メキシコの旅 (2013年)


                                 
      


 
スケジュール


 2013年2月16日〜23日

 
月  日 スケジュール 宿泊ホテル
2月16日 成田発15:40 AM57 日付変更線通過(飛行時間12時間55分)  メキシコシティ着14:00
国立人類学博物館観光(マヤ、アステカ館)     
ガレリア プラザ
2月17日 ホテル発8:00 ー>約120Km  2時間30分 プエブラへ 
 プエブラ観光(プエブラ大聖堂、サント・.ドミンゴ教会、タラベラ焼き工房、バリアン市場
          ソカロ広場)
 プエブラ −>26Km 40分 ウェホツィンゴフランシスコ会修道院
 ウェホツィンゴフランシスコ会修道院 −>86Km 2時間 メキシコシティ
 マリアッチ音楽を聞きながら夕食
ガレリア プラザ
2月18日 ホテル発8:00 メキシコシティ観光(メキシコ国立自治大学、メトロポリタン大聖堂
  ソカロ広場、テンプロ・マジョール遺跡、国立宮殿、グアダルーペ聖堂
  三文化広場、レフォルマ大通り)  
 テオティワカン遺跡 ー>メキシコシティ空港
 メキシコシティ空港発 21:48 AM647  メリダ着23:42 ホテル
ハイアット・リージェンシー メリダ
2月19日 ホテル発8:30 −> ウシュマル遺跡 −> カバー遺跡 −>マヤバン遺跡
  ー>メリダ メリダ市内観光

ハイアット・リージェンシー メリダ

2月20日 ホテル発7:30 ー> チチェン・イツアー 遺跡観光 −>セノーテ観光
 (セノーテでの水泳) −>エク・バラム遺跡 −>約200Km 2時間30分
 カンクン
ハイアット・リージェンシー カンクン
2月21日 午前中フリー(プライベートビーチ散策)
ホテル発14:15 −>カンクン空港
カンクン発17:42 AM944  メキシコシティ着 20:22
メキシコシティ発21:50 AM58(3時間40分)ティファナ着23:30(時差2時) 
(給油のため2時間機内待機)
ハイアット・リージェンシー カンクン
2月22日 テイファナ発 01:10    12時間35分(日付変更線通過)   日付変更線通過
2月23日 成田着6:45 帰国



 訪問地
    
     
       


1. メキシコシティ


 2月16日
 
 日付変更線を越えてきたので日付はかわらず2月16日
  成田から直行便で12時間55分でメキシコシティに到着。
  メキシコシティは緯度は低いが標高が2240mと高い。
  1日の寒暖の差が大きい。
  朝と夜は薄いダウンが必要。昼間はシャツもしくは半袖。

(1)メキシコシティの空港

  
 到着は14時過ぎであったが、入国審査が長い列で時間がかかった。

  到着ロビーへの出口                       到着ロビー
              
  

  メキシコシティを博物館へ向かう
       

 

(2)国立人類学博物館


  世界でも有数の規模と内容を誇る大博物館            入口の噴水
                                         入場券は回収して再利用しているようです

           
  
   パピルスを植えています
          
  
  
 ■マヤ文明はメキシコ南東部、ガアテマラ等で栄えた文明。
   紀元前400年頃から建造物が建てられ、開花期の古典期(A.D.300〜900)
   には、ティカル、カラクルムの大都市国家の君主が優越王として群小都市国家
   を従え覇権を争った。古典後期(A.D.600〜900)には大都市国家に代わり多くの
   都市国家が発展。8世紀に最盛期を迎え9世紀に衰退していく。

   
マヤ室の入り口
         

  テオティワカンの出土品。最上段が王            王が80歳まで生存したことを記載している
          

  パレンケの碑文の神殿から発見された。
   パカル大王(615年〜683年)のヒスイの仮面

   

   カバー遺跡の壁に彫られた雨神チャック神         チチェン・イツァーから出土した
    長い鼻に描かれた渦は雨雲を象徴したもの         チャックモール像
    カバー遺跡に行くと多数ある                 お腹には生贄をささげる場所がある

         

 ■アステカ室(1428年から1521年頃まで)

                                 スペインが征服する前のメキシコシテイ
                                       メキシコシティはアステカの中心で湖にあり
                                       神殿などがあった。当時の様子

         

   生贄の御立ち台
    当時の戦いの様子が描かれている

         


    ジャガー                              太陽の石
                                        アステカの暦

         

   ケツァールの羽
   (手塚治の火の鳥のモデル)
         

   ケツァール
   
 

   この日はそのままメキシコシティのホテルへ

2. プエブラ


 
2月17日

  ホテルを8時に出発。約120Km(バスで2時間30分)のプエブラに向かう
  メキシコシティの道路事情は悪く、交通渋滞がはげしく移動には時間がかかる
  
  ポポカテペトル山(標高5426m)活火山。今も噴煙      プエブロ市内
  を上げている。富士山に似ている
              
人口64万人
        

   「のみ」の市
   

 プエブラは、大聖堂でバスを下車、そこから徒歩で街中を観光
 昼食後にバスに戻る

(1)プエブラ大聖堂


 1575年に建設が始まり1649年に完成。              
 2つの鐘楼を持つ

          


   左がペトロで手にカギを持つ                    教会前の広場
    右がパウロで手に剣を持つ
                 
朝は寒く軽い防寒着が必要。ジャカランが咲いている
          


   


    教会内部
           


            
   
    大オルガン
    

(2)プエブラを徒歩で観光

 プエブラは、徒歩で観光する

  街中の様子。コロニアルな街並みが歴史地区に指定されている
         

  
   

     
      

(3)サントドミンゴ教会

 1571年〜1647年にかけて建設
 
  サントドミンゴ教会                         教会のシンボルで犬が松明をくわえている 
        
  
   ロサリオ礼拝堂(1690年完成)。ミサのため中に入れず

        

                               サツマイモをつぶして羊羹のようにした御菓子を
                                     売っている店。何軒もある

       

                                セルダンの家。1910年の革命2日前に戦闘の
                                      舞台となった指導者格のアキレス・セルダンの家
                                      壁には銃弾の跡が残る。
                                      現在は革命記念博物館となっている

        

   
セルダン家の長男の顔が奥にある(白い像)
      

   プリシバル劇場(裏側)。250年続いている

   




      

   パリアン市場。みやげ物店が1店舗5mくらいの間口で続く
   しだいに気温が上がる。

   
    


   サンフランシシコ教会                  
教会の内部
               

  日曜日でミサのため中に入れなかったが、祭壇の一部
  

  サンフランシスコ教会の斜め前のレストランで昼食
  昼食前にはシャツ1枚となっている

  

3. ウェホツィンゴフランシスコ修道院


 プエブラから40分、ポポカテペトル山腹に創建された
 修道院。

    
ロープの模様。ロープはフランシスコ会の紋章
         


         

   この日は御祭か、着飾った子供                修道院は城壁の砦で守られていた
   教会の庭から花火が上げられていた
           
この修道院ができた当時はまわりは異教徒で
                                 いつ襲撃されるかわからず強固な砦作りとなった
        

4. メキシコシティでの夕食

  
   ホテルの前のジャカランタの花
        

   


 ■マリアッチを聞きながら夕食
   ホテルから徒歩10分程度の場所にある。            日本人向けに「川の流れのように」を日本語で
   当日は他の日本人ツアーも3組ほど入った。
         
歌った
          

  
          

    ちょっと早いバースディー                      レストランの入り口
          

5. メキシコシティの観光


 
2月18日

  
今日は長い1日となる。メキシコシティの観光を終えてメキシコシティ発21:48の
  飛行機でメリダ(ユカタン半島の南東部)へ向かう。メリダのホテルへは日付が
  変わってからの到着となる。

 ホテルは8時出発
 

(1)メキシコ国立自治大学

   国立競技場                            ワシとコンドルを描いている
   1968年のオリンピックのメーン会場(東京は1964年    色付の石を砕いて張り付けてえがいているため
   開催)
                           
色あせない 
         


         

   メキシコ国立自治大学の構内   
   シケイロス作の「民衆から大学へ、大学から民衆へ」      壁画はたいへん大きい     
          

  大学の管理棟の壁画                         シケイロス作の「コンドルとワシ」
         

  中央図書館の壁画:ファン・オゴルマン作         
右上隅の太陽は岡本太郎の太陽の塔に似ている
  この壁画の技法は色付の石を砕きそれを張り付けて    岡本太郎はメキシコで壁画の勉強をしていた。
  仕上げている                            その後帰国して万博の太陽の塔を作った。

                                
 太陽の塔のモデルでは?
        

  南側はスペイン植民地時代を描いている        
右はスペインが武力で制圧したことを表現。1820年
                                     はメキシコが独立した年
                                      左は宗教で制圧したことを表現している。1521年
                                     はスペインが制圧した年

       

   西側   
   メキシコ自治大学の校章を中心に学生の現代メキシコに
    おける役割の象徴を表現

   

   北側
    アステカ文明(スペインが来る前)の様子           1952年ファン・オゴルマンの署名
     湖に浮かぶ島にアステカの神殿(現メキシコ
     シティ)を描く

         

    シケイラスの「手と鉛筆」の壁画。1520年はアステカ滅亡の前年、1810年はスペインからの独立
     戦争開始。1857年は自由主義憲法制定。1910年はメキシコ革命始まる。
     それらの年が壁画に記載。若者の奮起を促している壁画

    

 

(2)メキシコシティの歴史地区


    独立記念塔(ホテルはこの近く)                 国立芸術院
          

   メトロポリタン大聖堂                       国家宮殿(大統領府、大蔵省など)
          

   湖を埋め立てて都市」を作ったので地盤地下で         アステカ帝国時代のメキシコシテイ。
    ビルが傾いている                          中央の光っているピラミッド部分が現在地

         

  ■テンプロ・マヨール
   1913年にメトロポリタン大聖堂の裏側でアスティカ帝国のテノチティトランの中央神殿が発見された。
    その発掘現場。階段状の神殿が見える
    
スペインはアステカの神殿などをそのまま埋め立ててその上のキリスト教の聖堂、建物を建てた。
    現在では、スペイン時代の建物が世界遺産のため発掘がなかなかむつかしい

        

 ■メトロポリタン大聖堂
    メキシコにあるすべてのカトリック教会を統括する総本山
     1563年着工、1681年完成

    

                                大聖堂の祭壇
        

         

  

 

(3)クアダルーベ大聖堂

 1531年12月9日グアダルーベのインディオのファン・ディエゴの前に聖母「マリア」
 が現れた。聖母は司教に大聖堂を建設する願いを伝えるように求めた。
 ポルトガルのファティマも聖母出現で現在は聖地となっている


          
  旧の聖堂は地盤地下で傾いている
      

   

   新しい聖堂                          マリア像は真下で見れる構造になっている
                                     信者が立ち止まらないように動く歩道にのって
                                     見る構造

      


 ■ 山の上まで続くメキシコシティの住宅
   無秩序に住宅が山の上まで拡大している
  

6. テオティワカン


 場所はメキシコシティの北50Kmにある。
 メキシコ盆地を中心にA.D.350年〜650年の間繁栄の頂点に達した。
 人口は20万人以上と推定されている。

  テオティワカンの配置図
  
昼食を隣接のレストランでとり、まずジャガーの宮殿へ。
  その後各自のペースで月のピラミッドと太陽のピラミッド
  で登り(一部の人は登らなかった)バスの駐車集合となった。

  
   

(1)ジャガーの宮殿


    入場ゲートからジャガーの宮殿に向かう             宮殿は強い風を受けないように半地下構造
           

   壁は血の色(赤)に塗られていた。今も少し            小さい穴は当時作られて排水溝
   その痕跡が残っている                         1500年以上経過した現在でも機能している
                                          雨季の大雨でも水がたまることなく排水している

          

   ジャガーがホラ貝を吹いている。貝からの「∫」は       鳥はケツァールを表現しているがその形は
   音が出ていることを表現。2つあることは2匹の         ケツァールではない。黄色はカボチャ。
   龍を呼ぶことを意味している。
   雨乞いの表現

        

    水洗トイレ。右上穴から水が流れた。
     その水で
汚物は排水溝に流れた
    

   
 後ろが太陽のピラミッド                       後ろが月のピラミッド
           

(2)月のピラミッド

 
  月のピラミッドは高さ42m、底部の1辺が150m
  A.D.350年頃に建造、太陽のピラミッドより古い

   月の広場                        
月のピラミッドへは急な階段を登る
                                      安全のためロープがありそれを利用する

        

     月のピラミッドから死者の道、太陽の          月のピラミッドの上で
      ピラミッドを望む

          

    まだ少し上があるがほとんど登っていない          下りがたいへん。怖い
         

    死者の道を太陽のピラミッド目指して歩く。ところどころに物売りがいる
    

(3)太陽のピラミッド

 
  高さ65m、底部の1辺が225m
  テイオティワカンでは最大の建造物。世界でも3番目の大きさを誇る
  このピラミッドは宗教的儀礼のため建造されたもので頂上には神殿
  が建っていた。しかし、神殿は木造のため、後に壊され再利用された
  ので残っていない。
  

    太陽のピラミッドはこの階段を登る
         

    太陽のピラミッドの頂上
          


          

     急な階段を下りる   
           


    

6. メキシコシティからメリダへ


   テオティワカンの観光を終えてメキシコシティ空港へ
   到着。空港内のレストランで夕食。道路事情が相当
   悪いようで21:48発の飛行機を空港内で待つ


   メキシコシテイの空港ロビー                    国内線と国際線が同じ空港ロビー
          

 ■メキシコシティ発21:48のAM647でメリダへ。飛行時間は1時間54分
  メキシコシティ空港の離発着が大変混雑していて離陸は10機以上待たされ
  離陸に1時間近くかかった

    午前0時近くにメリダの空港に到着              ツアーの一行もさすがに疲れた様子
     ジャガーが御迎え                        空港からホテルまでは20分程度

         

7. ウシュマル遺跡群(世界遺産)

  
 
2月19日
 ホテルを8時30分出発
 

(1)ウシュマル

 メリダから南に80Kmにある
  7世紀初頭のマヤ古典期にこの遺跡は栄えた。雨の神「チャック」を強く崇拝していた。
  この地方はカルスト台地のため河川が全くなく、生活用水は雨水が頼りで雨乞いの神
  が崇拝されていた。
    
  

   駐車場からウシュマル遺跡へ                     マヤの聖なる木「セイバ」
            

    魔法使いのピラミッド                        手をたたくと「こだま」する
   高さ38m、内部に4つの神殿が隠されている

            

   ここが正面入り口。門の上に1号神殿が見れる          イグアナ:多数いる

            
   
   鳥の飾り

           


   魔法使いのピラミッドの階段の両脇には            両脇の雨の神様の顔は向きがすこしづつ
   雨の神様。                             異なっている
          
        
           
  雨の神様は階段の両脇に12個ずつあり13個目は最上段。口が入口
  小人が一夜のうちに造ったということで「魔法使い」の名称になっている。
  しかし、実際は8世紀〜11世紀の300年かけて作られた。
          
  魔法使いのマーク                          尼僧院:広大な中庭を4つの矩形の建物が取り囲む
                                            構成から名づけられた。実際は宮殿と推測
                                            されている

          


    上部がフクロウで下部が亀                    ジャガー
     
      

    ガラガラヘビが口を開けている                 ガラガラヘビの口からでているのは神様
           

     
王様の名前が読める。玉座                   左が総督の宮殿、右は大(グラン)・ピラミッド
            

      神官の手形                            
球戯場所:サッカーのように手は使わないで
                                                ゴム製の球を膝、腕で両方の壁にある
                                                丸い輪の中にいれる。今歩いている
                                                場所は球がはずむように石畳み

            

      
イグアナ                               鳩の家:利用目的はわかっていない
             

    
 大ピラミッドの階段、急傾斜                    階段を登る
     皇太子もここを登った

             

     カスルト台地のため表土がほとんどなく
     大木は育たない

            

     
奥に見えるのは尼僧院                     右は総督の宮殿、奥の高いのは魔法使いのピラミッド
            

     
雨の神様                              口の中に神様がいる   
                  

                                         
急な階段を下る。下る方が怖い
            

    総督の宮殿                                2頭のジャガー
    帝国ホテルを設計した「ライトさん」が好きだった          玉座
    建物。帝国ホテルとよく似ている

                      


     
 
  
  亀の家
     マヤ文明では亀は雨神チャックと同様に水の使者
     とされていた。亀は雨乞いのために祀られた

     

(2) カバー遺跡


 
ウシュマルの東南22Kmにある。ウシュマルの姉妹都市。
 ウシュマルに次ぐ2番目の大きな街。
 カバーとは「強い手」を意味する。A.D.800年〜1000年に全盛期

 
     

    オレンジ色に塗られていた9個の雨の神様
           

      右の急な階段を登る                       皆さん階段を登っている
                                             現地ツアー会社に事故は自己責任の署名を出す

                   


    コズ・ポープ(仮面の宮殿の異名をもつ)            それぞれの雨の神様(チャック)は作りがことなる
     300以上の雨の神様(チャック)が飾られている          耳を2つで共有しているものもある

             



             


      

     カバーの王様の像                        当時の上流階級の服装
           

    捕虜の髪を掴んでいる
    

    
宮殿といわれている                   カバー遺跡の管理人の家
                                マヤ風の造り

           


(3) マヤバン遺跡


 
マヤバンは、1220年〜1440にマヤ文明最後の王朝として栄えた
 当時4Km2に1万人以上が生活していた

       
         

    マヤバン遺跡に入場                    階段の両脇は9層の基壇となっている
                                     このピラミッド
冬至の日に階段にククルカン
                                     (羽毛の蛇)が影として現れる
   
          

    王族の家。圧政で臣下に皆殺しにされた         壁画(損傷がはげしく解読できない)
         

     生贄の頭蓋骨(砕いて)入れた穴
     右の鳥はジャガーの背中に止まっている

    

      ピラミッドを登る
      

      ピラミッドの上から
         


           

                                          階段の下りは怖い
            

    

8. メリダ市内観光


  
   メリダ市内の中心部。馬車で観光している人もいる     カテドラル:ユカタン半島最大規模の教会 
         

                                      カテドラル内部
              

   火脹れのキリスト像                       ソカロ広場
   ある村で火災あった際、教会で黒こげになって
   残った木材のキリスト像

         

  1542年メリダを作ったモンテホの家に向かう          マヤ人を踏みつけている像:現在は銀行で営業中
         

   州庁舎の入り口                         階段に有名なトウモロコシからの人類誕生の絵
          

  州庁舎の2階、マヤ文明をテーマにした27の          スペイン人とマヤ人の戦闘
  壁画がある

          

   敗れたマヤ軍
  

9. チチェン・イツァー


 
2月20日
 ホテルを7時30分に出発。メリダから120Km、バスで休憩を入れて2時間30分。

   ハイアット・リージェンシー・メリダ ホテル
   アメリカのブッシュ大統領がここに宿泊した際は、ホテルの周りを鉄板で
   とり囲んだそうです。

    

   メリダの市内は高い建物はほとんどなく、木々に       ここで野口英世博士が黄熱病の研究をした
   囲まれていて落ち着いた街

           

(1) チチェン・イツァー


  @左の駐車場からメインゲートを通り入場
  Aエルカスティージョ(ククルカン神殿)
  B球戯場 、C戦士の神殿、D聖なる泉セノーテ
  E高僧の墳墓、 F天文台 、G尼僧院 を訪れた

    


    メインゲート                             エルカスティージョに向かう
            

   エルカスティージョ
  
 エルカスティージョはそれ自体でマヤの暦を表している
   四方の階段は91段あるので(91×4=364)、これに頂上の1段を加えると1年365日になる
   この神殿は9層の基壇で構成されている、それが中央階段で2分されるため(9×2=18)、
   これは1年が18ヶ月に分けられたハアブ暦の月数を表している。
    各基壇にはパネル(凹み)部分が1面に付き52ある。これは農耕に用いられたハアブ暦
   (1年365日)と祭事用のツォルキン暦(1年260日)ふたつが重なる52年の「暦の周期」
   を正確に示している。


   
手をたたくと鳴く。
            

      ククルカン
     春分・秋分の日に階段に羽毛の蛇の影が出現する      天体観測をしている絵

             

      羽毛の蛇                               生贄の首 
              

      ジャガーが歩いている
              

   【3】球戯場    
     全長150mのメソアメリカ最大の球戯場            敗者のキャプテンは生贄にされた
     手を使わないで生ゴムの玉を輪の中に入れた
        
             

      切られた首から血が噴き出ている。
      その血潮からトウモロコシが生えている

                  

     遺跡巡りの道傍にはみやげ物の露天が並ぶ
             


          

    どういうわけか「見ザル」、「言ワザル」、「聞カザル」の人形が売られている
           

   
【5】 セノーテ:聖なる泉。ユカタン半島で最大。直径60m
            

  【4】戦士の神殿
    上部の柱の真ん中にチャックモール              生贄の死体を落した階段
    生贄の心臓を捧げた                        死体が下に落ちるように急傾斜に造られている
                                     

           

                                         千本柱
            

   【6】高僧の噴墓
      


   【7】天文台
     ニックネームはかたつむり。小窓から天体観測をした

           

   【8】尼僧院
    チャックモールで装飾。鼻の長い雨神が信仰された

   


10. セノーテで体験水泳


  チチェン・イツァーから東に3Kmの場所にある泳げるセノーテで体験水泳
                                     水温は20℃っで冷たい。
                                     安全のため浮輪を借りる。

        


          


          

    若い人はダイビング
          

       


 

11. エク・バラム遺跡


  マヤ語で「ジャガーの星」の意味
  マヤ古典期に構築

   

    遺跡入口
           

                                        屋根は遺跡保存のため後で造った。
          

    急な階段を登る                         王の墓。発見時はほとんど内部は埋められて
                                       墓をカムフラージュしていた

          

                                       上段の真ん中が王。左が家臣。右が来訪者
                                       下段は来訪者の贈り物を王の家来に渡している

          

   ピラミッドの頂上への階段                     頂上からの眺め
          
         

          

  これが登った階段
   

12. カンクン


 2月21日


 
カンクンでフリータイム。14時まで


   ハイアット・リージェンシー・ホテルのプライベートビーチ       背景はカンクンのホテル群
             


           


           

  カンクンの町中を散策
           

    カリブの海の波と遊びました
              


 

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