2020年 対馬・壱岐の旅


                    
                 

11月16日~19日

 月  日  スケジュール  宿泊
 11  16  横浜YCAT  バス 羽田空港 羽田発12:45(NH253) 福岡着14:45
 福岡発16:00 (NH4937) 対馬着16:35  ホテルバス ホテル着16:35
対馬グランドホテル
 11 17  ホテル発9:30 バス 小茂田浜神社9:50  バス 椎根の石屋根10:20 バス 厳原11:00
 万松院  厳原で昼食(千両) バス 長板浦港13:30 浅茅湾チャータークルーズ(50分)
 【コロナ対策で13名を往路と復路の2班に分けて乗船】 バス ホテル着16:00
対馬グランドホテル
 11 18  ホテル発8:00 ホテルバス 厳原港8:30 厳原港発8:50 フェリー 壱岐・芦辺港11:05
 バス はらほげ地蔵11:30 バス 国民宿舎12:00 昼食 国民宿舎発13:00 バス
 猿岩 ・黒崎砲台跡13:00 バス 住吉神社14:00 バス 壱岐市・一支国博物館14:45 バス
 郷ノ浦・ビューホテル壱岐着16:00
 ビューホテル壱岐
 11  19  ホテル発9:00 壱岐・郷ノ浦港発9:25 ジェットフォイル 博多港着10:35 ベイサドプレス
 ベイサイドプレス発12:45 タクシー 福岡空港 福岡発14:15 NH256 羽田着15:55
 帰宅

11月16日


 今回はYCATからバスで羽田空港に向かう
 YCATからのバスも10分間隔で、コロナで間引きされているようです
 バスの車内は半分以上の座席を埋まました。横浜駅から25分で羽田空港へ
 
 
 ベイブリッジからの横浜みなとみらい地区
 普段は乗用車なので目線がもっと下だが
 本日はバスのため高い位置からの眺め
 晴天で旅行日和
     
  


  羽田に到着、今はコロナで飛行機に乗るのも1年ぶり
 羽田では、手荷物預けも自動化で自分で荷物を機械に入れて
 タグも自分でつける。
  羽田発12時45分 福岡行は、当初の機材を大型機に変更
 したそうで座席も変わった。大型機でも満席。
 

 (1) 羽田から福岡経由対馬へ


 福岡空港には定刻の14時45分到着。ここで乗り換えだが
 かなり歩いて対馬行待合室で出発を待つ


  ここが対馬などへ小型機の待合室。何もない
  


  16時発の小型機            次々と乗り込む
       


  この飛行機もツアー客2チームもが乗り、満席
       


  福岡空港を南に向けて16時 離陸    筑紫平野と筑後川、久留米近くを旋回
      

  
  唐津あたりから玄界灘に出て20分程度で対馬へ(福岡から対馬は138Km)
      


 (2) 対馬空港


  対馬空港には定刻16:35に到着
      


      


  小型機のため歩いて空港ロビーへ
       
  

 (3) 対馬グランドホテル



  空港からホテルバスで17時に対馬グランドホテルへ到着
 ここは対馬で唯一の温泉ホテル

  



  19時からホテルでの夕食。コロナ対策で
  学校方式で全員が壁側に向いて食事。
  食事のお品書きは下記

  

  サザエ、小鉢、刺身、鍋は「いりやき」          茶碗蒸し
           郷土料理

       

   対馬のアナゴの天ぷら         焚きこみご飯、かじめの味噌汁
       

  デザート
  


 11月17日



  対馬は、福岡から138Km、韓国釜山から49.5Km
 南北82Km、東西18Kmの細長い島
 島の人口は、3万470人(2019年9月)
 地図の赤字は訪問した場所
 島全体は山がちで険しい。島の南部中央には
 標高648mの矢立山がある 

  

  


 11月17日午前7時過ぎ、ホテルの展望テラスから日本海を見る
  

  朝食
   

  朝食後、ホテル周辺を散歩
   


   ホテルの正面玄関            階段を下った場所にあるコテージ宿泊
                      全面に日本海

         

  宿泊した部屋 ベットと和室
         

 (1) 小茂田浜神社

 ホテルを9時30分にバスで出発。9時50分到着
 コロナ対策で、一人2席で、指定席

 小茂田浜神社
     対馬の南西海岸に位置する。元寇(文永の役)
     文永11年(1274年)10月16日の午前4時頃
     元軍2万、高麗軍1万に対し、対馬の守護代の
     宗助国はわずか80騎で応戦し壮烈な討ち死に
     をした。それを弔うために作られた。
      元軍・高麗軍は対馬占領し、壱岐や佐賀まで
     押し寄せるが、10月20日夜の嵐で1万3千人の
     兵が死に高麗に引き上げた。


        

   今年(2020年)8月に作られた宗助国像  古戦場の説明
  対馬の在住の個人の寄贈

       

                       この神社の横はすぐ入り江
                      ここから元軍・高麗軍が上陸した

        

    神社のやしろ
    

 

 (2) 椎根の石屋根倉庫


 10時20分到着

 椎根の石屋根倉庫
 椎根の石屋根倉庫はこの地方独特のもので、コメ、麦、雑穀
 衣類、什器を格納する部分が内部で区画されていた。
  床は高床式で屋根材は、島内の頁岩(けつがん)を長方形
 に成型したものを利用。屋根の重さは2トン近くもあり
 屋根を支えるために頑丈な柱を多数使用している。
 この倉庫は、強風や火災から食料、貴重品を守るためのもので
 母屋からは離して建てられた。
 
  

    椎根の石屋根倉庫             屋根だけで2トンの重量がある
                       部屋が細かく仕切られている
                       床は高床。

           


           


          

    この近くは大きな家が多い        この石屋根倉庫の持ち主は、川向こうの
                      山の裾の大きな家

          

   この大きな家の住人は2名~3名と言われている
   



      


      



 

 (3) 厳原の万松院


  門の両方の石垣は切り込み接ぎ(きりこみはぎ)
 方式の石垣で方形に整形した石材を積み上げる。
 朝鮮方式とも言われている


            


     豊臣秀吉が朝鮮出兵時に築いた石垣    対馬藩主の「宗家」の復元した櫓
   が山の上部に残っている         (1990年に復元)

         


    

  万松院への道              歩道に咲いていたツバキ
        

  歩道の桜の木から別の木が自生      万松院の入り口
                     入場は横の入り口から

        


  万松院(バンショウイン)
  元和元年(1615年)宗家20代義成が父の冥福を祈って創建した
  ここには20代以前の墓はない。それ以前は、それぞれが葬られた
  場所にある。2代宗助は、蒙古との戦いで壮絶な討ち死にをしたので、
  首、胴体、手足などそうぞれ別の場所にある





  宗家は、徳川家から豊臣秀吉の朝鮮出兵で関係が悪化した朝鮮との
 国交を回復する命を受けて、交渉を重ねた結果、朝鮮通信使は1636年
 以降12回行われた。通常は朝鮮通信使は2年かて往復した。
 朝鮮通信使が最初に上陸したのがこの地であった。このため
 徳川将軍の代々の位牌も置かれていた


        


  墓地への階段132段
      



   息を切らせて登ってくる
    


       


   宗家21代の墓              宗家21代の奥方の墓
             


      


        


 (4) 厳原のレストラン「千両」で昼食


  昼食の「千両」の入り口
   

 郷土料理「いりやき」の昼食
   


   対馬では厳原が中心街。東横イン、NTTビルなどもある
  

 (5)浅茅湾チャータークルーズ


  浅茅湾クルーズは、長板港を出港して約120分のコースだが
 コロナ対策で、13名のツアーを、7名と6名の2チームに分けて
  下図の6番まで行往路チームと6番から長板港に帰る復路チーム
 に分けて実施。待機組はバスで移動した


   


  13時35分 まず往路チームが乗船し出港した
 我が家は復路チームになったのでバスで6番に向かう

       

 14時35分 往路チームが6番地点に到着
      


 14時40分 復路チームの6人が乗船     すぐに出港
        


 眺めの良い上部甲板
       


 和多都美神社
 彦火火山見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)
 を祭る海宮で大陸航路の要衝であった対馬の歴史を物語る史跡。
 本殿正面より海へと向かって続く5つの鳥居が特徴。
  しかし、本年(2020年9月7日)の台風10号で最も海よりの鳥居が倒壊した
 




   この神社は海から詣でるので鳥居の前面に
 記載した文字は海に面している       これは、台風で倒壊する前の写真

        



  


  玉の井の井戸のいわれ
  豊玉姫命の侍女が玉の井の井戸で水を汲もうと
  した際美しい姿の神様が水面に映った宗です
  それが縁で結ばれたので縁結びの井戸といわれている


             玉の井の井戸         これが玉の井の井戸(縁結び)
        

                              真珠の養殖
                     真珠の養殖は、愛媛、長崎の順

        

   これが真珠養殖
   


         

  
  これは、マグロの完全養殖(近大マグロ)卵からふ化させて養殖する
               


  竹敷地区の海上自衛隊対馬防備隊      紅葉が見れる            
          


 霊山「白嶽(しらたけ)」標高510m(雲の合間に)
       

 長坂港に15時40分到着 バスで対馬グランドホテルに戻る
  

 (6)ホテル近くの漁村

 

  海とつながる水路             漁船が多数つながれている
         


  ホテルには16時に到着
 

 (7)11月17日の夕食





  

 刺身と小鉢                 とんちゃん陶板
       

   あら焚き・アナゴ白焼き                ぶっかけ蕎麦
        

  ひじきご飯               デザート
       


 

 11月18日

 日本海から昇る朝日

        

                       チャペルとコテージ棟
        

  朝食
   

  対馬グランドホテルの玄関
           

  8時にホテルバスでホテルのある美津町から厳原港に出発。
 8時30分前に厳原に到着



 

 (1)対馬・厳原港


  厳原港発8時50分のフェリーで壱岐へ
 対馬と壱岐は約60Kmあり、フェリーで2時間

  フェリーに乗船(船内は靴を脱いで広間
  で過ごす昔ながらの船)

        

 定刻の8時50分に厳原港を出港
  


  厳原の町を後に壱岐に向かう        対馬は山の多い地形
         


  

 (2)壱岐・芦辺港


 壱岐は、平地が多い地形


         


   


  

 (3)壱岐・芦辺港に到着


 11時5分定刻に芦辺港に接岸       元寇720年周年記念事業で作られた
                      弘安の役で勇敢に戦死した小弐資時の銅像
                      2001年5月20日建立

        



     壱岐の観光場所
     
   壱岐は南北17Km、東西14Kmの島。福岡市から74Km、人口は約13,000人 


  道端に咲く野花
  


 

 (4)はらほげ地蔵


  「海女の里」と知られる八幡浦の海中に祀られている
 6体ある地蔵さんは六道(地獄、飢餓、畜生、修羅、人間、
 天)における苦しみから救ってくれるといわれている。
  はらほげ地蔵の由来は、お地蔵さんの腹が丸くえぐられて
 いるため



  満潮時は、肩近くまで海水につかる。現在は潮が満ちている
       

  右に黒い袋をしょっているのは賽銭いれ
  


  

 (5)壱岐の国民宿舎で昼食


 国民宿舎の入り口               壱岐牛の昼食
           

  国民宿舎 壱岐島荘            
         



 (6)黒崎砲台跡

  猿岩の近くの小高い丘の上にある
 砲台の口径は約41、砲身の長さは約18m
 砲弾の重さは約1トン。
 昭和3年から6年かけて昭和8年に完成
 対馬海峡を通過する艦船の攻撃用に設置
 射程距離35Km。1度だけ試射が行われたが
 実戦はなかった。(時代の変化で攻撃する艦船
 が対馬海峡を通過する必要がなかった) 



  黒崎砲台跡へ向かう途中          砲台跡(深さ18m)
        



 

 (7)猿岩


  猿の形に見える岩


       


         


    猿岩に近づくと
     


   ライオンに見える            猿岩からの眺め
         


          


  
 

 (8)住吉神社


 住吉大神のご加護により三韓征伐を果たした
 神功皇后が壱岐に立ち寄り住吉3神を祀った
 ことに由来
 (注)日本書記の記載と石上神宮に奉納されていた
    七支刀(西暦366~371)は、朝鮮の王から献上され
    たもので4世紀後半に実在した。神功皇后は3世紀
    の記述が100年さかのぼっているといわれている
    このため神功皇后は、神話の世界の話

 

        


  夫婦クスノノキ(男性は左周り、女性は右周り)で願い事をする
      


           


 

 (9)一支国博物館


  壱岐は稲作造りが盛ん(平地が多い)   アスパラも作っている
       



  一支国博物館
 黒川紀章氏の設計。完成をみずに死去された

  

  博物館の入り口
       


  博物館の展望台から「原ノ辻」遺跡を見る
 原ノ辻遺跡は、弥生時代の環濠集落で「魏志」倭人伝に記された
 「一支国(いきこく)の王都。日本最古の船着き場の跡や、住居跡が確認され 
 一部復元されている

  これが住居跡

         



         


    


   博物館では、模型で当時の大陸との貿易で繁栄した様子を模型で再現
        


                       当時の貿易に利用された船(復元)
         


  これが内海湾(ここに船着き場が設けられた)
   


  原ノ辻遺跡の復元住居(近くをバスで    白い塔は博物館の展望台
 通過時に撮影)

      


       



       


 (10)ビューホテル壱岐


 郷ノ浦港にあるビューホテル壱岐に16時到着

   ホテル玄関              港側から見たホテル

        

  ホテルの部屋から郷ノ浦港の眺め
   


  本日の夕食は、フグ鍋で部屋食
 フク刺し(テッサ)、ぶりの刺身 フグ鍋      ブリのあら煮

        

   フグシュウマイ(器の中で蒸しあがる) ご飯と味噌汁、デザート
       



   

 11月19日


 午前6時40分、郷ノ浦港の夜明け

         


   

  朝食
   


 

 (1)壱岐・郷ノ浦港から博多港へ


  郷ノ浦港9時25分発博多行のジェットフォイルで福岡へ向かう
 壱岐と博多の距離は70Km


  ジェットフォイル            9時15分 乗船開始
        

  9時25分 定刻に出港         ジェットフォイルは時速80Km
                      通常の船は30Km程度

        

  船内
      


 

 (2)博多港に到着



   定刻の10時35分に博多港に到着
   

  博多港に上陸              ベイサイドプレイス(ここで約2時間買い物)
                     しかし、この建物2階部分は閉店しているものが大半)
                      Web上では九州全体の土産物があるとなっている
                     お店がない。

       


 12時45分にタクシーで福岡空港へ
 

  

 (3)福岡空港から羽田へ


 福岡発14時15分 ANA 256便で羽田へ 
 帰りの便も修学旅行の高校生も乗り満席

  瀬戸大橋                富士山 

        


  今回、オリンピックのため都心上空
 を飛行するコースができたので、
 千葉県の木更津から大周りで都心上空へ
 東京見物をさせてもらった

  スカイツリーが見える          スカイツリー
               
        

   スカイツリーに近づく          東京ドームが左に、皇居も見える
         

  東京ドームと明治神宮の森         皇居
         


    皇居と東京駅              東京タワー
         

   レインボーブリッジ            湾岸線(高速道路)
         


   東京湾ゲートブリッジ(恐竜橋)
               





   海外旅行記に戻る