チュニジアの旅




                                              

 

1.スケジュール

 
出発: 2019年2月21日〜28日

 

月 日 スケジュール 宿泊ホテル
2月21日 成田発22:00 EK319(12時間) 
機内泊
2月22日 ドバイ着4:45  ドバイ発9:20 EK747(6時間55分) チュニス着13:00
チュニス空港発14:20 バス 2時間20分(160Km) 途中ザグーアンのローマ水道橋観光
ケロアン着18:00
ラ・カスバ
2月23日 ホテル発8:45 バス 聖都ケロアン観光(8:50 メディナ 10:00 アグラブ朝の貯水池
10:20グランドモスク 、11:20シディ・サハブ霊廟) バス 1時間30分(69Km)
エルジェム着12:45 昼食 13:50エルジェムの円形闘技場 観光 15:00エルジェム博物館
バス 1時間(63Km) スースのホテル着17:00
スースパレス
2月24日 ホテル発8:45 バス スース観光(8:50メディナ観光 グランドモスク、リバト、
10:25スース考古学博物館) バス 1時間(100Km) ナブール陶器工房着12:35 バス
昼食 14:20ナブール散策 バス 1時間15分(100Km) スースのホテル着17:30  

スースパレス

2月25日 ホテル発8:45 バス 2時間(142Km) シディ・ブ・サイド着11:00 Chabaane でミントティー
タイム シディ・ブ・サイド散策 レストラン着12:50 昼食 レストラン発14:25 
シディ・ブ・サイド発15:50 バス 30分(16Km) チュニス着 チュニス観光(メディナ、スーク)
18:00 夕食 スークのローカルレストラン バス40分(10Km) ガマルトのホテル着20:10
ルパラス

2月26日 ホテル発9:00 バス 20分(10Km) ビュルサの丘着9:15 カルタゴ遺跡 観光 バス
カルタゴの墓地着10:10 バス カルタゴの軍港着10:25 バス 
アントニウスの共同浴場着10:40 観光 アントニウスの共同浴場発11:15 バス 2時間
(120Km) ドゥッガ着13:00 昼食 バス ドゥッガ遺跡着14:20 観光 ドゥッガ遺跡発16:00
バス2時間(105Km) チュニス(ガマルト)のレストラン着18:45 夕食(シーフード)
ホテル着20:45
ルパラス
2月27日 ホテル発9:30 バス バルドー博物館着10:05 館内見学 バルドー博物館発11:40
バス チュニス空港着12:00 チュニス発14:55 EK748(5時間50分) ドバイ着23:46
機中泊
2月28日 ドバイ発2:55 EK319(9時間25分) 成田着17:20 
帰国

   

 ■チュニジアの概要
    
   
 北から東に地中海、南はサハラ砂漠。東の隣国はリビア、エジプト。
     西の隣国はアルジェリア、モロッコ。

         
 
(1)首都はチュニスで人口は63万人
  (2)国土は日本の2/5
  (3)人口は1140万人
  (4)通貨はディナール(1ディナルは37円)
  (5)宗教は、イスラム教98%(スンニ派)
    政教分離の政策。したがって、アルコールを出す店もある
   (敬虔なイスラム教徒の店はではアルコールは出ない)
 (6)大統領制でフランスから独立後3人の大統領しか変わっていない
   一人約20年統治している

 ■チュニジアの歴史
  (1)チュニスは、海洋民族の古代フェニキア人が築いたカルタゴの
    衛星都市として築かれた。
     フェニキア人は紀元前15世紀から都市国家を形成し、
    紀元前12世紀頃から繁栄期となる。
    フェニキア人は、レバノンを本拠地として北フリカ沿岸、イベリア半島
    地中海の覇権を握る。

      フェニキア人の勢力地図
     

  (2)フェニキア人の都市カルタゴも繁栄したが、やがてローマ帝国が台頭、
    シチリア島の覇権をめぐりローマ帝国と3度の戦争を行う。これが
    ポエニ戦争。
    @第1回は紀元前218年〜紀元前241年でシチリアの覇権をめぐり両国で戦い
     結局ローマ帝国の勝利となりシチリアはローマ帝国の支配下になった。
     カルタゴは膨大な賠償金を課せられた。ここでは、ハンニバルの父親が
     活躍した
    A第2回は、紀元前218年〜紀元前201年。この戦いのカルタゴ軍の指揮は
     有名なハンニバル。ローマ帝国の守りが固いシチリア経由ではなく
     フェニキアの植民地のイベリア半島から出発して象37頭を引き連れて
     アルプス越えを行いローマ陥落直前まで追い込んだ。しかし、最後は
     ローマ帝国の若きスキピオ軍に敗れ敗退し、カルタゴに戻るがローマ帝国
     からの追手から逃げて黒海沿岸で自滅して一生を終わる。

      ハンニバルの進軍経路
      


    B第3回は、紀元前149年〜146年。ローマ帝国はカルタゴを徹底的に破壊
     して土に埋めた上、不毛の土地にすべく塩で覆った。
      またフェニキア人は殺害されたか奴隷とされた。
     カルタゴはローマ帝国の属州となった。(アフリ州。アフリカの語源)
  (3)ローマ帝国も東西に分裂し、カルタゴは東ローマ帝国に組み込まれる。
    このため、ビザンチン文化も広まる。
  (4)7世紀にイスラム教のもとに統合したアラブ人が入る。まずウマイア朝
    が栄え次にアッバス朝、アグラブ朝、ハフス朝となってくる
  (5)1574年にオスマントルコに併合される。その後ヨーロッパ列強の植民地
     獲得時代に入り1881年〜1956年はフランスの統治に時代となった
  (6)1957年に大統領制の「チュニジア共和国」が誕生。
  (7)2011年10月23日 ジャスミン革命がチュニジアを始点に始まり、リビア
    エジプト、シリア等に拡大した。
    シリア、エジプト、リビアはいまだに内戦終結していないが、チュニジアは
    1週間で終結した。
  (8)2015年3月18日にチュニスのバルドー博物館で武装した男2人の銃乱射事件が
    発生。日本人3名を含22名が死亡した事件が発生した。

   ここ乱射事件以来、チュニジアツアーは一時ストップしていたが
   今年(2019年春)に安全性が確保できたので解禁となった

    
  


  
  

 【2月21日】

 1. 成田からチュニスへ


 ■ 成田を定刻の22時に離陸してまずは、中東のドバイに向かう


【2月22日】
 ■ドバイ空港には定刻より少し早く到着(午前4時45分)
  ドバイ空港は早朝にもかかわらず昼間と同じ賑わい




       

        
    

  
 ■ ドバイ発9:20 EK747 チュニス行きのゲート 
 

   

   バスで移動し飛行機に搭乗。チュニスまでの飛行時間は6時間55分
   
  


 ■ チュニス空港に15分早い13時に到着。  到着ターミナル 
        

  チュニス空港。気温16℃         ここからバス移動
        

 2. ザグーアンのローマ水道橋


  チュニス空港を14時20分バスで出発し、2時間20分約160Km離れた
 ケロアンへ向かう。途中ザグーアンのローマ水道橋を観光


    


   ザグーアンのローマ水道橋

       水源のザグーアンからカルタゴまで132Kmを水道橋で
    水を運んだ。造られたのは紀元2世紀。
    現在残っているのは20Km。
  
  これが水道橋              現地ガイドが説明。
                      左の緑の山が水道橋の源泉のザクーアン
                      右の緑の山は33Km離れた別の山で
                      ここも水源として利用。
  
     
 

                      穴の中を水が流れた。132Kmをずかな勾配を
                      つけて流した。

           
         
           
    水道橋を貨物列車が横切っていく
         

                      ケロアンに向けてバスは走る
         


   ケロアンに到着              市内のお店
         

   カスバを利用した「ラ・カスバ」ホテルに到着
   

【2月23日】

 3. 聖都ケロアン観光


 ケロアン
    チュニジアの第4の都市。人口は15万人。
    イスラム教徒にとってはメッカ、メディナ
    エルサレムに次ぐ聖地。


 (1)ラ・パレスホテル


 ベランダ、パティオに面している      これがパティオ
        

  ホテルのプール
        

                       ホテル玄関。カスバの城壁の門が入り口
        

 

 (2) メディナ観光


 ホテルを8時45分に出発。すぐに徒歩で   この壁はメディナを囲む城壁
 メディナ散策

         

  粗大ゴミではなく、販売している      チュニス門
                      チュニスに至る道の門

        
  
   チュニス門の扉に商品をかけて      羊毛を刈る道具などを販売している
  販売している              金物屋

         

  これがメディナの中。1階が商店で2階が   パンの露店販売
 住居

         

                      木の皮が歯磨き用品
        

 あんがイチジクの菓子           ドライフルーツ、香辛料の販売
         

  女性用の衣類の販売。
 家の中では派手な衣装を着るそうです    貴金属の販売店

         

 ■ ビル・バルータ
  メディナの中にある井戸でメッカに通じて
  いるという迷信がある。ラクダが回って
  水をくみ上げる。この井戸の水を飲むと
  御利益があるといわれている

         


         

 ペインティング通り
         


       

                     真ん中の半円表示はメッカの方向
                     宗教者の会議が開かれていた

      

 天井はなく空が見える(中庭風)     中学生ぐらいの子たち。人なっこい
       

   バンクシー?             猫の絵
       

                      背景は城壁
        


 

  (3) アグラブ朝の貯水池


  アグラブ朝(イスラム)の貯水池
     9世紀初頭から繁栄したアグラブ朝からこの貯水池は
     整備された。38Km離れた山から水を引いている。
     この貯水池は現在もされている。


  貯水池が何個もある           この展望台の中にある土産物屋の主人
                     「地球の歩き方」に写真も記載されている

        

  (4) グランドモスク


 グランドモスクは7世紀に建設された
    北アフリカ最古最大のモスク


  メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ聖地  モスクの正面

         

  周りを回廊が囲む
       
  
  モスクに降った雨はここから地下に集まる  ローマ遺跡の石を活用
                      文字が逆さまになっている

        

   モスクの内部(信者以外内部に入れない)
       


      

  アザーンのための塔          日時計
     

  (5) シディ・サハブ廟


  マホメットの床屋で同志のアブ・ザマ・エル・ベラウィ
     を祀る霊廟で7世紀に建てられた



  シディ・サバブ廟へ入る         上部は透かし彫り、下部はタイル
       


          


          


          

 アブ・ザマ・エル・ベラウィの墓の入り口   墓(イスラム教徒以外は入れない)
            
  
  ケロアンの観光を終えて11時20分にバスで1時間30分(69Km)
 離れたエルジェムに向かう。

 4. エルジェム 


  エルジェムに向かう途中強風が吹き    エルジェムのレストランに12時45分に到着
  土埃とビニールが舞った         レスランの2階で昼食

         

   レストランからは円形闘技場の全貌は正面
  に見える

          

  
 

 (1) エルジェムの円形闘技場


  エルジェムの円形闘技場
     ローマ時代の3世紀初めに構築された。その頃この地は
     オリーブオイルの中心地として繁栄した。
      観客席は35,000人で剣闘士や戦車レースのために
     使用した。17世紀から円形競技場の石材は、近くの
     村の構築やモスクを建造するために使用された。
      ケロアンのグランドモスクにも使用された。
     また、オスマントルコ帝国との戦闘でトルコ人は
     円形競技場から敵を追い出すめに大砲を使用したので
     一部が壊れた。


    円形競技のグランドです         天気も急変して、風も出てきました
         

     


  地下への階段を降りる           競技者の控え室であった場所
         

   地下の通路
    


         

  円形競技の最上階             風が強く寒く雨が降り出した
         


   


  (2) エルジェム博物館


  エルジェムのローマ時代の居住区遺跡とモザイク画
 を展示している

  モザイク画は、小さく刻んだ色タイルを組み合わせて
  床に絵のように仕上げる。


        

  展示は壁にセットしているが、床面から
 切り取り固めて壁に展示している
 技術力が必要

        


        


  バッカス(酒の神)
        

   ギリシャ神話の神々
        

   表土を掘り下げて出てきた2000年前の   道路に面した場所はローマ市民が
  道路                  商店等に貸し出した。2階は商店の
                      住宅。商店の後ろにローマ市民の広大な住宅

         

  床にはモザイクタイルが           中庭もある
         



            

  当時の1軒の邸宅をイメージするため復元した
 住宅と、床に描かれたモザイク画も復元
 (展示は壁面にかけられているため当時
  と同じ床面にモザイク画を再現)

            

   床面に施されたモザイク画
         


        

   カエサル(シーザ)の像
   

   エルジェムからバスで1時間(63Km)   スースのホテル「スースパレス」に
  スースの市内に到着           17時到着   

         

 【2月24日】

 5. スース観光


 スース
       チュニジアの第3の都市で人口43万人。
    フェニキア人の造ったカルタゴはローマに滅ぼされるが
    スースはローマ軍と同盟を結んでいたので破壊から逃れ 
    フェニキア時代の町並みを知ることができる。
    7世紀頃には街は防衛機能として高さ8mの堅牢な城壁で
    囲んだ。高さ38mのリバトと言われる見張りの塔を構築。



        

 

 (1) グランドモスク

 

  851年建造のグランドモスク。現在も使用しているためイスラム教徒以外は
 中庭までしか入れないそうです。今回は外からの撮影

         

 

 (2) メディナ


  南北700m、東西450mを誇る。
 メディナは城壁で守られていた。現在写真の真中の
 左側が城壁、右はグランドモスク。
 城壁建設当時は城壁の外側は海であった。

   
   


   リバト
         


         

  貴金属店                 ネコが多い
         

 

 (3) リバト


  リバトとは、初期イスラム社会に見られる軍事的要塞と
     宗教的な礼拝所を兼ねた特殊な施設。
     構築されたのは8世紀。

 リバトに入る              
       


  見張り台が7つ、塔が1つある
       

  

  暗くて狭いラセン階段を上がる       螺旋階段の屋上出口
        

  屋上からカスバ(現在はスース考古学    スースの港。手前はグランドモスク
 博物館)方面

         

   宿泊のホテル。メディナまで徒歩圏    リバト
        

                      メディナ
        


    

   これがリバトの塔のラセン階段。塔の高さは38m 
          

  リバトの中にある神学校
       

   メディナ城壁沿いにバスは走り、カスバ(現在のスース考古学博物館)に向かう
   
   

 (4) スース考古学博物館


  スース考古学博物館は2012年にリニューアルされた。
     モザイク画の殿堂。2世紀頃からの土器、モザイク画が
     展示されている
   


   スース考古学博物館         ポセイドン
      

  海馬ヒッポカンポスを操るポセイドン
        

 洗礼盤
       


       

 学校行事で博物館に来ていた小学生たち。たいへんフレンドリー
      


      


 

 6. ナブール観光



 スースからバスで1時間15分(100Km)にあるナブールの陶器工房
 を見学。街の中心から少し離れている。


  ここの工房の3代目。社長の息子が実演
   

 工房からバスでナブールの街の中心へ    2015年にできた像
       

  街路樹のオレンジ(これは食べられない) 昼食レストラン「L’Oliver」 
       

  ナブールの街歩き。ナブールは人口    イスラム教のお祈り開始
 5600人の陶器の町            を告げるアザーンが鳴り響く

       

                      グランドモスクの入り口 
        

 モスクの内部(入ることはできない)    アザーンを告げる塔
        

  ハマム(銭湯)
  

  オリーブの畑が続く(オリーブの大産地)
  
 スースのホテルに戻る(1時間15分(100Km)


 ■スースのホテル「スースパレス」
  ホテルの敷地のすぐ外は海岸。本日は強風で海も荒れている

      


     


 宿泊のホテル
        

  プールも強風で波立っている
       

 本日はホテルの最上階のレストランでコース料理
 

 【2月25日】
 

 7. シディ・ブ・サイド


 スースのパレスホテル            玄関

       

   ホテルの前の道路。メディナまで徒歩10分
      

  ホテル出発は8時45分
  チュニスのチュニス湖にかかる橋

  

 

  (1) シディ・ブ・サイド散策


    シデ・ブ・サイド
      人口は5400人。チュニスの北東20Kmにある
      カルタゴとチュニス湾(地中海)を見下ろす
      断崖の上にあり、白壁と青の扉・窓枠の町


   午前11時 徒歩で散策開始。
  外からの車の乗り入れは禁止されている  

          


         

   ここがメイン通り
        


        

 オスマントルコ時代の邸宅(春先だけ住んでいた)
        

 ハヤブサ。観光客の腕などに止まらせ写真を撮らせてチップをもらっている
  

 地中海。島影はランドマーク
          

 

 (2) 絶景カフェ「Chabaane」でティータイム


              

      




           


          

  絶景カフェっでのティータイムも終了。街歩きを続行
  

 

 (3) シディ・ブ・サイドの散策の続き


 昼食まで再度散策


 海に突き出しいるのは大統領官邸     アメリカ大使の家 
       


     


       

 ルイ9世廟                猫が多い
 ルイ9世が十字軍遠征で立ち寄り、
 イスラム教徒になった伝説。
 ルイ9世を祀っている

        


   
        


                      お店の人に甘える猫。
                      結局店の中に入れてもらい食べ物をもらう

            

 

 (4) Ben Vieux Tempsで昼食


 シディ・ブ・サイドにあるレストランで昼食  窓からは地中海
        

   入り口を出たところのテラス       レストランの入り口
  道路にはもう一段下る

        

  15時50分 シディ・ブ・サイドの観光を終えてチュニスに向かう

 8. チュニス観光


  シディ・ブ・サイドからチュニスまではバスで15分ほど
  チュニス
      チュジアの首都。人口は83万人。古代フェニキア人が築いた
      カルタゴの衛星都市であった。フェニキア人はローマ帝国
      と3回にわたり地中海貿易の覇権を争う戦争を行いローマ帝国
      に敗れ。ローマ帝国の属州(アフリカ州)となった。
       この際カルタゴは徹底的に破壊されフェニキア人は奴隷もしくは
      殺害された。しかし、カルタゴの地の利はローマ帝国も無視できず
      ローマ帝国もカルタゴを復活させ貿易の拠点とした。
      その後ローマ帝国も分裂して衰退し、701年にイスラム帝国が勃発して
      アラブの国になる。イスラム帝国は、沿岸にカルタゴより内陸の
      チュニスを発展させた。その後オスマントルコ帝国、フランスの
      統治もチュニスが中心になった。


   市庁舎。門の内側に天国のマークと糸杉    革命広場
  の模様が描かれている

            

                         塔の棒はメッカの方向を指している
          

                       宗教省
                 

 (1) メディナ


  メディナ散策
         

  改装中の豪邸に入る。             中は素晴らしいタイルと装飾
  扉が全開の時は馬車で入る。
 小さい扉の際は人のみが入る

           

 オスマントルコ時代(1574年〜)に造られた皇帝の別荘
          


        

                      通路端でコーヒーを楽しんでいる
       

 オスマントルコ時代のミナレット 
 

                       シェシェア(民族帽子)
       



   水たばこを実演してくれた若者
      

 トルコ コーヒー店            貴金属店
        

  かって奴隷制度があった時代の人身売買の取引所
      

 ビルの屋上に上がり、チュニスを展望

   オスマントルコ時代のミナレット
        


       


        

                      この山の先が海
        

  スークを散策


      

 散策に疲れてカフェでお茶          カフェのマスターと
       


 

 (3) ローカルレストラン


 スークの中を歩いてレストランに向かう
      

 レストランの入り口            レストラン「エッサラーサ」   
 「ファティマの手」でノック
 右でノックは男性客、左は女性客の合図

        

  本日の夕食はこのローカルレストラン。

 夕食後チュニスから近郊のガマルトへ    ガマルトのホテル着20時10分
     



 【2月26日】

 

 9. カルタゴ遺跡

  

  本日の出発は9時。出発前にホテル内散策
 

  (1) ホテル「ルパラス」



   ホテルは海まで続いている
         


         

                     こちらの方向にシディ・ブ・サイドがある  
          

                       ホテルの隣は大統領の別邸
          




 

  (2) ビュルサの丘


   カルタゴ
     カルタゴが建設された地形は水深が浅く錨を下ろしやすい入り江
     があり、突き出した岬もある。これがフェニキアが港を建設する
     条件に合っている。また、カルタゴは、イベリア半島のカデス
     (フェニキアの都市)と本土(レバノン)を結ぶ航路の中間点
     に位置しているのでカルタゴは繁栄した
  

   ■フェニキア人は紀元前15世紀から都市国家を形成。
   紀元前12世紀ごろから繁栄期となる。
    堅牢な木材のレバノン杉を用いて船を作り地中海貿易
   の覇権を握った


    カルタゴの街の模型
  高くそびえるのはビュルサの丘
  丘から海に向かい建物があった
  下の円形は軍港、隣は商業港

   

 サンルイ教会
 1884年建立。ルイ9世にささげられたカトリック教会

         

  手前がローマ遺跡              ローマ時代のフォーロ(政治の中心)
         

    背景はチュニス
       

  ■カルタゴ遺跡。
   ローマがフォーロを作るため斜面を埋め立てたので奇跡的に
   カルタゴ遺跡が残った。
   (ポエニ戦争がカルタゴで敗戦で終結したのは紀元前146年
    その後ローマが破壊
    このためこの遺跡はそれ以前のも)


        

    住居跡などが残っている
  森の中にある水色は、軍港遺跡

  
        


      


 

  (3)トペテ (墓地)


  ビュルサの丘からバスで下ってきて、現在は高級住宅街の
 一画にあるカルタゴ時代の墓地



  紀元前400年〜紀元前200年の間に建造
 されたカルタゴ時代の子供共同墓地。
 火葬にされて骨は骨壺に入れた
 約20,000個の骨壺が発掘された       豊穣と天の神を彫っている
         
       

    カルタゴの守護神「バールハモン」   墓は3層になっている。一層目の墓
  バールハモンは宇宙全体を支配する

       

    一層目の墓から下ってくる        2層目の墓      こちらは3層目
         

    もっとも古い墓で紀元前700年頃のもの
        

   この洞窟の中の墓が紀元前700年の墓
        

  共同墓地からバス10分で軍港遺跡に着く

 

  (4)軍港と商業港遺跡



  チュニス湾から入ってこれるように水門を作り
 円形の港にした。軍船が200隻係留できた。また。陸地
 に引き上げて保管もした。軍港の横を通って入る商業港
 もあった。商業港の岸壁には倉庫群があった
 


  


  この池のようなものが軍港の遺跡。     遠くの丘はビュルサの丘
 真ん中にも係留地

        

                     現地ガイドが示した軍港と商業港
      

   こちらが商業港跡
  

 軍港遺跡からバスで10分ほどでアントニウスの共同浴場跡へ

 10.アントニウスの共同浴場

  
  アントニウスの共同浴場
     ローマ皇帝のアントニウスが146年〜162年に構築した
     建物の総面積350,000u、長辺が200mに及ぶ。
     ローマ帝国内で3番目の大きさ


 これが共同浴場の復元図
  

 玄関に通じる共同浴場大道り       塔のように見えるのは屋根を支える柱
                     高さ15m

       

  共同浴場の地下(非ローマ市民が働い   ここは床下で地上からの高さは5.6mある
 ていた)

       

   非ローマ市民が火を焚きお湯を沸か    目の前は地中海。現在隣は 
  しいた                 大統領官邸

        


        


  

 アントニウス共同浴場を11時15分出発して
 約2時間(120Km)のドゥッガ遺跡へ向かう

 

 11.ドゥッガ遺跡

   
   オリーブ、穀物の畑が続いている

       

 アルジェリアの国境まで30Km。標高600の
 ドゥッガのレストランに13時到着。レストラン「Thugga」
 イスラム教では豚は食べないが、イノシシはOKとのこと
 ここのレストランの名物イノシシを食べる

    

 レストランを出て10分ほどでドゥッガ遺跡に到着





ドゥッガ遺跡
     チュニスの南西約100Kmにある。アルジェリア国境まで
     30Kmという内陸。ドゥッガは紀元前4世紀にヌミビア王国
     が築いた街でドゥッガは丘の上(600mの丘の上)という意味
     であった。
      紀元前2世紀後半にはローマ帝国がこの町を占領。
     その後東ローマ帝国の支配地域となった。このため、ローマ時代
     とビザンチン時代の遺物が残る遺跡。
       ここが最も栄えたのは4世紀ごろで人口は1万人でリビア人
     フェニキア人、ローマ人たちが住んでいた。

  復元図。 ローマ劇場、神殿等巡る
  

   ローマ劇場に入る階段           舞台
         

    3500人収容の劇場            VIP用の入り口
          

   舞台                   セリフを忘れた俳優たちに囁いた
                       穴(観客からは見えない)

         

  山の斜面をうまく利用している
         

  ローマ劇場と背後に広がる畑
        

                      最上部は丘につながっている
         

 神殿に向かって下る           神殿の壁が見える
      

  車輪の轍の跡が石畳に残る        商店のシャッター跡。鍵もかけていた
         


   

  神殿の横の広場にある柱は商店街の      天気予報盤。大きな円にアルジェリア
 アーケードを支えたもの           サハラ等の方向が記されている。
                       アルジェリアからの風が吹くと雨が降る
                       サハラからの風が吹くと暑くなる 

         

 神殿                    神殿の奥に3つの聖室
                       その真ん中に6mのジュピター像があった

           

  神殿の鷲の像の上にローマ皇帝
 アントニウスが乗っている彫像

        


          

  円柱が残っているのは商店街の       ここが商店街
  アーケードの柱

          

  芝生の部分はフォーロ(政治の中心)    これは下水のマンホール
  で大理石が敷かれていた          道路の下に下水道がある
  正面は裁判所、官庁があった

         

   細い道がオリーブ畑に向かっているが    アルジェ門(アルジェリアに向かう道)
  これはアルジェリアへの道。
  オリーブ畑の中に門がある(右の写真)

         

  民家の床にあるモザイク画       オリーブ畑のきわにある長い管は
                     水道橋で送られた水を一度この
                     貯水タンクにためた

        

                      ベルベル人の王の墓
        

  ここから下側がベルベル人の住居     ここはスポーツジム
        

   ベルベル人の王の墓。          トイレ(便座が並ぶ)
  オリーブ畑に麦、野菜の畑
  ここの遺跡住民の胃袋を満たした

         

 

 ドゥッガ遺跡からチュニスのガマルトのレスランへ


  ドゥッガ遺跡を16時に出発チュニス
  まで2時間(105Km)のバスの旅

  小学生の下校時間            菜の花畑

        

   チュニスのガマルトのレストラン     レストラン内部
                      シーフード料理の夕食

       

    レストランからホテルまではバスで5分かからなった

【2月27日】
 

 12.バルドー博物館

  
  ホテルを9時半出発のため朝はのんびり
  ホテルの部屋


      

  チュニス市内
         


 

 バルドー博物館



  バルドー博物館
     建物はオスマトルコ時代の長官(ベイ)の宮殿を改装したもの
     でチュニスの郊外にある。
     古代ギリシャ、古代ローマのモザイク画を中心に展示
     1888年創設されアフリカ最古の博物館でモザイク画では世界一。
     2015年3月18日に日本人3名を含使者22名を出した
     イスラム過激派による銃乱射事件が起こりチュニジア
     観光が中断された。今回4年間の中断を経て再開された

 




  バルドー博物館のゲート         ここが入り口
        

       

   2015年の銃乱射事件を悼み
  亡くなった方の氏名と国籍、それに国旗
  が飾られている

        

 カルタゴの墓地にあったものと同じ     フェニキア文字が書かれた石碑
 カルタゴの守護神バールハモン

        

 創造の動物
  

                        ローマ人がベルベル人を従えて狩りをしている
             


  カルタゴの遺跡で見つかったお墓のレリーフ
          

   オスマントルコの長官ベイの屋敷
          

  水道橋の出発点にあったものを持ってきた
  月曜日から日曜日までの暦

         

  下段はヤギの角かぶりを装着して仕掛け    下の右はイノシシ狩り
  網に獲物を追い込んでいる

           

 音楽を聞かせながらミルクを搾っている   オスマントルコ帝国の長官ベイの邸宅
(ミルクの出がいい)

                  

                       オスマントルコ帝国の長官ベイの邸宅
               

   漁船から捕った魚を運びその量を計測     ネプチューン
                         ドゥッガ遺跡から出土
                        (3世紀後半のもの)

            

   軍船の様子               イノシイ狩りをしてそれをバーベキュ
                       で楽しんでいる

           

   真ん中はヴエルギリウス、紀元前70年     四季を表わしている
  ローマでラテン文学の黄金期を出現させ    右上は夏、麦の実りで青年
  た。牧歌、農耕詩、アエネーイスの      右下は春、バラを摘む少年
  3作品が有名。パピルスに記載した作品     左上は秋、ブドウの実りで壮年
  を持つ。右は戯曲の仮面を持つ、左は歴史   左下は冬、オリーブを摘むで老人
  を持つ

           

 13.チュニスからドバイへ

 
 11時40分、バルドー博物館を       チュニス空港
 出発チュニス空港へ向かう


         

 空港への入場のためのセキュリティチェツク  空港ロビー
          

 チュニス空港を予定どおり14時55分に出発(飛行時間5時間50分)
 EK748(エミレーツ航空) 
 チュニス市街地上空

    

  ドバイ上空               ドバイの空港に定刻より45分速い23時到着  
        

  ドバイの巨大なチューブ型ゲート
   


  ドバイは真夜中だが大変混雑していた
  

 【2月28日】

 ドバイ発2時55分の予定がドア点検で出発が3時25分に
 遅れた。しかし成田着は定刻の7時20分。
 飛行時間は9時間弱であった。
 

 ■ チュニジア旅行は再開されたばかりであったが、アフリカの国とは思えない
   ほど道路もすべて舗装されていた。かっては各施設で徴収していた撮影料も
   なくなったそうです。治安もよさそうです




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