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 ポーランドの旅




                                             

 

1.スケジュール

 出発: 2018年7月12日〜20日

 

月 日 スケジュール 宿泊ホテル
7月12日 成田発11:00 フィンエアーAY074 ヘルシンキ着15:00  ヘルシンキ発20:25
 フィンエアーAY1163 クラクフ着21:25 バス 市内ホテル着22:25
ダブルツリーバイ 
ヒルトン ホテル
7月13日 ホテル発9:00 バス クラクフ市内観光(旧市街、織物会館、聖マリア教会) ヴァヴェル城 昼食 バス(70Km) オシフィエンチム アウシュビッツ強制収容所着17:50 見学 3Km離れたビルケナウ 見学 ビルケナウ発17:50 バス(70km) クラクフ着19:20 
ホテルのレストランで夕食  
ダブルツリーバイ 
ヒルトン ホテル
7月14日 ホテル発8:15 バス(80Km) ヴィエリチカ着8:50 岩塩鉱山ヴィエリチカ岩塩抗観光 
ヴィエリチカ発11:45 バス ヴァドヴィツエ着12:55 昼食 ヨハネ・パウロ2世生誕地を予定外
で見学 ヴァドヴィツエ発15:00 ヴィエリチカからザコパネまでは96Km ザコパネ着17:25
レジデンスナオサイド
ヴォール
7月15日 ホテル発9:00 バス ザコパネ観光(ザコパネ形式の住宅、旧墓地、旧木造教会、クルプキ通り)
 昼食 バス ヤシュチュルフカ木造教会 バス  ケーブルカー乗り場着14:20 山頂へ(4分)
山頂を自由散策 ケーブルカーで下山 バス ホテル着 ホテルのレストランで夕食
レジデンスナオサイド
ヴォール

7月16日 ホテル発8:00 バス (96Km) カルヴァリア・ゼブジトフスカ着10:00 修道院と巡礼公園
カルヴァリア・ゼブジトフスカ発11:00 バス ヴァドヴィツエ着 昼食 バス (335Km巡礼公園から) シヴィドニツァ着17:45  シヴィドニツァ平和教会(パイプオルガン演奏視聴) バス
ヴロツワフのホテル着19:30 ホテルレストランで夕食
ラディソンBLU
ヴロツワフ
7月17日 ホテル発9:00 バス (市内観光) 百年記念会館、聖ヨハネ大聖堂 バス (ここから徒歩)
旧市庁舎 旧市街 昼食 トラムでヴロツワフ ヴロツワフ発14:32 電車 
ワルシャワ中央駅着18:10 バス ホテル トテルのレストランで夕食

インターコンチネンタル
7月18日 ホテル発9:00 バス(52Km) ジェラゾヴァ・ヴォラ着10:10 聖ロフ教会 バス ショパンの生家
昼食 バス(52Km) ワルシャワへ ワルシャワのワジェンキ公園着14:15 見学 バス
王宮(ここから徒歩) 旧市街 旧市街広場 バルバカン 聖十字架教会 
ショパンのピアノコンサート 夕食(ショパンの通ったレストラン) バスでホテルへ
インターコンチネンタル
7月19日 ホテル発10:15 バス ワルシャワ空港  ワルシャワ発12:55 
フィンエアーAY1144(1時間44分) ヘルシンキ着15:35  ヘルシンキ発 フィンエアー
AY073(9時間35分) 
機中泊
7月20日 成田着9:10 帰国

   

 ■ポーランドの概要
  
(1)ポーランドは、周囲を7ヶ国に接していて国境を明確に
    分ける川、山などがなく大半が平地。
    その地理的位置が中央ヨーロッパのため侵略されて
    きた長い歴史がある。
  (2)面積は、日本の約4/5
  (3)人口は、3842万人
  (4)宗教は、88%がカトリック
    
   
     


 ■ポーランドの歴史(概要)
   4〜6世紀に起こった民族大移動の後、スラブ人がこの地に住みついた。
  962年ポラニエ族の族長ミェシュコ1世がスラブ族を統一してキリスト教を採用、
  ピャスト朝を立ち上げた。後を継いだポレスワン1世は1025年ローマ教皇から
  ポーランド王に戴冠され、首都をクラクフとした。しかし、息子たちは国を分割
  相続したため多くの公国に分裂した。
   1241年モンゴルが来襲で
ポーランドは消滅した。14世紀になると再度国家
  統一の機運が高まりヤギェウェ朝が誕生した。当時迫害されていたユダヤ人を
  保護し、移民も奨励したため人口も増加し国家は発展した。
   16世紀には繁栄のピークとなるが17世紀半ばにはオスマントルコの侵略があり
  国家は分裂した。
   1772年ロシア、プロイセン、オーストリアが第一次ポーランド分割を行いポーランド
  は、国土の約4分の1を失った。1793年に第二次ポーランド分割が行われ、1795年
  の第三次分割で
ポーランドは地図から消滅した。
   第一次世界大戦でドイツが敗れて1918年にポーランドは独立した。
  1937年ナチスドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦がはじまった。
  ドイツとソ連の密約によりソ連が侵攻し再び
ポーランドは地図から消滅した。
  1944年8月ソ連の呼びかけで20万人以上が蜂起するがソ連軍は進軍せず
  ドイツ軍に殺された。1945年ソ連影響下の共産党政府が樹立され共産党政権が
  続くが1989年9月に非共産党政権のポーランド共和国が樹立された。
  2004年にはEUに加盟した。

 ■今回のポーランドの旅の宿泊場所


    

    @ヘルシンキから飛行機でクラクフに到着
     クラクフに2泊
   Aクラクフからヴィエリチカ経由でザコパネへ
     ザコパネ2泊
   Bザコパネからヴロツワフへ移動
     ヴロツワフ1泊
   Cヴロツワフから電車でワルシャワ移動
     ワルシャワに2泊



 【7月12日】

 2.成田からクラクフへ


  ヘルシンキには15:00に到着。クラクフ行の飛行機の待ち時間は約5時間。
  ヘルシンキ空港の物価が高い。500ccのミネラルウォータが約300円。
  日本からの便数が増加したのか、空港内の案内表示は、英語、日本語、中国語
  ハングル。
      ヘルシンキ空港                    空港内
 
      

                            
    ヘルシンキからクラクフへ向かう             クラクフ空港到着21:25
   太陽は沈む

             

    クラクフ空港の到着ロビー
   添乗員の市倉さんと現地ガイドのエバさん

            

   空港を後に、市内のホテルへ
    

   宿泊のヒルトンホテル到着22:25          ホテルロビー
         


 【7月13日】

 3.クラクフ市内観光

 クラクフは、ポーランド第3の都市。約550年にわたってポランド王国の首都
 として栄えた。人口は約77万人でその内大学生が20万人で多数の大学
 がある。ヤギェウォ大学はポーランドで最古で1364年に創建された。
  コペルニクスもヤギェウォ大学で学んだ。現在の学生数は約5万人。  


  トラムが活躍している
        

 (1) 旧市街の大学街

  大学生は夏休みで閑散としている
        

    ヨハネ・パウロ2世もここで学んでいた
   

   
              

   ヤギェウォ大学の門                 門を抜け、中庭に抜ける廊下
                                壁、天井に装飾

         

   通路から中庭に出る                 中庭
           
 
                                  雨樋の水の吐出しが動物の口 
          

 
 (2) 旧市街の広場

   東西南北がそれぞれ400mの広場

  旧市庁舎の時計台


          
 
   首だけのモニュメント
          

  織物会館。ここは戦災にあわず中世のルネッサンス様式が残っている
  現在は、お土産屋が入っている

        

                               国民的詩人アダム・ミツキエ像
       
  

   聖ヴォイチェフ教会(10世紀創建)       聖マリア教会(1222年に造られた)
  ポーランド最古の石作り教会

        

 
 (3) 旧市街広場からヴァヴェル城へ

  観光用馬車                      ポンキュキ屋(揚げドーナッツ、1個150円
       


        


  

 聖ペテロパウロ教会                    
  17世紀に造られたバロックのイエズス会の教会      12使途の像

          

  すぐ隣は聖アンドリュース教会
   ロマネスク様式

   

  ピーター・スカルガの像。16世紀の僧で教授 反宗教改革者
          


            
   
   ヨハネ・パウロ2世が住んでいた建物
          

                                 ヴァヴェル城です
       

 (4) ヴァヴェル城

 ヴァヴェル城は11世紀に王の居城になった。城は歴代の王が増改築っを行った。
 ジグムントン1世が建てた金のドームが輝くジグムント礼拝堂はアルプス以北では
 もっとも美しいルネサンス建築と言われている


    ヴァヴェル城入場への坂道を登る           坂道の左には、復元資金に寄付したの名前
            

     王の戴冠式、葬儀などが行われた教会の     
    入り口

            

     ヴァヴェル城。内部は撮影禁止。
            

    ヴァヴェル城の模型                    ヴァヴェル城の観光終了
            

    クラクフ市内のレストランで昼食 
     

 4.アウシュビッツ強制収容所

 クラクフ市内から約70km、2時間30分かかる

    アウシュビッツ強制収容所
           アウシュビッツ強制収容所は、1940年から1945年にポーランドのオシフィエンチ市に
         第1収容所、隣接するビルケナウに第2収容所が造られた。収容されたのは、
         ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、同性愛者、捕虜、
         聖職者、エホバの証人など。出身国は28ヶ国。1941年を境に規模を拡大した。
         ピーク時の1943年には14万人が収容されていた。収容所はナチス占領下に100ヶ
         所あり、南はギリシャから北はノールウェーの各国の協力のもと貨車で送りこまれた。
         イタリアからは貨車ではなく座席車で送られた。強制収容所の死者数は150万人と
         されている。またポーランド人の死亡は30万人と言われている。

(1) アウシュビッツ強制収容所・博物館

   15時10分前に到着。多数の大型バス、乗用車が駐車している
   ドイツ、イスラエルでは小、中学生は必ず1回は見学することが課せられているそうです

    
       

      チケット売り場は長蛇の列です           セキュリティチェツクです。持ち込める
     ここは、案内人が必須。個人の場合は       バッグはA4サイズの大きさです。
     十数人で1グープにされる。             リュックなどもNGです

            

     収容施設の配置図
     ここはもともとポーランド軍の兵舎であった場所を
     ナチスが占領して、収容人員を増やすために
     平屋から2階建に改造した

      


     有名な「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)と記されている
    【B】の地が上下逆になっている。
    この言葉はナチスの造語と言われているが、それは間違いで
    ドイツ人作家の小説のタイトルであった。
    収容された人はこのゲートを通り収容施設に送られた

     

  高圧電流が流されていた塀                収容施設が並ぶ
           

    1つの施設に入る                     砕かれて捨てられていた人骨の灰を
                                   解放後(ナチスが撤退)集めたもの

            

    各国の死者数が記載されている。         
     ポーランド人は30万人

           

 チクロンBという毒薬。珪藻土にコーティングされた小石状で天井の穴から投入すると
 人間の体温で気化して20〜30分で窒息死した。1缶で300人を殺すことができた
 このチクロンBを製造していた農薬会社は今もドイツ国内で操業している

     

 ヨーロッパ各国から集めらえた収容者は1人30Kgの手荷物を許されたが、ここでそれもすべて
 没収された。それらの荷物や、身に着けていた靴などもすべて種類分けされ、再利用していた
 (分類分けする作業も収容者のうち選別されたものがやっていた)

           

     収容をスムーズに行うために、引き込み      北はオスロから南は、ギリシャまで鉄道
    線を作り列車での移動を可能にした         での運搬を可能にした。これは当時の
                                  ヨーロッパ各国の協力が不可欠であった

           


     銃殺処刑場(すぐ横は収容棟なので銃声はよく聞こえた) 
     

     抑圧
           アウシ
ュビッツの警備は6000人で収容人員は最大で14万人を超えた。
           このため圧倒的多数の収容者を多大な心理的抑圧を与える方法として
           @むち打ち、A後ろ手に縛り体を杭に吊るす、B90×90cmの狭い部屋に
           4人を押し込む立牢、C一切の水・食料を与えない餓死牢、D銃殺刑・
           絞首刑(公開)を行い恐怖心を植え付けた
            収容所からの脱走があるごとに脱走者の10倍の人数を見せしめに無作為
           に選び餓死刑を行った。この中で餓死刑の身代わりを申し出た「マキシミリアノ・
           コベル神父」の話がある。神父は看守が餓死したとしてドアを開いたところ生存
           していたので最後は薬物で殺されたそうです。


  ナチスが撤退時に大規模なガス室は爆破したため、現存しない
  唯一残った小さいガス室(格子柄のシャツ
  を着た人がここの説明員) (注)偏った説明をしないように公式説明員が必ず付く                

         
   

  ガス室の天井にはチクロンBの投入口         焼却炉
         

  これが小規模なガス室と焼却炉
   

 (2) ビルケナウ(第2収容所)

 アウシュビッツから約3Km離れたブジェジンカ村に1941年に 
 絶滅収容所として開設された。総面積は1.75Ku(東京ドーム37個分)


 駐車場から見えたビルケナウ              徒歩で向かう
         

   1942年完成した線路。
   ハンガリーのユダヤ人を運ぶために造った

      

   棟の上に登り全体を見渡す
   線路の間の平地が「選別」の場所          現在多くの人がいる場所

          

  当時の写真で、貨車から手荷物を持って降りる写真。
  この後、荷物はこの場所に置かされ、身1つで、選別される
  @男女、子供は分けられる、数は少ないがAナチスの判断で
   荷物の分類や再利用作業に従事する人などに選別される
   @は即座にガス室行となったそうです

              


  棟の上で
     


   広大な敷地にある収容施設。内部は、粗末な3段ベッド。現在建物は復元したもの
            


           


    トイレ棟。最初1年間はトイレがなかったので      トイレは1日1回一人数十秒だった
   悪臭がしたため、トイレが作られた            そうです
 
             

    実際に線路面から見た管理棟               選別の場所が後ろに
             


     (注)今回、クラクフの現地添乗員のエバさんの義母はこの収容所に入れられて
       いたそうです。運よく戦後解放されたそうです。アウシュビッツ収容所の説明は
       収容所の公式説明員は英語のため、エバさんが日本語でされた。エバさんの
       説明は、少し感情もこもっていたのでよかったです。
        この収容所では、双子がどのようにそれぞれ成長するかの研究など人体実験
       も行っていたそうです。


 【7月14日】

 5.ヴィエリチカ岩塩抗

 
  ホテルを8時15分に出発。ヴィエリチカまでは約80Km 

    高速道路を走る                      ヴィエリチカには8時50分到着 
           

 ヴィエリチカ岩塩抗
        1044年創業の岩塩採掘場。1966年まで操業。コストの問題と
        坑内での洪水が起きる危険性があり商業採掘は中止。
        現在は観光のみ。深さは地下327m、全長は300Kmに及ぶ。 

         
         
   ここが入場の入り口                   エレベータは6人乗りで大変狭い
   ここは年間100万人が訪れる
   エレベータコースと階段で行くコースがある

          

   エレベータへの乗り込み。
   日本人でも6人がやっと。2分ほどで到着      坑道は木製の梁、柱

          

   風圧調整のため木製扉が複数ある          人力で持ち手の棒を押していた
            
  

   床の中に塩分が入り光を当てると光る          岩塩でできたコペルニクル像
            

   すべて岩塩でできている
          

   13世紀にハンガリー王家に生まれたキンガ姫、ポーランド王から結婚指輪を贈られたが
  結婚を望んでなった姫はその指輪を投げ捨てたという場面

         

   壁に浮き出た塩を手で取り味見
  塩っぱい

        

   人、馬などで採掘作業していた様子を再現
        



     


   広い空間が広がる。長い階段を下る
   地下90mまで降りる                  こちらは昔の階段

            

   湧き水。塩が桶や樋に付着している          恥ずかしがり屋の小人は夜採掘を手伝う
                                  という像(岩塩で造られている)

          

   ホーリー・クロス礼拝堂                 聖十字架礼拝堂
   地下91mにある。19世紀に造られた

         


  ■キンガ礼拝堂
    地下100mにある。ここは、シャンデリアを含めすべて塩でできている
   天井の高さは10〜12m、奥行き54m、幅15〜18m

        


   天井も高い                      左右に下に下る階段がある(塩でできている)
        

   階段を降りる                     階段の壁にはキリストの物語が彫られている
        

   最後の晩餐。これらはすべて、ここの作業員が作成した
   これを作成した作業員は特別に美術学校に行くことができたそうです

         


  


  岩塩でできたシャンデリア(真下から見た)
           


  


 キンガ礼拝堂を出ると 地下100mにある地底湖
  


 地下1110mにある補修と修理用に組んだ足場     労働者のシンボルの
 ここは、17世紀終わりから18世紀に手作業で開削   ハンマーと斧
 された。落盤を防ぐための柱は梁も見える。
 現在は、2000年に10年かけて終えた足場など
 が見える

         


 ■ 地下の休憩室
    ここは岩塩坑道ツアーの道半ばですが、休憩所です。売店、トイレなどもあります
       


  休憩所を出たところにあるのが ゲーテ像
       

 ここでは、ショーの始まり。一度空間のあかりが消え真っ暗になる
 その後、ショパンの「別れの曲」が流れ、照明がつく

   
            

   

   かっては船で移動したが、船が沈没した後は船での移動はなくなった
   

  ここは天井まで39mあります
          


  地下にレストランがありました
         

   ホールもあり結婚式も行えます            礼拝堂です
         



   ここは、地下132mです               帰りは8人乗りエレベータで地上へ
        

  地上には11時45分到着。入場待ちの大行列です
   

 

 6.ヴァドヴィツェ


 ヴィエリチカからザコパネまでは約96Km。途中ヴァドヴィツェで昼食と
 ヨハネ・パウロ2世の生家を訪ねた


  12時50分過ぎにヴァドヴィツェの中心から少し      ここのレストランでは、ヨハネ・パウロ2世が
  離れた幹線道路沿いのレストランに到着         好物であったクレムフカがデザートででた
  ここで昼食
          

 ■ ヨハネ・パウロ2世の生家へ

    ヴァドヴィツェの中心にあるヨハネ・パウロ2世の生家まではバスで10分もかからない
   ので特別に立ち寄ることになった

   駐車場から生家に向かう                生家と隣の教会が見る
          

    生家は、教会の右手の建物
         


   これが生家です。大きな建物です。ヨハネ・パウロ2世の本名は「カルロス」
   俳優志望であったそうです


   

  教会の正面には写真飾られている          教会では結婚式がおこなわれようとしていた
        

    ヨハネ・パウロ2世像。現在は「福士」になっている。異例の早さ
   

 

 7.ザコパネへ


  ヴァドヴィツェを後にザコパネに向かう。
  ポーランドの大半は平原だが、ザコパネは、スロバキアの国境まで数キロ
  の場所。


    窓の外に見える住宅もスイスのような雰囲気になってきた
                    

 ザコパネのホテルには17時25分に到着            宿泊は5階左端(角部屋)
 スキーリリゾートホテル。玄関
  
             

   こちらが本館の様で、プールなどもある
     

    このホテルのレストランへ向かう           レストランは、道路沿いにある
                                 レストランの入り口

          

    弦楽器の演奏で迎えてくれた
    

 【7月15日】
 

 8.ザコパネ市内観光


  本日は9時出発のため、リゾートホテルでのんびり
             


              


    



 ホテルを9時出発。予定ではグバウフカ山頂へ向かう予定であったが
 現地ガイドの提案で、朝は曇りで遠くを見通せないが、午後は晴れるので
 午前、午後を入れ替えることになった。

    ザコパネ
           ポーランドの最南部でスロヴァキアとの国境まで数Kmの標高2000m級
           の山々が続く山麓に位置する山岳リゾート地。
            ザコパネ様式と言われる1階が石造り、2,3階が三角屋根で木造建築
           に独特の装飾や彫りを施した建築物が保存されている

 

 (1) ザコパネ様式の建築物観光



   ザコパネ様式を継承する人を養成するための美術学校。休みで閑散としている
          


        

 ■ザコパネ様式の家屋
   

 ■ザコパネ様式のお宅拝見
                               左奥に見える建物は、夏、冬などのシーズン
                               に低料金で貸す民泊家屋。ホテルなどの数
                               が少ない

         

 美術学校で作った作品を庭に飾つている       庭のあちこちに美術学校の作品が
        


        

 ■ザコパネ様式の傑作のお宅
   この作品が評価され現在は、ワルシャワに住んでいる


         


          

 ■装飾がきれいな家
    

 ■ スペインのガウディースタイルの家
   住民には酷評とのこと

   

  ザコパネ様式の通り                  スイス様式
        

 

 (2) 旧墓地


 旧木造教会に隣接して、旧墓地がある。
 現在は、入場料を徴収している

.
   旧墓地入り口
   ここにはポーランドの著名な芸術家、作家
   大戦の戦没者が眠る

          

   音楽家の墓
            


     

 

 (3) 旧木造教会


  この地方で最初に建てられた教会

  1851年に造られた                   日曜のミサの最中で小さい教会なので
                                中に入り切れず、外で立ってミサに参列されて
                                いた人が多数いた。ポーランド人は信仰深い

        

   教会入り口                       祀られているのはヤンナブラ僧院の
                                「黒い聖母子像」

           


         

 

  (4) クルブフキ通り


 ザコパネの繁華街
          


       


  ■教会の鐘を聞きながら歩いて昼食レストランへ
    

    レストランの入り口                  この地方の名物。スモークチーズを焼いて
                                その上にジャムを付けて食べる

         

 

  (5) ヤシュチュルフカの木造教会


   レストランからバスで15分程度走ると山の中に木造教会は出現する


   1902年ザコパネ様式を生んだ建築家 スタニワフニビトキェヴィッチにより
   建造された木造教会

          

                                   マリア像(1階の屋根)
          

 ザコパネ様式の職人が1904年に造った
          


   

 

 9.グバウフカ山頂

  
  グバウフカ山頂の標高は1136m

 ケーブルカー乗り場                    ケーブルカーが下ってきた。これに乗車
         

 頂上へ向け出発です。(往復で24ズルチ       中間地点ですれ違い
                約720円)          片道4分の旅

        

 ■午前は、雲が多く見通しが悪かったので、現地ガイドのアドバイス
  従い、山頂観光を午後にしたのは正解でした




   タトラ山系の山々の説明              下に見えるのはザコパネの町
        

 ザコパネの中心街。教会、クルブフキ通り       山肌に2本あるのはジャンプ台
                                ジャンプ台の近くがホテル
  
        

  人が寝ている姿に見える               山の上
        


  

   頂上の通り。まるで繁華街(本日日曜日)
        


  

 本日の観光は終了。ホテルには16時30分過ぎに到着
 サッカーのWカップロシア大会の決勝戦が17時から開始。
 今回ホテルの部屋のテレビは50インチの大型テレビ。
 夕食は19時以降の試合終了後に変更してくれた。
 場所は昨日と同じホテルのレストラン
 

 【7月16日】
 

 10.カルヴァリア・ゼブジトフスカ

     
  本日は移動日。ホテルを午前8時に出発。バスで96Km走り
  カルヴァリア・ゼブジトフスカへ向かう



         


         

  午前10時にカルヴァリア・ゼブジトフスカに到着
  修道院

        

  この教会に付随して全長6Kmのキリストの    十字架を背負い巡礼公園をめぐっている
  受難を疑似体験する巡礼公園がある。     イベントの写真
  巡礼公園の説明模型

      

  教会の回廊
       

  こちらが全長6Kmの巡礼公園の道
   

   教会の内部 
         


        

   
          

   カルヴァリア・ゼブジトフスカを11:00に出発。
   これから、途中に昼食をはさみシヴィドニツァまで約335Km


 ■ヴァトヴィツのレストランに14:00着
  本日は遅い昼食。途中に適当なレストランがないため

   

 

 11.シヴィドニツァ平和教会


 高速道路のインター出口が突然閉鎖されたようで、1つ手前のインターで
 一般道に降りた。このため、大幅に到着が遅れた


   一般道を走行したので、ポーランドの大平原の
  刈り取り前の麦畑                      刈り取られた麦畑

         


   

 ■ シヴィドニツァの平和教会に17:45に到着
   平和教会はヨーロッパ最大の木造教会
   1758年焼失したが2005年修復した
   カトリックとプロテスタントがここで和解したことから
   平和教会と言われている


   教会に向かう                      こちらが教会

          


          


  すべて木造。。大理石のように見せているが木造
           

 マルティンルターの肖像画が飾られている
 この教会でツアーだけのパイプオルガンの演奏があった
 到着が1時間以上遅れたので演奏者には長時間
 お待たせした

           

   教会の周りの様子。
   

   田舎道をかなりのスピードでバスは走る        19時半にやっとヴロツワフの街に入った
           

   ヴロツワフのラディソン ホテルに19時45分到着
   予定より1時間遅れ
   夕食はホテルのレストラン
 
    

 【7月17日】
 

 12.ヴロツワフ市内観光


  ホテルを午前9時にバスで出発。本日は雨。
 市内観光の最初はバスで移動。その後バスはスーツケースを
 積んでワルシャワに向け出発。人は、徒歩で旧市街を観光後
 列車でワルシャワに向かう


   ヴロツワフ
         ポーランドの第4の都市。千年以上の歴史を誇る街。ドイツ領であった
         時代が長い。街を横切るオルド川の12の島(中州)のうち1つのオストルフ・
         トゥムスキはもっとも古い歴史がある。
          近年「小人」を売りにしている。街中に250体以上の小人の像がある。
 
 

 (1) 百年記念会館


     百年記念会館とは
           1813年ナポレオン率いるフランス軍に勝利した
           ライプツィヒの戦いから100年を記念して建てられた

 
  ドーム型に見える建物が100年記念会館
  その前に細く伸びる塔は、1945年に第二次世界
  大戦の戦死者の慰霊碑。高さは90m

         

 

 (2) 愛の橋と聖ヨハネ大聖堂




  オストルフ・ソムス橋(愛の橋) 両方の欄干にはぎっしりと鍵がかけられている
        

     オルド川。右手は中州
        

   この地区が最も古い中州。                  これが、小人
              

   聖ヨハネ大聖堂
                          

     教会内部
    

 

  (3) 旧市街散策

 
   バスは、スーツケースを積んでワルシャワに出発。
  ここからは徒歩で観光

       

  ビルの壁面の装飾がきれい               2番目のビルの壁面を拡大したもの
        

    
        

   
         


         

 

  (4) 旧市庁舎


  旧市庁舎                         市庁舎の左側の入り口から地下に入る
                                 と1273年創業の老舗レストラン
                                 「ピヴニツァ・シフィドニツカ」
                                  ゲーテ、ショパンも訪れた

  
         


         

    見せしめ台。公開処刑なども行われた
    

 

  (5) 小人たち


 旧市街を散策する間に見つけた小人たち

                                  銀行の入り口近く
                                  ATMを利用する小人

           

  壁塗りをする小人                                      アイスクリム屋の窓辺
                                                   でアイスクリームを食
                                                   べる小人

         
 

         

 ゴルフをする小人
   

 

 (6) 旧市街で昼食


 旧市街にあるレストランで昼食            レストランの入り口
     


 

 13.ヴロツワフからワルシャワへ

   
  予定では、レストランからヴロツワフ駅までと日移動であったが
  雨が降るので、添乗員がトラムでの移動を提案し、トラム移動と
  なった。
    しかし、添乗員も初めてのトラム乗車で、トラムはいろいろな
  路線が縦横に走っているので大変。最初に乗車したトラムは
  駅とは反対方向のもので、数駅乗った後、反対行に乗り換えた。
   トラムの場合は、反対行に乗り換えるには道路を横断する必要
  があり時間がかかった。

   
   停車場でトラムを待つ、行先が違うのでパス       このトラムに乗車
           
  

   トラム車内。乗車率は高い
     

     ヴロツワフ駅。大変きれい。14時21分到着     駅はショピングセンタ併設のため広い
   ワルシャワ行は14時32分発車              現在14時24分
               
           

                                  14時30分 まだホームに着かない
                                   この先の階段を登るとホーム

           

    ホームの左側に停まっている列車が          乗車は前の方なのでまだ乗れない
   ワルシャワ行

          

   14時31分に乗車。発車まで1分を切る
     

   14時32分 定刻に発車。                 ヨーロッパの普通の電車のように半分が
                                   前向き、半分が後ろ向き

             

   この列車はあまり停車しない。1時間で数駅停車
         

   18時10分定刻より4分遅れてワルシャワ中央駅到着(約3時間半の列車旅)
            

    ワルシャワ中央駅から徒歩でも10分程度の     本日の夕食は、ホテルのレストラン
   インターコンチネンタルホテルに到着         メニューは以下の通り
          
             

   【7月18日】

 14.ワルシャワ観光


   ワルシャワ
         ポーランドの首都。第二次世界大戦で廃墟となったが、レンガのヒビにいたるまで
         復元して昔の町並みを回復した。1897年の市内の人口統計では約64万人、その
         うち22万人がユダヤ人(約34%)。2010年の国内ユダヤ人は3200人。多数の人々
         が戦争で命を奪われたことを示している。
          現在のワルシャワの人口は170万人。ワルシャワはポーランドの中では若い町。
         初めて記録に出てくるのは1281年。


  ホテルを午前9時出発。ワルシャワ市内から約52Km離れた
  ジェラゾヴァ・ヴォラに向かう


  朝の通勤時間だが服装はフリーのため        聖ロフ教会近くでコウニトリの巣
  背広姿はあまり見かけない

          

 

  (1) 聖ロフ教会


  ショパンの生家から10km離れたブロホフ村にある16世紀に
 建てられたルネサンス様式の教会。ショパンの両親はここで
 1806年に結婚。4年後にショパンが洗礼を受けた。


 午前10時10分 聖ロフ教会到着           ショパンが1810年に洗礼を受けた。
        

   教会内部
        


    
 

  (2) ショパンの生家

  

  ショパンの生家                     ショパン時代の
         

                                 ピアノ 
          

 楽譜                             ショパンと名づけられたバラ
         

  庭の各所からショパンの曲が流れている      左ひざを触れると戻ってくるといわれている
         


         

 ショパンの生まれた日が1810年2月22日と記載
 実際は3月1日。2月22日は両親が役所に提出の申告書に記載した日

    

 ■ショパンの生家のすぐ隣のレストランで昼食
   

 

  (3) ワルシャワのワジェンキ公園


  ショパンの生家からワルシャワのワジェンキ公園に14時15分到着

   ワジェンキ公園。敷地面積は76万u、劇場、植物園もある
           

  風にたなびく柳の木の下のショパン像
          

     ショパンの曲を奏でるベンチ            リストの像
          

  (4) 王宮と王宮前広場


  王宮
   16世紀末、クラクフからワルシャワに遍都したポーランド王ジグムント3世
   の居城。大二次世界大戦で廃墟となったが復元した

    王宮広場に立つ塔                      塔の先端にはジグムント3世像

              

    貴族の館
              

   

 

  (5) 旧市街地

    
  王宮前広場から旧市街を散策して旧市街広場に向かう


   窓が小さいと税金が安かった 
    
  

                                 第二次世界大戦で50万人が亡くなったと記載
           

                                  14世紀に建てられた聖ヨハネ大聖堂
                                  ワルシャワでもっとも古い

           

    マルクの教会                       第二次世界大戦で廃墟となった
                                  旧市街

           

    廃虚となった旧市街
    
 

  (6) 旧市街広場


 ここも瓦礫からの現在の姿に復元した。外観はできる限り昔のままで
 内部はアたらしくした


                                広場の中心には剣と盾を持つ人魚姫 
       

   ワルシャワの地名は、2匹の人魚
  (WarszとSawa)に由来

           

   広場にはいろいろな店が出ている            広場の周りの建物の中はお土産屋が多い
           

                                   ストリートミュージシャン
            

 

 (7)城壁に向け旧市街を散策

     

  通りの向こうに城跡が見える             第二次世界大戦の際の銃弾のあと
                               できる限り元に資材を利用している 

       

  城壁
      

 (8)バルバカン


 16世紀の中頃に城壁を強化するために造られた    足場の板あたりまでは本物、それより
                                  上は修復した新しいもの
 
           

    城門を抜けて外へ出る 
     

 キューリー夫人の住居(2階)
   

 

 (9)ゲットー


 ナチスドイツが第二次世界大戦時にユダヤ人を隔離するために
 ワルシャワ市内に設置した隔離地域。当時30万人がゲットー
 に隔離された



  ゲットーの地域                        ゲットーを囲んでいた壁の跡
          


 

 (10) 貴族の館


  貴族は2年に1度、ワルシャワの王に招集される。
  その際の貴族の館                    下女、使用人の住居

         
 

 (12)聖十字架教会

   
   ワルシャワでショパンが住んでいた住居。3階部分
   聖十字架教会のすぐ近くにある

  

   

    聖十字架教会。ショパンの心臓が納められている
                

   教会内部                       ショパンの心臓がある柱。
          

        


  ショパンの心臓
        ショパンはパリで死亡するが、パリで看病していた姉のルドビカが密かに心臓
        を取り出し(これは犯罪行為のため見つかれば捕まっていた)壺に入れて
        コニャックに浸してワルシャワに持ち帰った。この壺をこの教会の柱の最下部
        に押納した。
         第二次世界大戦中に壺はナチスに押収され持ち出されたが、それが幸い
        して教会は戦火で崩壊したが、壺は無事であった。教会の再建後壺は元の
        場所に納められた。
         戦後、ショパンの死因調査のため取り出したが、心臓の崩壊を恐れ元に
        戻した。



      アウシュビッツから生還したなどの祈りが記されている
              

 

 (13) ショパンピアのコンサート


  ショパンのピアノコンサート会場            60分間のわがツアー16名のみのコンサート
        

        

        
   演奏者
          


 

 (14) ショパンが通ったレストランへ

   
 ピアノコンサート会場からレストランへの途中にある貴族の館(現在はホテル)

    

   ショパンが通ったレストラン「ホノラトゥカ」       レストランは半地下。レストランに入る
          


   本日の夕食はここです。レスラン内部
     

      本日は、夕食を外で摂ったのでホテル着は20時25分

 【7月19日】
 

 15.ワルシャワからヘルシンキへ


  本日は帰国日、ホテル出発は10時15分

 

 (1)インターコンチネンタルホテル周辺散策

    
   宿泊の部屋(24階)から見た風景          駅周辺はこれから再開発され予定とか
         


   ホテル前の歩道からワルシャワ中央駅方面(駅まで徒歩10分かからない)
            

    文化科学宮殿                         文化科学宮殿(上部)
   1955年、当時のソ連が建築しポーランド人民に
   プレゼント。高さは237m、尖塔の高さは49m
   部屋総数3288室

                

    2連結バス。東京でも見れるようになるかな        右端はワルシャワ中央駅
                                     ホームは地下

              

      地下のホーム。午前8時で閑散している       コンコース。昨日の到着時に歩いた
     近郊の電車はすべて、1つ手前の駅止まり

              

      ワルシャワ駅の隣にあるショッピングモール     インターコンチネンタルホテル
    スーパーマーケットはここの地下
     

             

  (2)ワルシャワからヘルシンキへ


   ホテルを10時15分に出発。ワルシャワ空港には    ワルシャワ空港出発ロビー
   10時40分到着。

            



  ■ ヘルシンキ空港に近づきヘルシンキ湾が見える
      


  ヘルシンキ着15時23分。
  ヘルシンキ発17時23分離陸 成田へ


 【7月20日】

     成田着陸 8時25分。ターミナルへの到着9時10分




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