シルクロードの旅(ウルムチ、トルファン、敦煌、西安)




                                                

 

1.スケジュール

 出発: 2016年10月14日〜22日

 

月日 スケジュール 宿泊ホテル
10月14日 成田発10:55 MU272 上海着13:20  上海発17:05 FM9221 蘭州経由 蘭州発21:20
ウルムチ着00:15 バス ウルムチ市内のホテルへ
新疆海徳酒店
10月15日 ホテル発10:00 バス 新疆ウイグル自治区博物館 到着10:40(桜蘭の美女など見学)
バス発12:40 天池着14:10 亜克酒山頂で昼食 天池専用バス発15:00
天池山頂着15:40 徒歩 展望台 天池遊覧船乗船 天池専用バス発17:10 
ホテル着19:00  
新疆海徳酒店
10月16日 ホテル発9:30 バス(200Km) 途中 風力発電の風車群 トルファンのレストラン着12:20
 昼食 レストラン発 バス 高昌故城着14:20 観光 バス アスターナ古墳群着15:25
観光 バス火焔山着16:10 バス ベゼクリク千仏洞着16:20 観光 バス発17:20
トルファンの夕食レストラン着18:15  
TU-HA PETROLEUM

10月17日 ホテル発9:30 バス 交河故城着9:40 観光 バス発11:15 民家着11:40 バス
バザール着12:40 バザール見学  バス レストラン到着13:30 昼食
蘇公塔着15:40 観光 ホテル18:40 
TU-HA PETROLEUM
10月18日 ホテル発9:00 バス トルファン北駅着9:20 トルファン北駅発10:21 新幹線(450Km)
 柳園南駅着13:56 バス(130Km) 敦煌 月牙泉・鳴沙山着16:00 観光
バス発18:10 レスラン着18:30  
太陽大酒店
10月19日 ホテル発8:20 バス 莫高窟映像館 専用バス 莫高窟着10:00 9窟見学 
13:30昼食(市内レストラン) 午後は8窟を見学(このうち2窟は特別拝観) バス
市内レストランで夕食18:45
太陽大酒店
10月20日 ホテル発8:00 バス(100Km) 玉門関着9:25 観光 玉門関発10:00 バス
漢代長城着10:12 観光 漢代長城発10:40 バス 西千仏洞着11:10 観光
西千仏洞発12:00 バス 敦煌市内レストラン着12:25 昼食 敦煌空港へ
敦煌発15:50 MU2216 西安着18:15 西門観光 夕食レストラン着20:10 夕食  
西安維景大酒店
10月21日 ホテル発8:00 バス 青龍寺着8:20 観光 バス 陝西省考古研究所陳列室着10:00
見学 レストラン着11:50 昼食 バス 兵馬俑坑博物館着13:30 見学 バス発16:10
大雁塔着17:00 観光後夕食レストランへ 
西安維景大酒店
10月22日 ホテル発5:00 バス 西安空港へ 空港着6:00 西安発8:00(遅れて8:30出発)MU521
上海着10:00(遅れて12:00到着)
上海で出国検査、手荷物検査を受ける
上海発12:00(遅れて16:25出発) MU521
成田着15:22(遅れて20:10到着)

 上海に台風から変わった温帯低気圧が通過したため上海空港のすべての便の離発着
 許可について管制官からなかなかおりなかったため
帰国


       

  今回のシルクロードの旅は、天山北路で新疆ウイグル自治区の首都のウルムチ
 と天山北路と天山南路の十字路のトルファン、河西回廊の西の敦煌、
 当時の都(世界都市) 長安(現在の西安)をめぐる旅

  【シルクロード】とは何かのおさらい

  シルクロードについてはご存知の方が多いと思いますがここで再度記載します
  19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンがその著書で使用したのが最初。
 シルクロードの起点は中国の長安(現在の西安)とシリア、ローマを結ぶ交易路。
 長安から蘭州で黄河渡り河西回廊を経て敦煌に着く。ここから大きく道は3本に分かれる
 
1.西域南道
  敦煌を出てホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠南縁のオアシスをたどって
  パミール高原(標高5000mを超える)に達するルート。紀元前2世紀ころには確立
  されていたもっとも古いルート。7世紀には玄奘三蔵がインドから帰途にこのルート
  を利用。13世紀にはマルコポールがこのルートを利用。距離的にはこのルートが
  もっとも短い
 
2.天山南路
  敦煌からコルラ、クチャを経て天山山脈の南麓に沿ってカシュガルからパミール高原
  に至る。玄奘三蔵は、途中まで天山南路を行くが、商人の隊商に交じり途中から峠越え
  して天山北路に変えてインドに渡った
 
3.天山北路
  敦煌または少し手前の安西から北上し、ハミまたはトルファンで天山南路と分かれ
  ウルムチを通り天山山脈の北麓沿いにイリ川流域を経てサマルカンドに至る。
  砂漠を行く2つのルートにくらべれば水や食料の調達が容易でパミール高原を超える
  必要もない。このルートは紀元後開かれた。

  シルクロードは常に3本の道通れたわけではなく、特に天山北路は騎馬民族の匈奴、
  突厥、スキタイなどの勢力が強固な時代は通行できなかった。また、中国王朝が
  西域に勢力を伸ばした時期は通行が活発化した。

 シルクロードを通して、中国からは絹織物、陶磁器がヨーロッパへ。ヨーロッパおよび西域
 からは、ガラス製品、建築様式など東西文化の大動脈となったが、大航海時代の幕開けで
 その役目は終わった。





 【10月14日】
 1. 成田からウルムチへ

  成田発10:55 の中国東方航空で上海経由ウルムチへ出発。
 ツアーの募集パンフレットは成田発午後便で上海経由ウルムチへ出発する
 はずであっが、上海乗り継ぎうまくいかないため午前便に変更になった。
  成田出発時は気温が高く夏がまだ居座っているようであった 


  上海の浦東空港に着陸、成田から3時間25分 広い空港まだ建設中
         


 上海空港では、1320到着で接続便が17:05で待ち時間が長いので
     航空会社から80元/一人のミールクーポンが出た。利用できるお店
     が限定されているため、日本式のラーメンと二人で餃子1皿を食べた
     これで160元では不足したので追加を現金払い。かなり高い。

     これが高額ラーメン
     

  成田出発時                国内線にある商店
      

  
搭乗はバスで飛行機まで
  

  (1)上海発の17:05は中国東方航空の子会社の上海航空の運航便
    上海からウルムチまでの直行便ではなく、途中の蘭州で降りる。
 (2)蘭州では手荷物すべてを持って飛行機から降りる。
    20〜30分で搭乗開始されるのでまた同じ席に乗る
   このとき珍事が発生。ツアーメンバーで席に座ろうとすると蘭州から
   搭乗した人が座っている。航空券の座席を聞くと明らかに別の席。
   乗務員に言って席を空けてもらうように言うと、この答が中国流。
   「後ろに空席があるのでそこにかけてほしい」間違って座っている人
   が変わるのではなく正しい人が変わらせられる。
   【中国では座席指定を守る規範がうすい。空いていれば座る】
  (3)ウルムチは、日付の変わった午前0時を過ぎて到着
    ウルムチには珍しく雨であった。午前0時過ぎだが空港には
    飛行機が次々と着陸し、ロビーにはたくさんの人がいた。
    旧ソ連から独立したウズベキスタンとロシアなどから直接
    国際線が乗り入れているそうです



   蘭州の空港。手荷物をすべて持って飛行機から降りる
  飛行機は1時間程度止まるが出発20分前には搭乗するため
  待合室では20分ほど過ごし、同じ飛行機の同じ場所に乗る

        

  ウルムチ空港到着。着陸は午前0時15分。上海から7時間かかって到着
        

  ウルムチ空港               午前1時50分 やっとウルムチのホテル着
                      成田を出て15時間(遠い)

        

【10月15日】
 2. 新疆ウイグル自治区博物館

 ウルムチ
      (1)新疆自治区の首都
      (2)市区部人工135万人、都市圏人口183万人
      (3)1950年以降中国政府の政策で漢族が進出。現在は漢族は、40%
         ウイグル族45%となっているが、実際は漢族の人口が
         ウイグル族を超えている推測されている
      (4)時間はすべて北京の標準時間だが、実際は北京時間から2時間遅れた
         ウルムチ時間で経済活動している。


  朝8時(実際は時差があり午前6時)
 公園で太極拳をする人たち
 画面下の公園に2台駐車しているのは     市内は高層ビルが乱立
 公安(警察)の車両(常時監視している)

          

   宿泊のホテル玄関。セキュリティ検査
 のためX線の手荷物検査機を設置している   ホテルロビー

          
  
  宿泊のホテル玄関
   

   宿泊のホテル               朝、太極拳をしていた公園 
          

   ウルムチの会社は午前10時出勤とのこと
  (時差を考慮すると午前8時となる)
  このため、交通も少し空いてきている

          

  新疆ウイグル自治区博物館
       


  楼蘭の美女のミイラ:3800年前のミイラ(身長155cm、死亡推定年齢40歳)
 発掘された当時は白かったミイラは空気にさらされて黒ずんでいた

           

 発掘された当時の写真             下の写真は復元写真
         
   
    ヨーロッパ人と蒙古人のハーフのミイラ。2800年前のもの
   

 高昌故城の大将軍張雄(河南省出身)のミイラ  こちらはミイラからの復元
            
.
   漢の時代の杖               胡人の服装の人形。出土品
           
  
  唐の時代のもの。トルファンから出土
  


 
 3.天池へ

  ウルムチ標高900mだが、天山山脈にある天池は標高1980m
 約100Kmの走行距離

  ウルムチは高層ビルと高速道路がある大都会


      

 14時に天池のチケットセンタに到着。
 そこのレストランで昼食

   

  チケットセンター
  ここからは専用バスで展望台まで行く(バスは約40分)

         

   チケットは 215元/人(約3740円) シャトルバス代込
     

  これがチケットセンター         ここは展望台までのシャトルバス乗り場
        

  羊の群れ                川沿いをバスは走る
        

  展望台のシャトルバス発着場        昨夜の雨が標高の高い天池では雪
                      このため、バス発着場から展望台までの
                      電気自動車はスリップなど危険防止で
                      運行停止。全員徒歩で展望台へ

        

  初雪です                雪景色もまた格別
        

  
        
 


       

 天池(標高1980m) 後方には天山山脈
 の東方では最高峰のボコダ峰(5445m)
 が見える

       

  雪を抱いてのがボコダ峰(5445m)    天池の遊覧船に乗船。湖を一周する
         

  木々が紅葉している中で結婚式の
  写真撮影をしている  
        


 【けあらし】
 陸地からの冷気に湖面の水蒸気が触れて
 発生している

           

                                       下山の際も谷間で冷気による霧が発生
                       していた

          

   霧です
   

  郊外からウルムチの中心部へ入る道路では警察による検問がある
 このためパスポートは常時携帯する必要がある
  今回は外国人の観光ツアーバスのため検問はフリーで通過した


【10月16日】

 4.ウルムチからトルファンへ


  午前6時45分ごろの公園           午前8時15分 日の出です
 実質は時差2時間あるので5時前

          

 昨日同様、太極拳を行う人が多数集まってきた  これが公園 
           

  ウルムチの街
           

  ウルムチの街               高速道路沿いの木々は紅葉
                      木々を植樹している

         

  砂漠化を防止のため多数の木々が植樹    ウルムチからトリファンに向けて
 されている                ゴビ砂漠の中を200Km走る(高速道路)
                      ここは、天山山脈の雪解け時のみ
                      できる大河。こちらでは季節川という

         

  風力発電の大風車群、はるかかなたの山麓まで風車は続く
 ここはゴビ砂漠。砂漠といっても砂ではなく土漠のため、砂漠に吹く風を利用している


           

  道路両側にある。数百基はあり、まだ建設もしている
          

  ボコダ峰(5445m)            新幹線の線路とボコダ峰
          

   昨日天池で見たボコダ峰とは見る方向が異なる
    

 5.トルファン観光(1)


  ウルムチのホテルを9時30分に出発。約200Km走り、トルファンのレストランに
 12時20分到着。

 
 トルファン
    天山南路と天山北路の交差点にある。トルファンとは、くぼんだ土地という意味
    トルファン市街は海抜50mで近くの湖はー154m。
     ユーラシア大陸のへそと言われている。標高が海面下の土地が多く、寒暖の差
    が大きく夏には50℃近くに達することもある。降水量が少なく年間で15〜18mm。
    このため、ブドウ、ハミウリ(トルファンで栽培し、ハミ経由で出荷したので
    この名前がついた)などの果物が特産。
     人口は55万人でウイグル族が70%、漢族24%など


  トルファンの街               ここが昼食レストラン
          
   
   ブドウの棚                ブドウの棚の奥には、ブドウを乾燥させ
                       干しブドウにする建物


           

  ブドウの葉を刈り取り。羊に食べさせるため運ぶウイグル人
 夏の暑さ対策で道路を覆う木々の中を行く


          

 (1)高昌故城


   高昌故城は、トルファンの東48Kmの火焔山の麓にある。
      紀元前1世紀から14世紀にかけての新疆の政治・経済・文化の
      中心地の1つ。東西1500m、南北1600mの正方形をしている。
       629年玄奘三蔵はインドへの求法の旅の途中この高昌国(仏教国)
      の国王の命でこの地に1ヶ月留まり説法を行い、インドからの帰路
      再度立ち寄ることを約束した。16年後の帰路の時は唐軍により
      高昌国は滅ぼされていた。

  高昌故城                遺跡の受付(チケット売り場)が地下に変更になった
                      夏の暑さ対策のため


          


    以前はロバが引く馬車であったが
  今は電気自動車

           

    東南小寺
    

   内城跡
                       

   大仏寺(当時もっとも大きな寺)

           

   説法寺:玄奘三蔵が説法していた寺      
  (玄奘三蔵の時代以降の建てられた
    との説もある)

           

   説法寺の内部
  壁の穴は仏像がおかれていた。(内部は高昌国の王族しかはいれなかったとのこと)

    


   遺跡で音楽を奏でるウイグル人
  日本人と判断すると「四季の歌」を弾く

            


    高昌故城はジンギスハーンによって滅ぼされた

  (2)アスターナ古墳群


   高昌国と唐の時代の住民の墓(3世紀からの墓)

    アスターナ古墳群の入り口         
             

          

    この地下に古墳群がある           地下室に入る
              

   墓室の壁にはこのような壁画がある
  中はたいへん暗いので強力な懐中電燈が必須
  (ネットに掲載されているもの転載)

             



 (3)火焔山


  火焔山
        西遊記でおなじみの火焔山。
     長さが98Km、幅9Km、標高が500mある
     夏には表面温度が70℃を超えるので、温泉卵ならぬ
     火焔山卵ができる。販売している。
     火焔山を玄奘三蔵も歩いている
     

             

                         火焔山の峡谷をを流れる川
            

  中国のTVロケ隊。

             
  
   夕日に染まる火焔山
   
.

  (4)ベゼクリク千仏洞


  (5世紀から14世紀までの洞窟壁画がある


  (ベゼクリク千仏洞の入り口         崖に穴が開いているのが洞窟入り口
          

   階段を下る                 崖面に洞窟がある
          


          

   壁画の受難
   1. 14世紀にイスラム教勢力が拡大し仏教が衰退した
     イスラム教は偶像崇拝を否定しているので、壁画の
     人物の目をくりぬいたり、壁画に泥を塗ったりして
     破壊した。
   2. 19世紀には各国の探検隊がシルクロードに入り壁画
     の一部をはぎとりそれぞれの国に持ち帰った。
      
  ウイグル族の王たち        ウイグル族の王女(中国の本から)

            

   これは泥を塗られ、目がくりぬかれている
   

  火焔山の前に有料の施設が造られて     宿泊のホテル
 この場所は撮影できない          トルファン街の中心部にある
               
        

【10月17日】

 6.トルファン観光(2)


 ホテルを9時30分に出発
  

 トルファンはウイグル族が多く市内でもよく見かける
 市内のウイグル族の住居

      

 (1)交河故城


  交河故城の新駐車場には15分ほどで到着
  ここから電気自動車に乗り換えて交河故城へ行く


           

   電気自動車で遺跡に向かう         ウィグル族の農民が乗る三輪トランクター
          

 交河故城
      漢の時代から残る城塞都市。遺跡は全長1650m、幅300m、高さ30m
    あり、周りを河に囲まれた天然の城塞。紀元前2世紀には車師前王国
    の王都となり、唐の時代には屯田兵がおかれた。14世紀の元の時代
    に戦火で焼け落ちた。城塞は寺院区、官庁区、墓地区と分けられて
    いた。



   交河故城の遺跡入り口           遺跡の全体図
         

   遺跡に入る                風でえぐり取られて
         

  富裕層の住居跡            ラクダ草が生えている
        

  南部仏寺
     

   年間降水量が15mm程度のため、このように遺跡が残っている
    

   唐の時代の役所跡             右下の格子板の下には井戸があった

         
 
   右側の木製階段は観光用のもの       4重の門があった跡。
  左側が唐の時代のもの

           

  穴が開いているところは門の警備所      滑車を利用して井戸から水を汲んだ
                       台所

            

                        中級住宅街

             

    下層住宅街                 大仏寺 
  (地面の小さい穴は赤ちゃんの墓
                          

             

   お店や宿屋が並んでいた場所
            

    



             

    遺跡めぐりが終わり、出口近くで       残り少ないハミウリもありこれも購入
   スイカを食べた               今年最後のものであまり甘くなかった
                        すると無料でもう1つ出してくれた
                        スイカもハミウリも旅行社が負担

             


    

 (2)民家訪問


 ウイグル族の民家を訪問      
 ここが玄関                 試食用の干しブドウなどが用意されていた 
        

            

   ここには、NHKの取材番組で        このおうちのブドウ畑
  速水もこみち氏が訪問し、その様子が     自宅の裏側にある
  日本で放映されたそうです

           

   ここが自宅の屋上。雨が降らないので簡単なつくり
    

 (3)バザール見学


 庶民の台所であるバザールを見学

           


            
 
 乾燥した果物を売る親子
          

  ナンを窯で焼き店先に空中陳列している    この熟練の技

          

   

   ファーストフード店
          

 (4)昼食レストランで民族舞踊


  昼食レストランでお店の従業員が民族舞踊を披露
 ツアーメンバーも加わり盛り上がる

   

 (5)蘇公塔


  
   1778年、蘇来万が父親の額敏を記念    ミナレットは高さ35m、底部の直径は11m
  して建てたミナレット          ミナレットの前の像はエミン王(ウイグル族の王)

         

  

 【10月18日】

 7.トルファンから敦煌へ


    ホテルを9時に出発。

   宿泊のホテル              トルファンの街から15Km離れている
                       2014年完成のトルファン駅



            

     ゴビ砂漠の中にぽつんとと駅がある   
            
  
    駅のはるか手前で降ろされる。スーツ    第1回目の手荷物検査
  ケースなどはポーターに運搬してもらう   ハサミ、果物ナイフを含めたナイフも
  濃いグリーンのジャンバーを着ているのが  NG。外国人はパスポートも必要
  ポーター。バスで手を振っているのが
  運転手の張さん

            

   2回目の手荷物検査。新幹線に乗るには    とても広い待合室
  大変

           
  

                        乗車券には名前が記載されている
                       本人かどうかチェックされる

          

   この駅の発着列車             電車の到着ホーム
  ウルムチ始発の電車は30分に1本と多く、  この駅は階段での上り下りが多く、
  ウルムチに向かう電車は2本しかない    エスカレータ、エレベータはない



          

   
  新幹線は定刻運転しているとの現地     運転手
  ガイドのとおりきちんと定刻に来た

          

   新幹線車内(3人と2人掛け)
  この電車は日本製。
  網棚の紙が貼られていて見苦しい

          
  
   ゴビ砂漠の中を走る。            石油採掘の井戸が並ぶ
  大規模太陽光発電がおこなわれていた


          


   この新幹線は200Kmを超えるとスピード  デッキには荷物置き場があるので
  表示された。かなり遅いスピードで走行   その点は日本の新幹線より便利
  しているみたいで揺れもなく快適      トイレは様式と中国式がそれぞれ1つある


          

   この女性乗務員は、この車両専属で     乗車率は50〜60%程度であった
  ゴミの回収などを行っている

          
  
  車内販売の女性。コーヒーなどを売っている  ポプラの間に綿花畑
          

  ここは、ハミ。一面の綿花畑         ハミ駅到着12時23分。6分間停車
          

   中国式の駅弁。温かくなっている。     食堂車はあるが、立ち席のため弁当になった
  見た目はおいしいと見えない

           
 
   ウルムチからトルファンまでのバスの     柳園南駅到着13時56分。
   運転手の張さんからのブドウの       トルファンから450Kmを3時間30分
   プレゼント。おいしかった

             

    柳園南駅                  ツアーメンバが下車

            

    蘭州西に向けて列車は出発         柳園南駅。ゴビ砂漠の中の駅
                       住民は鉄道関係者のみ。水がないため、毎日
                       敦煌から運ぶ。食料もすべて敦煌から

            

   柳園南駅から敦煌までは130Km       ゴビ砂漠のまっすぐな道を進む
  バスで2時間30分。
  これは東京から静岡を超える距離

             

    砂漠中の草木は紅葉している
   

 

 8.鳴沙山・月牙泉(敦煌)


     
   敦煌
   敦煌は観光業の街。都市部の人口は6万人。周辺を合わせて12万人。
   平均気温9℃、年間降水量39mm。
   鎌倉市、大分県臼杵市姉妹都市。井上 靖の【敦煌】や平山 郁夫の絵画が有名
   

      

  鳴沙山
    敦煌市の南5Kmのところにあり、東西40Km、南北5Kmで最高峰
    は250mの砂山。風が吹くと音を立てるのでこの名前が付けられた。
     鳴沙山の中にオアシスとして月牙泉がある。月牙とは三日月という
    意味で、三角形をした池と寺がある

 
     駐車場から鳴沙山へ向かう         木々は紅葉している
   現地ガイドの陳さん

            

   鳴沙山                   鳴沙山の中腹まで行くラクダ
            

                         ここの砂は細かく風で飛び、カメラなど
                        入ると壊れるので、カメラ、ビデオは
                        ビニール袋で防衛

            

   こちらのラクダのコースは長い        ラクダは1500頭いるとことです
  料金も高い.ツアーでは月牙泉コース


           

                         砂除けカバー(30元)を付けて記念撮影
            

     月牙泉まで行きは電気カート        月牙泉
             

  月牙泉の大きさの縮小
      月牙泉は3000年間砂漠の中で一定の水位を保ってきた。しかし、文化大革命
   の際に寺の部分は開墾され畑となり、その畑の灌漑用水として月牙泉の水が利用
   された。その後、地下水調査として月牙泉の水をすべて抜くことが行なわれ、
   その後地下水脈が変わり月牙泉の大きさは小さくなった。
    また、近年敦煌の観光が拡大し地下水の利用が増加、それも月牙泉の水位低下
   を招いている。現在、地下水の利用を制限するため灌漑用水の工事を行っている
   そうです。

     
     鳴沙山への登り口。            砂山を滑る場所までは、はしごがある
                        ので歩きやすいがその後は足を取られて
                        登るのは大変

            

   途中休憩の場所からの眺め           頂上に到着
                         

   頂上に到着                  月牙泉(三日月の泉)が見える
             


 
            

                         亀のようにはいつくばって登る人
            


            

  ラクダで帰還です
  5頭のラクダつないで1人の御者が先導
            

    鳴沙山のラクダ乗降口へ出発
          


    ラクダ乗りはここで終了
        


          


          

                                        鳴沙山へ太陽が沈む
           

   鳴沙山への登山、ラクダ乗り、楽しい時間です

     夜の敦煌の街
          

    敦煌のホテル
      

 【10月19日】

 9.莫高窟(敦煌)

  敦煌のホテルを8時20分に出発。莫高窟の入場前の映像館の予約9時30分
 に間に合わせた。ホテルからプレゼンテーション館まではバスですぐ


  道路端は植林されていて水もやっている
        

  莫高窟の一般入場券(200元)      これが巨大なプレゼンテーション館
                     莫高窟の入場者は必ず見て、専用バスで
                     莫高窟に向かう

        



  プレゼンテーション館は大変な混雑      9時30分の列に並ぶ
         

   2ヶ所で放映される。まずは西域の     大きな部屋はいっぱい
  漢族と匈奴、モンゴル族などとの闘い
  の歴史。紀元前110年代の漢の時代の
  張騫(2度も匈奴に捕まる漢の朝廷に
  帰り西域の情報をもたらす)や漢族
  との攻防が三国志のTV映像同様に
  繰り広げられ

          


  20分ほどで終了すると、次は別の部屋に移動。
 ここは半球形のスクリーン(プラネタリームと同じ)椅子も斜め
 半球形のスクリーンに複数のカメラから莫高窟の代表的な画像
 を映し莫高窟の説明がある。両方合わせて約40分。

    専用バスで15分ほど走り莫高窟へ      大泉河(天山山脈の雪解けの時に水が流れる)
                        木々の上に穴があるのが莫高窟
                        大泉河の氾濫で莫高窟が浸水したこともある

            


   莫高窟
      敦煌から25Km離れた鳴沙山の東端の断崖に彫られた石窟群。伝説によると
   五胡十六国時代の366年鳴沙山を訪れた僧が金色の千仏を見て石窟を作り始めた
   といわれている。石窟の中で一番古いものは5世紀中ごろで、元の時代まで1000
   にわたって続いた。石窟は600あまりある。


         

     莫高窟の配置図
          
  
  ポプラ木の奥が莫高窟。見学用の通路がある

          


            


             

    九層楼              九層楼は96窟で内部は大仏
                    高さ33mの弥勒菩薩像(695年造営)

                     

    96窟の入り口              木造の講堂
          

   各窟は見学者が容易に移動できるように通路が洞窟前部
  に作られている。また、各窟は施錠されており、案内人
  (有料)を雇うと案内人がカギを開け説明もしてくれる
  日本人の場合は日本語が話せる案内人が付く
   洞窟の内部は暗く、案内人も懐中電灯を持ってくるが
  強力な懐中電灯は必須。数人の外国人が案内人もなく
  見ていたが、偶然入り口が開いているときは入れるが
  それ以外は洞窟に入ることもできない。

  
            

  16・17窟
   1900年の6月25日道士の王園禄が窟門の裂け目から偶然
   蔵経洞を発見した。窟内には4世紀から11世紀にかけての
   各種写本、文物が5万点隠されていた。
    20世紀に欧米と日本の探検隊が史料価値側がわからない
   王園禄から史料を買い取り母国へ持ち帰った  


    16・17窟の入り口          写真奥が16窟の入り口
                      左の入り口が17窟(経典などがあった場所)  


           

   道士の王園禄の住居
           





    
   
  61窟の五台山図(当時の境内を正確に表している)
     


  45窟・有料窟(この窟に入るだけで200元)      商人が強盗に会う場面
  釈迦如来を中心に脇侍菩薩、天王、阿難
  葉迦、脇侍菩薩、天王が並ぶ。盛唐時代

            

     428窟
   古代インド王の息子3人が飢えて瀕死の母親トラと7頭の子トラ発見
   一番下の息子が二人の兄を先に帰し、トラの親子を救うため自ら
   命を絶ちトラの親子を救い仏となった話

      

  427窟
  3世仏(過去、現世、未来仏)
  衣にはペルシャ風の流行が描かれている 

                


    アナンの塑像               飛天
               

 57窟(特別窟、別料金)
 阿弥陀菩薩像(唐初期)平山郁夫がもっとも
 気に入ったとのこと

             


    洞窟内はすべて撮影禁止。このため購入した本、入場券などからのもの

 
    現地ガイドから聞いた話では、敦煌では、100uていどのマンションが
   700万円ぐらいだそうです。結婚時には男性がマンションを購入することが
   必須で、結婚費用も男性持ちとのこと。ではどのくらいの年収かと聞くと
   平均的には100万円ぐらいだそうです。共働きが普通だそうで二人で200万
   だそうです。
    現地ガイドの人は中学生の子供がいるそうですが、6万人規模の敦煌で、
   高校は1校、中学が3校、小学校が5校しかないそうです。
    高校、中学は午前7時、小学校は午前8時に授業開始。12時までが午前中で
   給食設備がないため、全員帰宅して自宅で昼食をとるそうです。
   午後の授業は14時から開始するそうです。ただ、夏は暑くなるので15時から
   開始し、夕方で学校は終わる。
    しかし、宿題がたくさんでるそうで、現地ガイドのお子さんは夕食後すぐに
   宿題にとりかかっても23時頃まで毎日かかるそうです。少し、文字を書くこと
   が遅い子は午前0時を超えるそうです。

       
 【10月20日】
   
 10.敦煌近郊観光

 ホテルを8時に出発。敦煌の80Kmの玉門関を目指す

   本日はたいへん冷え込み寒いがバスの暖房が入らない
  理由は、政府が家も車も暖房は10月25日からと決めているそうです
  ゴビ砂漠の紅葉が一段と進んだ

            

     

  
  (1)玉門関


  シルクロードの重要で堅固な関所。漢の武帝が河西回廊を防衛する目的で
 長城を紀元前108年から107年にかけて建設した。その最西端に建設された。
  唐の時代に再建されたときには、南西に設置された陽関とともに西域に
 対する2大関所となった。
  都の長安(現在の西安)からは辺境の地であった。陽関を詠った有名な詩
  「西のかた 陽関を出づれば故人無からん」


   玉門関(1000人の屯田兵が守っていた)
            

   砦は4mの厚さの泥をつき固めた。       階段の跡  
  強度を強めるためにおかゆなども混ぜた

            


   旅人は、下の写真の門から入り検査を受け、
  上の写真の門から西域に旅だった


      


        


   屯田兵たちの住居跡            ロプノールまで続く川の跡
         

 (2)漢代の長城

  玉門関すぐの場所に漢代の長城跡がある   騎馬民族の馬が乗り越えられない高さの壁
                      こ.の長城はロプノール(さまよえる湖)まで続く
               
   
                           のろし台
              

       砂漠の木、タマリスの紅葉
       
       

 
  (3)西千仏洞

 敦煌の西南35Kmにある。党河の北側に
 北宋から西夏までの19窟がある


          

   洞窟の上部が駐車場で雨水が洞窟に入る
         


   

   ここは上部から雨漏りがして一部のものは痛みがはげしい
        


               


 
 11. 敦煌から西安へ


 敦煌で昼食

  

  敦煌空港(できあがったばかりの空港)    チェックインカウンター 
          

   搭乗ゲート                15時50分敦煌空港出発
          

  
   18時15分西安空港着陸          西安空港内 
         

  西安空港のバス駐車場
   

    西安の西の城門             公園でダンスをする人(20時過ぎ)
        

   西安の南門
         

   西安の鐘楼
   

   西安の宿泊ホテル
   

 【10月21日】
 
 12. 西安観光

. ホテルを8時に出発して青龍寺に向かう
 
 (1)青龍寺

  青龍寺
   創建は582年(隋の時代)。初唐に一度廃寺となるが662年
   再建され観音寺とされる。711年青龍寺と改称された。唐中期
   に恵果らの密教僧が住持し、唐の留学生の空海、円仁、円珍ら
   が学んだ。都の長安が寂れると寺は廃寺となった。1982年以来
   中国政府が発掘調査を行い青龍寺を確認した。日本からの寄付
   でお寺を再興した。


  西安市内                  青龍寺入り口
         

                       ここは公園になっていて中国人も多数
                      歩いていた

         
 
   青龍寺。空海(弘法大師)が修行した寺
           

   青龍寺の境内                日中が協力して再興した記念碑
           

  空海が8代目阿闍梨として恵果から      本堂
 認められた時

          

   本尊                  高層ビルが立ち並ぶ
         

                       恵果
        

  空海
         

   ここは1000本の桜がり春には西安     西安市内
  市民が多数花見に来るそうです

          

   陝西省考古研究所陳列室を特別見学。
  撮影は禁止。

    

  
 (2)兵馬俑坑博物館
 
  1974年始皇帝陵東側の果樹園で井戸を
 掘っていた農民が偶然発見した

.  駐車場から入り口まで歩く          チケット売り場。
 高い像は始皇帝               本とんどが中国人。少数民族の人

          

   行のみ電気カート              1号館
         

                       前回来た時よりたくさんの人。
                      それも中国人が多い。館内は押し合い

        


           

                ここが農民   正面の入り口付近の混雑がすごい  
               が井戸を掘った
 
            


            

 ここは修復中                 2号館へ向かう
            

    2号館入り口                ここは、司令部といわれている
                         馬車と帽子、鎧を着けている

           

  膝つき騎手                 中級軍史俑
           

   高級軍史俑
   


  騎兵俑(鞍付き馬を引く)          立射俑
          


  1号銅馬車
 長い銅製の傘蓋の下に御者

           

   2号銅馬車
  御者の後ろには四面が封鎖されて両側に
  小窓がある皇帝の乗り物
   後部は扉があり開閉できる

             



   

   帰りは駐車場まで歩く。両側はお店      テーマパークのようなショピング通り
             

 
  (3)大雁塔

  玄奘三蔵がインドから持ち帰った仏典を保存するために
 建立した大雁塔(大慈恩寺境内にある)
 大雁塔の高さは64m

              

     大慈恩寺                  本尊
            


   大雁塔の登頂に挑戦(階段は248段)     
            


         

                      ここは頂上の7層
         

   7層の窓から
   

  7層の窓からの西安市内の眺め
        


          

 大雁塔(高さ64m、7層)
 全体が黄色いのは黄砂が付着したため

    

   ビルとビルの間は人工の空         京都の天龍寺が支援している中華料理
                       の精進料理の店

           

 【10月22日】
  
13. 西安から上海経由成田

  ホテルを午前5時出発           西安空港に午前6時到着
       

   空港内                上海経由成田便の国際線乗客の待合室
                     は、西安から上海までの国内線客とは
                     異なる。国際線客は少なくガラガラ

        

 国際客は特別な入り口から飛行機に搭乗   西安発8:00だが出発は30分遅れた
                      上海空港の空きを待っていたようだ

        

  上海空港上空で長時間待機。気流も悪く    この日、上海は台風から変わった
 かなり揺れた。上海空港へ着陸は、上海    温帯低気圧が直撃、管制官から出発
 空港の出発時間12時を超えていた       指示がでないとこと
  このため、空港係員が特別通路を開けて
 出国手続きを済ませる

  みんな小走り              出発表示は12時のままなので、出発ゲート
                      の近くで呼び出しを待つしかない。
                      飛行機は西安から乗ってきたものなので
                      上海空港には駐機されている
 
         

  航空会社から無料弁当が出た         すべての航空機が遅れているので
                        ターミナルは人が多い

         

   ここは、所定のゲートだが、人であふれて   午後16時やっと飛行機の搭乗
  難民窟

          

  搭乗して待つこと30分            成田着20時10分
  16時25分、離陸。4時間30分遅れ      4時間15分おくれで到着
                       成田の駐車場の人からは本日中に
                       帰国できてよかったですねと慰められた

           


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