コトル |
ドブロヴニクから南に88Km 2時間15分
モンテネグロのコトルへ向かう。
モンテネグロ
人口62万人、通貨はユーロ、EUには加盟
していない。2006年6月独立。
コトル
コトルが最初に言及されるのは期限前168年
古代ローマ時代はローマの属国。
810年にサラセン人の略奪にあう。
1002年第一次ブルガリア帝国の占領下に
後にセルビアに割譲。
2006年6月独立。
コトルの地図。3角形の地形で2方がコトル湾
背後高い岩山に囲まれている
西側の堀。アドリア海の海水に満ちている 海側の門
海側の門を入った場所の広場
市庁舎
時計台:17世紀の構築 公開処刑の台座(ムチ打ち刑等)
金持ちの家:ピーバン家 街一番の大金持ち:ブッチャー家
聖トリフォン大聖堂 1979年の大地震で崩壊したものを復元
まだ観光客は少ない
聖マルコの象徴:羽の生えたライオン 山の上の砦に続く道
セルビア正教の教会 聖ルカ教会
聖ルカ教会広場
泉:カルスト地形のため地下水が出やすい 泉に通じる門
3つの門のうちの1つ
山の頂に延びる城壁 コトル湾(アドリア海)南側
コトルからドブロヴニクへ88Km 2時間15分かけ戻る
11.モスタル |
オスマントルコ領であった15世紀に町がつくられ
1878年オーストリア・ハンガリー領となり第一次
世界大戦後ユーゴスラビア王国となった。
第二次世界大戦でユーゴ連邦となり、1992年
ボスニアヘルツェゴビナ独立宣言を行うとユーゴ
連邦に攻撃された。1994年に停戦。1995年から
町の復興が開始された。
マスタルは、ドブロヴニクから135Km 2時間30分
ドブロヴニクのグルージュ港。大型客船が停泊。まるでマンションが
出現したような感じ。
モスタルは、ドブロヴニクから135Km 2時間30分
フランシスコ教会の鐘楼(高さ107m) 教会の隣は図書館
1995年から復興が開始されたが町の家々には銃弾の跡
屋根も吹き飛ばされた家。 旧市街
旧市街 スタリ・モスト(石橋)
ネレトバ川に架かる
1992年当時の破壊される前の橋 1993年爆撃で破壊された橋
橋のたもとに置かれた石「1993年の爆撃を忘れるな」と表示
川面から21m。橋からダイビングする人
銃弾のペン、フセインの写真、兵隊の帽子が売られている
お店は色で表示。赤は肉屋。黄色は雑貨屋 コーヒー。
12.プリトヴィッツェ |
クロアチアのプリトヴィッツェは、モスタルから335Km 5時間45分
プリトヴィッツェの公園入り口の3軒 公園への入場受付
のホテルの内の1つ
公園の受付からST3までエコバスでいく
P2からP3まで湖を船で渡る
P3の船着場
前日の雨で水位が上昇している 大滝の前
(落差78m、ヴェリキ・スラップ)
ブリトヴィッツェ川(左)とコラナ川(右の滝)が合流してコラナ川
として下流に流れる
13.ザグレブ |
プリトヴィッツェから140Km 2時間30分でザグレブへ
ザグレブは、クロアチアの首都
オペラハウス 聖母被昇天大聖堂
13世紀から18世紀にかけて構築
塔の高さは100m
聖母被昇天大聖堂のステンドグラス
オスマントルコから守るために作った塔と建物
女子修道院
旧市街地にある井戸 旧市街地
聖マルコ教会 クロアチア国会議事堂
聖マルコ教会の屋根には
左にクロアチア王国
右にザグレブ市の紋章
昔の服装を身につけている 南門の見張り
ロトルシュチャク砦
ロトルシュチャク砦からの眺め 聖カテリーナ教会
大聖堂を背景に 石の門
ゴルニィ・グラーツは中世自由王国であった。
城壁で囲まれた王国の数少ない出入口
イェラチッチ広場(ザグレブ市内の中心) イェラチッチの騎馬像
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クロアチア・スロヴェニア・モテネグロ ボスニアヘルツェゴビナの旅 |