秋 色 の 韓 国 紀 行 (2012年)


                                 



 
スケジュール


 2012年10月28日〜31日

 
月  日 スケジュール 宿泊ホテル
10月28日 成田発14:05 KE716  釜山着16:20   釜山空港 −>国際市場 −>チャガルチ市場
「海鮮鍋」の夕食  
釜山 −>慶州(約90Km 1時間30分)    
慶州ハンファ
リゾート
10月29日 ホテル発7:50 ー> 仏国寺近くのレストラン 「カルビクッパ」の朝食
 −>石窟庵 −>仏国寺 −>雁鴨池  昼食 古墳公園−>安東(約170Km 2時間)
 河回村散策 −>原州(約70Km 1時間30分) サムギョプサルの夕食
原州インター
プルゴ
10月30日 ホテル発8:00 約100Km 1時間30分 −> 水原の華城  
 −>ソウル 約50Km 1時間 昼食は豆腐チゲ or 石焼きビビンバ
 昌徳宮 −>北村韓屋村 −> 仁寺洞
キャピタル
10月31日 ホテル発5:20 −>仁川 韓国食糧店 「アワビのお粥」朝食
 仁川発9:10 KE701 成田着11:25


帰国



  韓国の訪問地              ソウル訪問地

            
    

     
       


1. 釜山


 10月28日
 

(1)釜山空港


  釜山空港のロビー
             

                                             ツアー一行
             
  

(2)国際市場


    国際市場の発足は1945年の韓国独立の時期。当時この地にいた日本人が引き揚げ時に
  戦時統制物資をただの空き地であったこの場所で売り始めたことがはじまりであった。。
   その後、1950年の朝鮮戦争以後、北部からの避難民が商売を始め市場としての形
  が形成され大きくなった。当時は、アメリカ軍の軍用物資を横流ししたものや釜山港を
  通して密輸したものなども売られる闇市的な存在であった。
   今では約650軒の業者が入り寝具、厨房用品をはじめとした生活用品、韓国伝統衣装
  カバン、メガネなど様々なものが安く買える釜山で一番名の知れた市場。


        

   トッポギ:韓国の餅「トック」を棒状にして砂糖、コチジャン    
          を使って甘辛く炒めたもの。
         間食、夜食で食べられる。


   トッポギの露天販売

          

    トッポギ:食べた後たいへん辛い
    


   アメ横に似ており、通りには露天の販売もある。        
   たいへんなにぎわいで歩くのがたいへん
    

         

   路上では屋台
       

    
   日曜の夜で花火大会もあるので混んでいる
       
   

   満月
        

 ホットクの販売
 【ホットク】日本のおやきのように餅の中に黒砂糖、シナモン
       を入れて揚げたもの。日本円で80円/個。
       露天で売られている。人気の店は並んで購入
     
   ホットクを焼いている                       中に砂糖、シナモンなどを入れて紙コップに入れて
                                       くれる。
          

(3)チャガルチ市場


  韓国内きっての有名な海鮮市場、新鮮なお刺身や魚介類の販売と
 食事ができる


  チャガルチ市場の入り口                    生きたまま魚を販売している
        

   ビル内にはテーブル席もあり、その場で料理して
   食べることができる。JR九州推薦の店もある。
        

  市場内のレストランで海鮮鍋の夕食

   


   夕食後釜山から慶州へ向けて約90Km 1時間30分高速道路
   を使ってバスで移動。

1. 慶州


 10月29日

   慶州は三国時代(高句麗、百済、新羅)の新羅の都。新羅は紀元後356年から935年
  まで続いたが高麗に降伏して滅亡。伝説では紀元前からとなっている。なお新羅の正式国
  号は503年とされている。慶州は韓国の古都。

   
   宿泊した慶州のハンファリゾート ホテル
     

   慶州様式の屋根。隅が切れ上がっている。         慶州は桜の名所で桜並木が続く
                                      春にはマラソン大会がある
          

   ホテルを7:50に出発して仏国寺近くのレストランで
   カルビクッパの朝食。ご飯をカルビクッパのの汁椀
   に入れて混ぜて食べる
   


(1)石窟庵


  石窟庵と仏国寺は8世紀頃の景徳王の時代に宰相、金大城が両親をしのぶ
 ために建立。石窟庵は吐含山の中腹にある高さ350cmの花崗岩の釈迦如来
 像。


    石窟庵の山門

          

    山門を抜けると山道を歩く
          

   これが石窟庵(前の建物があるが後ろの盛り上がったもの)
   

   石窟庵は全室は四角で、釈迦如来像が安置されている場所は円形
        

  釈迦如来像
            


           


   石窟庵から晴れた日には日本海が見るそうです。しかし、天気が良くても日本海から
   の湿気でなかなかみることができないようです。当然この日も見えませんでした。


    石窟庵を背景に
            


(2)仏国寺


 751年金大城が現世での父母のために建立した。774年に完成した。
 法華経の教えに従い人間世界、極楽の世界、涅槃の世界に分けて作られた。
 1407年李氏朝鮮の太宗による仏教弾圧で寺は荒廃」。1593年の
 太閤秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)で仏像、石棺、宝塔以外は焼失。
  1604年より再建が始まる。


   仏国寺の入り口                        一部紅葉している
   
    

     天王門
      
天王門は、欲界六天の最下天にいる四天王のこと。四天王を奉安した門で、寺刹守護の機能を担当する
       四天王が彫刻されており、朝鮮後期の手法をよく表しています。東方−持国天王(琵琶を持ち)、
       南方−増長天王(剣を持ち)、西方−広目天王(竜を持ち)、北方−多聞天王は宝塔を持っています。

     
          

    門の左右に2体ずつの像(日本に仁王門?)
         

    足元には悪魔が押さえつけられている
        

  
    

    仏国寺境内の図
     
  紫霞門
   紫霞門にかかる2つの階段。上部が白雲橋、下部が青雲橋。
   青雲橋は高さ3.82m 幅5.14m、白雲橋は高さ3.15m、幅5.09m。
   全部で33段からなっている。「33」という数字は仏教ではまだ仏の
   境地に達していない三十三の段階を意味する。
   17段の階段である青雲橋は、橋の下に小さい石を加工して窮隆形
   の通路を作り人が通れるようになっている。 

   

   多宝塔
    高さ10.4m。新羅時代751年の作と推定されている。四面に階段が設置されまた、
    塔下部は四本の柱で支えられている珍しい塔の形状をしている。また塔の周りには
    石獅子が配置されていたが、現在では1体だけが残っている
     石獅子は、1体は海外の博物館が所蔵、1体は日本の政治家の庭にあるそうです
    残り1体は不明とのこと。
       

   


 釈迦塔
   高さ8.2m。新羅時代の三層塔。復元工事中、塔中央部から世界最古級の木版印刷物である
   『無垢浄光陀羅尼経』が発見される。
   

  
   大雄殿(仏国寺の本殿)                     
   
 仏国寺の本殿
   文禄の役(秀吉の朝鮮出兵)の際に焼失した後、1695年
   再建されたもので基壇は新羅時代のそのまま。
 
     何度かの考証を通じて新羅時代の原型を比較的よく維持し
    ています。この大雄殿は全面五間取り、側面四間取りで、
    内部には中央全面に釈迦三尊仏が安置されています。
    釈迦牟尼仏を中心に左右に未来の仏様になる弥勒菩薩と
    過去の燃灯仏かつら菩薩がり、過去、現在、未来の三世仏
    をなしている。
    


         

   無説殿(法華経の講義を行う場所)
        


   


     
毘蘆殿の金銅毘盧遮那仏像
    1973年の復元の工事の時、高麗時代の建物様式
    で再建されたものです。毘盧殿の中には、統一新羅
    時代に造成された金銅毘盧遮那仏が安置されています。
    毘盧遮那というのは太陽、光明の象徴とされて、仏様
    の中でも最も高い位置の華厳仏国の主人となる仏様
    です。金銅毘盧遮那仏像は統一新羅時代の作品です。

        

   
石を重ねると願い事がかなうということで多数ある
         


          


(3)雁鴨池

  
  慶州の雁鴨池は新羅王宮の月城の東北に位置している。元々の名前は月池宮でしたが
  朝鮮時代に廃墟になったこちらに雁と鴨が飛んで入って来るようになって、雁鴨池と呼ばれ始めた。
  こちらは統一新羅時代の離宮の中にあったので、その中には臨海殿を含めた
  多くの付属建造物と庭園で構成されていて、新羅文武王 14年(674)宮の内に
  堀をほって山を作って花草を植えて珍しい鳥や動物たちを飼ったと言う。

   ライトアップの名所
       

(4)古墳公園


   1926年慶州駅の機関車庫をつくるために路西洞にあった小さな山を切り崩していると、
   そこが古墳であることが判明しました。ただちに工事は中断され、発掘調査が始まりました。
   このときの発掘調査には当時日本を訪問中であった、スウェーデンの皇太子
   (のちのグスタフ6世。考古学者でもある)も参加しました。
   発掘に参加した皇太子は手ずから、美しい新羅時代の金冠を掘り出しました。
   この金冠に鳳凰の装飾が施されていたことから、この古墳はスウェーデンの漢字語
   である瑞典の「瑞」と鳳凰の「凰」の字を取り「瑞鳳塚(ソボンチョン)」と名付けられました。

  

  (1)ミッチユ王陵
    ミッチュ王は新羅13代王(262年〜284年)。
    20基余りある古墳の中で中央にある。
    直径56.7m、高さ12.4m。
  


      

 (2)天馬塚
  1973年に発掘された。当初は、この古墳公園で一番大きな皇南大塚の
  発掘を行う前の試し発掘ということで進められた。
   しかし、装身具、武器、武具など多数の出土品と白樺の皮に描かれた
  天馬図が発掘され天馬塚と呼ばれている。
  当初の皇南大塚からの出土品はほとんどなかった

  


        


        


2. 安東・河回村


  
慶州から安東まで約170Km 高速道路を走り2時間かかる

 

 「河回」の名が示すとおり、花川(洛東江上流部)が大きく屈回する地点にあり、
 三面が川に囲まれている。村の南には南山、村の北には芙蓉台と呼ばれる絶壁があり、
 とくに川の対岸の芙蓉台の上からの村の眺望はよく知られている。

  この村は、16世紀に豊山柳氏の一族によってつくられ、その後同族集落として
 存続してきた。現在も、約180戸ある村の住人の7割は豊山柳氏である。
  豊山柳氏からは朝鮮王朝中期の儒学者・政治家である柳雲龍・柳成龍兄弟
 を輩出している。豊山柳氏宗家(柳雲龍の末裔)の屋敷である養真堂や、柳成龍の
 住居であった忠孝堂など、両班の暮らしを窺うことのできる瓦葺きの古い建築や、
 藁葺きの家々が数多く保存されている。また、仮面劇である河回別神クッも伝え
 られており、使用人の目から両班を諷刺する内容となっている。

 訪韓した国賓級の人物も足跡を残しており、1999年には英国のエリザベス女王のが、2005年
 には米国のブッシュ(父)元大統領が河回村を訪問している。

 人口:232名(男112名、女120名)
 世帯数:125世帯
 建物:(瓦屋50、藁屋63、その他29)

   

   1999年のエリザベス女王訪問を記念して入口に記念館が建てられている

     訪問時のエリザベス女王                      訪問時に出された食事
                  

    この村は生活しているのでのどかな田園風景が広がる
           


   藁葺きの家屋
            

    村の中
         

   北村家。ここが主人の居間                  来客との応接室
         

          

                                        
           

                                       樹齢600年を越える欅。村の神木
                                       この木を中心に花川(洛東江)に向かって
                                       村の家屋が建つ
          

     願い事を書いて結びつけるとかなうという。たくさん結びつけられている
           

     この村で一番大きな家                     オンドル(床暖房)の火を入れている
                                        宿泊もできる
            

                                        この日最後のバス(入口まで)を待つ
           



    
安東から原州まで約70Km 1時間30分 高速道路を走る

3. 水原の華城


 
10月30日

  原州のホテルを8:00出発して、約100Km 1時間30分 高速道路を走る

    原州のホテル
   

 華城の歴史  

 18世紀末に李氏朝鮮第22代国王・世祖(韓国ドラマ【イサン】の主人公イサン)が
 老論派の陰謀により非命に倒れた父(思悼世子)の墓を。楊州から水原の顕隆園(隆陵)
 に移し、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護を固めた。
 これが華城である。当時の朝鮮の城塞建設技術の粋を集め、そこに西洋の技術をも合わせ
 たのは、設計を行った朝鮮後期の実学者・丁若繼ヨの功績であった。華城建築には、
 1794年から1796まで2年を越える月日と37万人の労力が投入された。華城は老論を排除し
 実学を重視した正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されたが、華城完成直後
 に正祖が死亡したため遷都は見送られた。

 城壁の長さは、5kmを越え、中国から西洋築城技術を輸入し、東洋と西洋の技術を融合させ
 ている。城郭の築造に石材とレンガが併用されている点が特徴的である。

 朝鮮戦争の際に一部が破損するが、1975年から5年間を掛けて「華城城役儀軌」という築城
 記録をもとに修復・復元工事が行われた。現在、城郭内部は市街地化している。築城時に
 48あった建物のうち、41ヶ所が復元がされている。
  思悼世子を老論派の陰謀により殺害したのは21代の英祖(52年統治)。
  韓国ドラマ【トンイ】の主人公トンイの子。


    華城の入口
    本日は冷え込み大変寒い
       

   城壁、内側から敵を見やすくするために城壁が斜めに    侵入した敵を三方から攻めるように構造
   切り込まれる工夫がされている
          

   たいへん寒いのでダウン着用
                 

   東北舗桜(1796年5月15日完成)
            

   城壁の総延長は5.7Km                       訪花随柳亭
                                         水原華城周辺の監視だけでなく周辺の
                                         景色も楽しめる
            


            

   山の上にも砦がある                         7つのアーチ型の石門の上に楼閣が建っている
                                         川の氾濫と敵の侵入を防ぐ役割
            

  水原から約50Km 1時間。ソウルに入る

4. 昌徳宮


  
1405年景福宮の離宮として創建された。1571年から李朝15代王から
  270年にわたって王朝の政務が行われた場所。
   文禄の役(秀吉の朝鮮出兵:1592年)で国王が漢城から逃亡すると
  秀吉軍が入城前に民衆が宮殿に放火し落城した。
  1868年李朝末期に宮殿は再建された


     1412年太宗12年。正門として創建                 観光客で混雑
               

   錦川橋約600年前に造られた橋                     進善門の屋根にある三蔵法師、孫悟空など
                                           の焼き物
              

     
    
    仁政殿
     昌徳宮の正殿。王の即位式、臣下の朝礼式        左が官僚、右が軍人の両班の席順表示。
     韓国使節の謁見など国の重要行事が行われた      正1品から着席位置の石版
         

     玉座                               玉坐の後ろには太陽(王)と月(皇后)と5つの山
                                       山とそこから流れる川が描かれた絵
          

     王の寝室
     

     皇太子の住居                         皇太子の勉強場所。
                                       睡眠時間は4〜5時間/日で休日なしの詰め込み
                                       このため、王になると若死した。平均40歳前後で
                                       死亡とのこt
          


 

5. 北村韓屋村

            
  
ブクチョン(北村)は世界遺産チャンドックン(昌徳宮)とギョンボックン(景福宮)の間
  にある町々のことで、両宮殿の間にある地域と言う理由から朝鮮時代の高級官僚が
  沢山住んでいたと言われていて、ソウルの中では韓国の伝統家屋が多く残っていて
  昔情緒あふれる場所


             


             


             


               


    

6. 仁寺洞


   ブティック、土産物店、民芸品店が並ぶ通り
          


7. 仁川空港へ



  
10月31日

  ホテル発5:20 仁川空港近くのみやげ物店へ、そこで「あわびのお粥」の朝食
           

    仁川空港近くで朝焼け
             


    仁川空港ターミナルで日の出
             

     空港はたいへんな人出
     

  


     仁川発 9:10  KE701便 
   成田着 11:25

 

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