ルーマニア・ブルガリアの旅

   

             ブルガリアのバラ祭り


                              
                     
                                       
 
スケジュール


 出発: 2012年5月30日〜6月1日

 

月  日 スケジュール 宿泊ホテル
5月30日 成田発11:55 AF275   パリ着 17:15着  
パリ発18:55 AF1088   ブカレスト着22:45    
アンジェロ
エアポート
5月31日 ホテル発8:45 ー> 国立農村博物館 −> 凱旋門ー>革命広場
ー>国民の館  −>昼食 −>約125Km(2時間30分) シナイア
ペレシュ城  −>約46Km(1時間) ブラショフ 
アロ パレス
6月1日 ホテル発9:00 −>約30Km(45分) ブラン城  昼食 
ブラン城 ー>約30Km(45分) ブラショフ  聖ニコラエ教会 スケイ門
白の塔 トゥンバ山(ロープウェーで登る) 黒の教会
アロ パレ
6月2日 ホテル発8:30 −>約250Km(5時間) 途中ブカレスト市内 昼食 
 【ルーマニアからブルガリアへ国境を越える】 ルセ  バスをチェンジ

 ルセ ー>約110Km ベリコ・タルノボ
 ツァレベッツの丘 、旧市街観光
イナターホテル
6月3日 ホテル発7:45 ー>約100Km(2時間)カザンラク 香水工場
 
バラ祭り見物  昼食 トラキア人の墓のレプリカ
カザンラク −> 約100Km(2時間) プロブディフ 
 ローマ円形劇場観光

ノボテル
6月4日 ホテル発8:30  プロブディフの旧市街、民族博物館  −>約160Km(2時間30分)
 ソフィア  昼食  −>ホテル - - >徒歩 市内観光 聖ペトカ地下教会
 聖ゲオルギ教会  アレキサンドル・ネフスキー寺院  - -> ホテル

シェラトン
6月5日 ホテル発8:10 −>約30Km(45分) ボヤナ  ボヤナ教会 −>約90Km(2時間)
 リラ 昼食 −> リラの僧院   −>約85Km(2時間30分)
シェラトン
6月6日 ホテル発5:00  ー>ソフィア空港  ソフィア発6:55 AF1587 パリ着 8:50
 パリ発13:30  AF276
機中泊
6月7日 成田着8:00 帰国



 
    
ルーマニアの観光地(首都はブカレスト)           

      


   ブルガリの観光地(首都はソフィア)
     
       


1. 成田からパリ経由ブカレストへ


 5月30日

  (1)成田を定刻の11:55に出発

    エアバスA380(総2階の飛行機)
    
     
 

 (2)パリの空港に駐機していた「コンコルド」(営業運航はしていない)
   
   

 (3)ルーマニの首都ブカレスト

   ブカレストは人口約194万。

   夜景                                 空港ターミナル
         

    空港ロビー                           空港駐車場
          

    空港近くのホテル
    


 

2.ブカレスト観光


 5月31日
 
 
■ルーマニアについて 
   
ルーマニア(Romania)は「ローマ人の国」を意味する。その国名からわかるように、バルカン半島における
  
ラテン人が形成した国である。だが、周辺のスラブ人と同様に正教会をはじめとするビザンティン文化を
  受け入れたことや、オスマン帝国、ハプスブルグ帝国の影響下に置かれ、長らく独自の民族国家が樹立
  できなかったのもルーマニアの歴史の一つの側面と言える。
   第二次大戦後は、ソ連の影響下で1947年に共産党国家が樹立した。
  この共産党国家が1989年におこったルーマニア革命まで続く。共産党国家の独裁大統領として
  ニコラエ・チャウシェスクが登場し、1989年に共産党本部のテラスから最後の演説を行い、そこから
  ヘリコプターで逃走したが捕まり処刑された。これがルーマニア革命。


 (1)ルーマニアの人口
    2149万人
 (2)首都はブカレスト
   ブカレストの人口は194万人
 

 (3)ホテルを8時45分に出発し、市内観光に出かける
   
   (a)凱旋門
      第一次世界大戦の勝利を記念して1919年に建てられた
       
  

(b) 国立農村博物館


 ルーマニア各地の農村から農家、教会、水車など297棟が集められた野外博物館
 
     入口
     


    ル−マニア北部の住宅                     中部地方の住宅
     屋根も木造。雪が多く降るので屋根の傾斜が急     湿気が多いの高床式になっている

             


    
      


    木造の教会                      クロス十字の十字架の教会
             


        


 (c)旧共産党本部
    革命広場にそびえる。
   1989年12月22日故チャウシェスク大統領が              テラスは下の写真
   テラスから大衆を前に最後の演説を行った              (左の写真の中央を拡大)
   
        
 


 (d) 大学図書館
    1989年の民主革命の銃撃戦の舞台。治安部隊が大学図書館に立てこもった。

   

 (e)美術館
   旧王宮は現在美術館として利用されている
       

 

(f) 国民の館


 ■故チャウシェスク大統領が日本円で1500億円を投じて造らせた巨大な宮殿
  アメリカのペンタゴン(国防省)につぐ世界2の規模。部屋数は3107.
  故チャウシェスク大統領はここに住む予定であったが、ルーマニア革命で
  殺害されたため一度も住まなかった。
   この館建設のため多数のルーマニア国民が駆り出され、生還する人はほとんど
  いなかったそうです。

 ■国民の館の入場
   パスポートを預けて、預かり証を首にかけて館内を巡る。
   カメラ、ビデオ撮影料が高い。

 

   国民の館の全体
   

   観光客用入口
   

  国会議員の会議室                       会議室のシャンデリアは5トン
        

   ここは地下です。(地下4階、地上10階建)
       

   長さ150mの廊下                       メインの入り口(国会議員などが入る)
       


  国際会議室
       


       


  5200人収容の会議室。天井までの高さは19m。 


             


  2階のテラス
       

  正面の道路が統一道路
   

 (g) 5月31日の昼食
   ブカレスト市内の公園内レストランで昼食

  

3. ペレシュ城



  午後はブカレストから約125Km(2時間30分)のシナイアにある
  ペレシュ城へ向かう
  
    まず大平原をバスは走る
    

    シナイアに近づくと山間部となり、その住宅も独特の形に変わる
         


    


    シナイアの中心部。ここはスキーリゾート地でブカレストからもたくさんの人が来る
    


 ■ ペレシュ城は、1875年カロル1世がルーマニア王室の夏の離宮として
    8年の歳月をかけて造られた。
     ペレシュ城はルネッサンス、バロック、ロココの各様式を取り入れた
    ドイツ・ルネッサンス様式でたてられた。
     ここは、カメラ撮影代800円、ビデオ撮影代1300円が必要。
    ホテル、レストランのビール、グラスワインがだいたい300円前後なので
    撮影代がいかに高いかということ。
 ■ 本日は、ブルガリアのバラ祭りに合わせたツアーが多いのか日本人の
   ツアーが多数いた。


    ペレシュ城へ向かう道                        ペレシュ城
    
       


    壁には絵が描かれている
          


    城内は説明員について回る(入口)               ホール。この天井は開くそうです   
          


    ホール
           


    鎧。馬のものも合わせて100Kgはあった
           

    当時の戦いの様子
    


    暖炉                                 カロル1世
          


    王妃
       

    戦いの様子のステンドグラス
        


   音楽の部屋。王妃が音楽を好んだ              ステンドグラスも音楽に近い
         

    王妃の音楽の部屋のステンドグラス
    

    トルコ仕様の部屋。喫煙所                  王の食堂
        


   イスラム仕様の部屋
   


   城の前の庭
   

 

■ペレシュ城を観光後、約46Km(1時間)で、ブラショフへ向かう
 ブラショフのホテルは「アロ パレス」(中心部にある)

 
   玄関                                ロビー       
        


   
 

    

4.ブラン城 



 6月1日

 ホテルを9時に出発。
  約30Km(45分)の距離

 
■ブラン城
  
吸血鬼ドラキュラの居城のモデルとなった城。
  ブラン城
はブチェジ山麓のブラン村の山上にそびえ建つ典型的な
  中世の城砦。
   この城は1377年、ドイツ商人がワラキア平原からブラショフに
  入ってくるオスマントルコ軍をいち早く発見するために築いた。
   14世紀末ワラキア公ウラド1世がここを居城とした。
  ドラキュラのモデルとなったのは、ウラド・ツェペシュでウラド1世
  の孫。オスマントルコ軍の兵士を串刺しにして殺した(見せしめの
  ため)ので串刺し公といわれている。
  

   ブラン城の入場の受付                    山道を登る
       

   山上の城砦                           ここが城への入口
        

   ルーマニア国王フェルディナド1世の王妃「マリア」      国王フェルディナンド1世
   王妃マリアはイギリス皇室から嫁いできた
         

  居間                                 お客の歓迎はまずパンをちぎっものと塩でもてなす
                                       これがルーマニアの歓迎方式
         

  秘密の階段(3階から1階に通じる)              コンサートホール
        

  お城の内庭                            バルコニー
        

   ブラン村
              


           

   ウラド・ツェペシュ(串刺し公)
   ドラキュラのモデル
        

  ブラン城の受付前の土産物屋
  6月1日はルーマニアの子供の日で子供の訪問で混雑していた
   

   背景はブラン城
    

 ブラン城近くのレストランで昼食
  

 昼食後、ブラン城からブラショフへ帰り(約30Km45分)
 ブラショフの市内観光

    

5.ブラショフ観光 


 ■ ブラショフは、人口28万人の街。
   町は、12世紀にドイツの商人が建設し、発展してきた。
   このためルーマニア人は、街の中心から離れたスケイ地区
   に移住させられそこに住んだ。


      ドイツ人の住居。高い門と家で閉ざされ中が見えない構造 
     
       
     ルーマニア人の住居。塀は隙間のある板で高さも低く中がよく見える
    

 

(1)白い塔


   ブラショフの街の中心部がよく見える場所


       

  

(2)聖ニコラエ教会


 ■ 街の中心から徒歩15分ほど離れたスケイ地区(ルーマニア人地区)
   に建つルーマニア正教の教会。
   教会は14世紀の建設時は小さな木造建築だったが、後に増改築され
   現在の形になった。

  教会へ向う。天候が変わりやすく急な雨。
        

 教会。内部は撮影禁止                      ルーマニア語ではじめて教育が行われた
 共産党時代は宗教が否定されたため、 その時代      ルーマニア最古の学校
 に育った世代は教会へ行くことが少なくどのこの
 教会も困窮しているとのこと
        


 

(3)スケイ門


 街の中心のドイツ民族とルーマニア人を分けた門。
 ルーマニア人は特別な許可がないとこの門から街へ入れなかった。

          


(4)トゥンパ山


 ■街の南東にそびえる標高865mの山。ロープェイで登る。

   中央の黄色いビルがホテル。                     白い塔も上部も見える
   左下の広場がスファトゥルイ広場                   右上の広場の横に黒の教会
            


   黒の教会の全体                            中央の塔は聖ニコラエ教会
             

   展望台。ロープウェーを降りて山道を少し歩いたビューポイントの展望台
        


 

(5)スファトゥルイ広場


  街の中心のスファトゥルイ広場。6月1日はルーマニアの子供の日のためイベントが行なわれていた。
        

  16世紀から続くレストラン。ここで夕食。          広場のすぐ隣が黒の教会
        


 

(6)黒の教会


 ■街の中心にそびえ建つ高さ65mの後期ゴシック教会。
  14世紀後半から15世紀初頭に80年かけて建築された。
  1689年ハプスブルグ軍の攻撃にあい外壁が黒こげになった
  ことからこの名前がある。
   現在、修復作業中で中に入れない。

          


  (7)レプブリチ通り
   スファトゥルイ広場から伸びている繁華街。レストランやお店が並ぶ
 


(8)夕食の「Casa」レストラン
  広場に面した16世紀からのレストラン

   レストラン入口                        内部
          


    ルーマニアの歓迎のパンの切れと塩             地下のワイン蔵を見学
          


    ルーマニア民族舞踊
    ワインも食事についている。(赤と白の両方)
             



            

    食事も終わった夜10時前に広場
    

   レストランとトゥンパ山に光るブラショフの文字

       


 

6.ブラショフからルセ、ベリコ・タルノボへ


 
6月2日


 ホテル発8:30. ブラショフからまず一路ブカレストを経由してルーマニアと
 ブルガリアの国境の街ルセまで約250Km(5時間の旅)

    ホテルを8:30に出発。長いバスの旅              途中ルーマニアの列車と遭遇
           

    畑に花が咲いている                        高速道路を馬車が行く
            

    ブカレストに到着。凱旋門                     クレツレスク教会
                                     18世紀の建築。典型的なルーマニア正教の教会
           

   昼食レストラン。国民の館のすぐ近く。              レストラン入口
          

     国境の橋(有料)の料金所
     

     ルーマニアとブルガリアの国境を橋を渡る        ドナウ川が国境
            

 

 ここからブルガリア



    ここが橋の上の国境                      ブルガリアに入った
                                       税関はブルガリア側に入ったルセにある
           

   ■
ルーマニアのバスと運転手、現地ガイドは「ルセ」のホテルまで。
    ここでブルガリアのバスと運転手、ガイドに変わる。


    ルセから約110Km(2時間)のベリコ・タルノボへ向け出発

     ブルガリアの街並み
           


     


 

7.ベリコ・タルノボ


 
■ベリコ・タルノボは1187年〜1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた。
  イヴァン・アッセン王治世の最盛期はビザンツ帝国をも圧倒し、バルカン半島のほぼ
  全域を支配した。
   しかし、やがて帝国も衰退し、ビザンツ帝国に屈服、
1398年にはオスマン朝との戦い
  に敗れ500年にわたるトルコ支配となる。
   1879年トルコから独立し新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれた。

 ツァレベッツの丘。
 第二次ブルガリア帝国時代の宮殿。                  木の橋。橋が上に開く。
 オスマン朝の猛攻でがれきの山となった
           

   ツァレベッツの丘の入り口
    

   旧道への入り口                            古いブルガリアの民家の作り
                                         石の壁に高い木の入り口
            

   石畳の道。大変な人                         上の階ほどせり出している家屋
           

    銅製品の店                             焼き物の店
           

    ここは日本人も多い                       木製品の店
           


    

    たいへんな人です
            

     午後6時を越えると突然人がいなくなった
             

           
  6月2日の宿泊したインターホテル。
  明日、カザンラクのバラ祭りのため日本人ツアーだけで13組宿泊。
  ホテルは満室状態。
   


 
■6月2日のベリコ・タルノボでの夕食

    ホテルから徒歩で10分程度のレストラン。
    帰り道。ホタルが見られた。
         


8.ベリコ・タルノボからカザンラクへ


 
 6月3日

 
 ホテル発7:45(カザンラクのバラ祭りの混雑で相当早い出発)
   
カザンラクまでは山越えで約100Km(2時間)。
 

(1)シプカ峠


 ■1877年〜78年のロシア・オスマントルコの激戦地
   当時ブルガリアはオスマントルコに占領されていたが、ロシアとブルガリアの
   連合軍がこの地で激戦の末オスマントルコを破りブルガリアがついにオスマン
   トルコの支配から脱することができた。 


  高さ32mの巨大な自由の碑。それを拡大したのが右の写真

           

     シプカ峠の休憩所
      

      シプカ峠を下るとカザンラク。山に囲まれた盆地
          

      バラの畑でバラ摘みをする人                  馬車で移動している
             


     カザンラクの香水工場
     


9.カザンラクのバラ祭り



                       

 6月3日(6月の第一日曜日)がカザンラクのバラ祭り

  日本人のツアーは、このバラ祭りに合わせたものが多い
  町の中は交通規制で、遠くでバスを降りて徒歩で中心部に向かう


   道路の両脇には出店もあり御祭モード             文化大学の門前。この人たちもパレードに参加?
          

  いろんなものを売っている                      なぜかインディアン
           

   バラ祭りのパレード



    12時から13時まで約1時間続く(横浜の5月連休のパレードのようなもの)

     パレード開始                           バラの女王
                                        毎年日本に招待されるそうです
                                       (横浜の近くの小学校に5月末バラの女王が来日していた)

            


    将来のバラの女王                         バラが投げられた
            

    柔道・剣道のグループ                        民族衣装
            

    馬車で民族衣装を着てバラをまく。バラの香水も撒く     バグパイプの演奏
    ガイドブックではこの衣装でバラの畑でバラ摘み        これはこの地方の民族楽器
    しているがそのような光景は見れない                                    
           

                                        日本人グループも参加していた
           

     道路端に椅子が用意されていた。日本からのツアーで桟敷席を用意するものがあったがそれかも
     しれない。数は少なかった。
      バラ祭りはガイドブックの写真で紹介されているバラ畑の中で民族衣装を着て踊るものは見れない

 (1)カザンラクで昼食
   パレードが行われた通りから10mも離れていない場所のホテルレストランで昼食
   パレード中はホテルの従業員もパレードを見るため昼食もパレード終了後。

      


10.トラキア人の墳墓



 
■ カザンラクの市内にある。
   紀元前4世紀後半から紀元前3世紀頃のものとされる
   トラキア人のフレスコ画。
    奈良の高松塚古墳同様に絵画の劣化を防ぐため本物は
   厳重に密閉されて管理いる。すぐとなりに忠実なレプリカが
   作られそれをみることができる。レプリカも世界遺産。

     本物の墳墓で入場できない
     

    レプリカの墳墓(忠実に再現)の入り口           上の図が横から見たもの。下図は上から見たもの
          

    入口は狭いので見学は順番待ち               通路の天井は三角形
          

   丸い埋葬室の天井の絵                      慣例的な葬儀の宴のトラキア人夫婦
                                    互いに手首を握り告別の儀式をしている
          


                                     馬の絵が素晴らしい
          


   


 カザンラクからプロブディフへ向かう。約100Km(2時間)

11.バラ摘み体験


 カザンラクからプロブディフへ向かう途中、カザンラクの近郊でバラ摘みの体験を行った。
 カザンラクのバラは香水用のため、午前3時頃から日の出くらいにかけてバラ摘みする。
 バラはつぼみの状態で収穫する。咲いてしまう商品価値がない。
 このため、早朝から日の出にかけて行う。




   バラ畑                            雑然と広がっている
         

   咲いていたバラ。
          


          


          

   

12.プロブディフのローマ円形劇場跡


 ■プロブディフは人口38万人で首都ソフィアに次ぐブルガリア第2の都市。
  ここは歴史が古く紀元前19世紀にはトラキア人の集落が作られていた。
  
紀元前4世紀にはマケドニアの主要都市のひとつになった。その後ローマ帝国
   に征服されるとその地形からトリモンティウラ(3つの丘)と改称された。
    トリモンティウラには古い時代の建物が保存されている。

 

ローマ円形劇場跡


 ■旧市街(トリモンティウラ)の断崖の上にある。ローマ時代の半円形の劇場跡。
   3000人収容した



   旧市街は石畳で住民以外車の乗り入れは
   できないため、観光客は下から徒歩で登る
         

   昔の住宅が保存されている
          


        

    ローマの円形劇場跡
           

     帰り道結婚式を終えたカップルに遭遇
     

   プロブディフのノボテルホテル             ロビー
                                   ここもバラ祭りを見た日本人ツアー客で込み合っていた 
         

13.プロブディフの民族博物館


 6月4日

  ノボテルホテル発8時30分
  プロブディフの旧市街にある民族博物館見学に向かう

   旧市街の保存地区                     ヒンドリヤン・ハウス
                                    西洋様式と民族復興様式がミックすされた
                                    アラフランガという独特の様式
          

   ネドコヴィッチ・ハウス
   19世紀の富豪ネドコヴィッチ氏の住居
           

    
ローマ時代からの城壁. 奥にある門は            
    ヒサル・カビヤと呼ばれる紀元前4世紀             
    マケドニアのフィリップ2世が建てた

          

 インスタンブール出身のハジ・ゲオルギが1847年
 に建築。バロック様式と民族復興様式をミックス
   

民族博物館


 ハジ・ゲオルギの家が博物館となっている

     入口                               建物の正面
           

     口を開く花                         ホールの四方に部屋が4部屋ある構造
                                     天井は板でシャンデリアの下がっている
                                     天井部分には小麦の装飾がほどこされている
          

   民族衣装
   


 ソフィアまで約160Km(2時間30分)

14.ソフィア市内観光


 ■ ソフィアはブルガリアの首都。人口149万人で標高550mにある高原都市


  ソフィア市内のレストランで昼食
  


  

(1)シェラトンホテルから徒歩観光


   宿泊のシェラトンホテルから徒歩で観光開始          ホテルの建物の後ろ半分は大統領府
                                     
正面は文部省
          

(2)聖ペトカ地下教会


 
シェラトンホテルから道路を挟んで隣にある。
 この教会はオスマン朝の治世下の14世紀に建築された。
 このため、オスマン軍の兵士が馬に乗った状態で教会
 の屋根が兵士の目線より下の場合、教会の建物は許された。
  このため、半地下の教会となった。


  聖ペトカ地下教会(地下鉄工事で建物が        教会入口
  でているが、手前のコンクリートが道路               
          

   教会内部
          

 
                                       シェラトンホテルの中庭に回る
           

(3)聖ゲオルギ教会



  シェラトンホテルの中庭、大統領府との間に教会はある
  聖ゲオルギ教会は4世紀にローマ帝国によって建築された。


     ここが聖ゲオルギ教会                  正面ドアから内部を眺めた
           

     内部には10〜14世紀に描かれた宗教画       神父が出ていく
           


(3)バーニャ・バシ・ジャーミヤ


 1566年オスマントルコ朝の時代に建築されたイスラム寺院
 周りにはトルコ系住民が多い

                                     バーニャ・バシ・ジャーミヤ寺院

           

     バーニャ・バシ・ジャーミヤ寺院の裏には公共浴場     温泉の湯を飲むためのお湯汲み場
     現在はスパ、温泉施設)

          

(4)国立美術館(旧王宮)左                     (5)国立劇場

           

 (6)聖ソフィア教会                        (7)聖ニコライ・ロシア教会
   6世紀にユスティニアヌス帝が建てた教会          1913年ロシア外交官セモントフスキ・クリロ
   ビザンツ様式とロマネスク様式の初期キリスト       の命で建築された。
   教会
            


 (8)ブルガリア正教の本部
      

(9)アレキサンダル・ネフスキー寺院


 ■ 収容人員5000人(老人、体調の悪い人を除きすべて立ったままで祈る)。
   1882年に着工、40年の歳月を経て完成。高さ60mの金色のドームを
   初め12のドームからなる。


    アレキサンダル・ネフスキー寺院の正面
             


       内部                             天井のドームの絵

             

                                       説教用の演壇
            

      左が司教用の席、右が国王用の席           全景
      実際は国王も立ったままで祈った
            


   ここでソフィア市内観光は終了し、一度シェラトンホテルに戻る。
   夕食は郊外のレストラン。

     レストランの前
     


15.ボヤナ教会


 
6月5日

  シェラトンホテルを8時10分に出発。ソフィア中心部から南西におよそ8Kmの
  ヴィトシャ山の麓に建つボヤナ教会へ行く。(45分)


 ■ボヤナ教会の建物は11世紀に創建された後、13世紀、19世紀の2度増築を
   重ねた。内部のフレスコ画は1259年に制作されたもの。
    内部は完全な空調設備で温度、湿度が管理されている。そのため一度に
  十数人しか入れない。

  
朝のラッシュ。車はシェラトンホテルのある官庁街へ向かう     ソフィアの市内でまだ馬車も活躍している
            

   
ボヤナ教会の入り口                          入場
            

   森の中を歩く                              右が最初の11世紀に建物 
           

                                     下が教会の入り口。オスマン朝の迫害をのがれる
                                         ためにあえて小さいドアにして教会を隠した。  

           


           

   教会の内部のフレスコ画
           


            

    聖ニコラオスの肖像                     最後の晩餐。ニンニクがある
           

16.リラの僧院


  ボヤナ教会からリらの僧院までは約90Km(2時間)
  途中一部は高速道路(ギリシャへの向かう幹線)を通るが、その高速道路も
  途中から現在工事中。幹線道路を離れたらそこから山道となる。
   リラはリラ山脈の奥深くにあり標高は1147m。ソフィアと比べる気温も低い。

   ソフィアから2時間のバスの旅。途中また馬車に会う   
            
      
   リラの僧院まであと10分程度の場所のレストラン
   で昼食。ここは、リラの僧院の観光を終えたグループ
   昼食後観光するグループで大混雑。
    日本人ツアーが次々に入ってきた。
           

    昼食途中で、雷もなりどしゃぶりの雨
    

 
■ リラの僧院について
   僧院は10世紀に僧イヴァン・リルスキが隠遁地としてこの場所を選び小さな寺院を建てたのが発端。
    中世には宗教と文化の中心となった。現在の形は14世紀に時の王の庇護のもとで僧院文化が花開いた
    その後500年間はオスマン朝の支配下であった。このため、ブルガリア全土ではキリスト教の信仰
    はもとよりブルガリア語の書物も読むことを制限された。しかし、この僧院だけたキリスト教の信仰
    もブルガリア語の書物を読むことも黙認された。往時には約360の房に全国から僧が集まった。
     僧院の建物は1833年の大火災でおおかた燃えた。その後復旧され1983年世界文化遺産に登録
    された。



    外部の門                                牛の角。背景の山に雪が見える

            

  3階建の建物で囲まれている。 土砂降りの雨
            

                                     聖堂
          


       


  聖堂の外壁に描かれたイコノスタス(イコンで飾られた壁)
          


          


  聖堂の内部の一部
           


    

   フレリョの塔(中世から残っている唯一のもの)       この塔は、右の部分から登る(有料)
                                       
             

    塔の内部からみた僧院
            

    塔の内部
           


   

 
 リラから約85Km(2時間30分)かけてソフィアのホテルに戻る。
 夕食は宿泊のシェラトンホテルのレストラン。

17.ソフィアからパリ経由成田へ


 
6月6日

 
 シェラトンを5時に出発。ソフィアを国際空港へ向かう。空港はホテルから30分程度
  の場所にある。
    ブルガリア、ルーマニア旅行は、乗り変への飛行機の接続が悪く早朝の出発となった。

      シェラトンホテルを5時に出発
      

      ソフィアの空港                        ソフィア発6:55でパリへ
                                       (2時間55分)

             


      パリ到着は8:50で待ち時間がパリで4時間40分ある。

      パリ発13:30 エアバスA380で成田へ

      


     成田着6月7日 8時

 

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