シリア・ヨルダンの旅




                                             

 
スケジュール


 出発: 2011年3月17日〜26日

 

月  日 スケジュール 宿泊ホテル
3月17日 成田発20 :40 EY871 中部国際空港着21:45  中部国際空港発 23:20 機中
3月18日 アブダビ着6:30 アブダビ発9:30  EY541 ダマスカス着11:10
 ダマスカス市内観光(スーク、ウマイヤド・モスク、国立博物館)
 ダマスカス −>パルミラ 230Km 途中バクダッドカフェで休憩 
デデマン
パルミラ
3月19日 ホテル発8:30 パルミラ遺跡観光
 エラベール家塔墓、三兄弟の地下墓、ボルハボルパの墓
 ベル神殿、列柱道路、パルミラ博物館
 ゼノビア宮殿、アラブ城砦からサンセットとパルミラ全景観光
 ライトアップのパルミラ観光(一部)
デデマン
パルミラ
3月20日 ホテル発 8:00 ー>ダマスカスへ(435Km) 
 途中クラック デシュバリエ観光 
エブラシャムパレス
ダマスカス
3月21日 ホテル発 7:30 ー>ヨルダン・ジェラシュ(280Km)
 途中シリアのボスラを観光後シリア・ヨルダンの国境を越える
 ヨルダン・ジェラシュで遅い昼食(14時)
 ジェラシュ観光(南門、南劇場、アルテミス神殿)
 ジェラシュー>アンマン(50Km)
メリディアン
3月22日 ホテル発 9:15  アンマン市内観光(ローマ劇場、シタデルより
  アンマン市内一望、考古学博物館)
 アンマンー>ペトラ(260Km)
モーヴェンピック
リゾート
ペトラ
3月23日 ホテル発 9:00  ペトラ観光 
 シーク入り口 −>エル・ハズネ(馬車)
 エル・ハズネ(発10:00) - - > エド・ドディル - ->展望台(徒歩)
 エド・ディル - ->エル・ハズネ(着15:30)
 エル・ハズネ −>シーク入り口 馬車
モーヴェンピック
リゾート
ペトラ
3月24日 ホテル発 8:00 −> マバタ (225Km) マバタ観光(聖ジョージ教会)
 マバター>ネボ山(モーゼ終焉地) −>死海
 16:00〜死海浮遊体験
ケンピンスキー 
イシュタル
3月25日 ホテル発 11:00 ー>アンマンへ(50分) 昼食
アンマン発16:00 EY516 アブダビ着20:30  
機中
3月26日 アブダビ発 01:00 EY878 中部国際空港着15:30
中部国際空港発 16:45   成田着 18:00
帰国



 (1)3月11日に発生した東日本大震災でツアー参加者が、3/14に添乗員からは
   16名となっていたが、17日に成田空港で実際に参加したのは8名であった。
  (理由)
    @成田までの交通機関で動いていないものが多く成田まで来れない人がいた
    A車で成田へ行く場合も首都高速の湾岸線で浦安付近で地震のため通行止め。
     また、当時ガソリンの確保も難しく遠距離走れない人も多かった。
 (2)飛行機のスケジュールも急遽変更となった。
   @予定では成田、アブダビの直行便であったが、航空会社が中部空港経由に変更
    した。
   A帰りも中部空港経由となりアブダビ発が22時から翌日の01時に変更となった。
    成田到着も13時前が18時となった。
 (3)3月17日の成田空港
   この日の成田は異常であった。空港内は人であふれ返っていた。それも毛布など
   床に敷いて寝ている人が多数した。大半は中国人であった。
    航空券も持たずに空港に来て乗れる飛行機があるまで空港で泊まり込むそうです。

1.アブダビ



  アブダビ空港は砂漠の中                     管制塔も独特

         
        
              


   ダマスカス行きの待合室                     鷹狩用の鷹も飛行機に乗せられる
                                        鷹狩は王族の遊び。
      
            

    
     鷹

     
          
                

    通常は目隠しキャップをしている。2羽セットで止まり木にのせている
    飛行機の離陸、着陸時には器用にバランスをとっている
    
    
    


   ペルシャ湾とアラビア半島
  
   
 
 

    鷹を連れた連中はVIPであった。飛行機から税関までは
   通常は連絡バスで移動だが彼らには特別車が待機。
   そのままVIPゲートへ直行。

   
    

 

2. ダマスカス市内観光


  3月18日11時10分に空港到着。団体のビザ申請を行い入国。
  市内観光へ

 

スーク


  ダマスカス要塞の城壁。1世紀ローマ軍によって    スーク(アラブの大商店街)
  構築。現在のもは、13〜14世紀に十字軍や       今日は金曜でアラブの休日
  モンゴル軍に対処するために造られたもの       大半の商店は閉まっている。露天のパン屋
          
          


  アラビアコーヒーを売る人                 この通りは18世紀からのスーク
           
         


                                    ラバータという民族楽器を売っている
                  
          

   120年続くアイスクリーム屋                 早速購入して食べる
   有名な人も訪れている                    あっさり系のアイスクリーム
          
          

   スークを抜けるとウマイヤド・モスク           3世紀のジュピター神殿
         
          
 
    3世紀のジュピター神殿                  ウマイヤド・モスク
                                     金曜礼拝後の反政府運動の
                                     叫びがモスクの外まで聞こえた
                  
            
         

   ウマイヤド・モスク近くの昼食レストラン         前菜
        
         


   メイン                              デザート
           
        


   ウマイヤド・モスク近くにはパティオを利用       16世紀のミナレット
   したレストランもある 
                     
          

   ファティマの手と言われている。
   オールドダマスカスの家のドアノブ。
   
    

 


   ハンマーム(アラブの銭湯)                スチームサウナで汗をかき、アカすりなど
                                    を行いゆっくりとする

          
         


   ハンマーム見学
  
 
    


  ウマイヤド・モスクの北門の外にあるサラディーン廟。
 サラディーンはアラブの英雄。エルサレムを陥落させ、十字軍からアラブ各地を奪い返した
 サラディーンの生涯は、1138年〜93年。

            

          


  

ウマイヤド・モスク



  ウマイヤド・モスクは705年に建築された現存する世界最古のモスク。
  もとはキリスト教の洗礼者ヨハネ教会であった。カアバ(メッカ)、預言者のモスク、
  岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地。
    イスラム教徒以外は北門から入場する。入場の際女性は、頭が頭巾のねずみ色の
  マントをかぶる。全員靴をぬいで入る。

            
            


     礼拝堂を飾るために造られた8世紀からのモザイク。   建物の形が鷲ににてるので鷲のドーム
                                        と言われている
  
             
             


    
        


   中の建物はヨハネ霊廟。                 キリスト教の時代にキリスト教徒が
  モスク建築後70年はキリスト教徒も参拝        洗礼の際に使用した

              
          


    メッカに向かう礼拝場所
   手すりがあり1段高い場所は年に一度大統領が礼拝に来る際に座る場所

               
           


     花嫁のミナレットといわれている
     
     


    イスラム教が描いた天国の想像図。壁面に         宝物ドーム
   描かれている。

               
          



  ダマスカス要塞の近くにサラディーンの像がある

    
     


 

国立博物館



 カスル・アラヒーラの門柱。               
 パルミラの南西80Kmのウマイア朝の宮殿から移築

            
        



   内部は撮影禁止。
   ここだけ特別に係員が撮影許可があった
   
   



 

2.ダマスカスからパルミラへ



  ダマスカスの市内観光を終了してバスで約3時間(230Km)走りパルミラを目指す。
  ダマスカス市内を抜けると砂漠の中を延々と走る



  この道を直進するとバクダッドへ140Km。
  左折するとパルミラ。われわれはここで左折。      途中で日が沈む。


            
            


   このような砂漠を走る
  
      


     バクダッドカフェ。上記の場所を左折して       バクダッドカフェのベトウィン人。
    しばらくしてトイレ休憩に立ち寄った。         日立世界不思議発見でも出演した
    ここは「日立世界不思議発見」でも紹介。  

              
             


   ベトウィンが放牧している羊

  

   




3. パルミラ



  パルミラはアラビア半島やメソポタミアと地中海を結ぶ東西文明の中継地として
  栄えた。特に、紀元前1世紀から紀元後3世紀にかけて中国とヨーロッパを結ぶ
  シルクロードの隊商都市として栄華を極めた。
   270年頃ゼノビア女王が君臨すると、すでに海のシルクロードに変わりつつあり
  パルミラの繁栄に陰りが出始めた。そこで、ローマ帝国の領土であったエジプトに
  侵攻して海のシルクロードにも加わろうとしたことがローマ帝国の逆鱗に触れ
  ローマ皇帝アウレリアヌスがパルミラに侵攻してパルミラはローマの手に落ちた。
 




   宿泊は遺跡のすぐそばのデデマンパルミラホテル。
  ホテルの窓から遺跡が見える


   
   

   
     


  デデマンホテル。パルミラ遺跡が見える

 
      
         


 玄関                             ロビー

 
             
        



  3月19日パルミラ遺跡巡り
 

エラベール家の塔墓




    塔墓:最初は高く伸びる塔墓が金持ちのあかしとして競って建てられた。
       しかし、砂漠地方のパルミラだが冬には大量の雨が降る。このため
       日干しレンガで造られた塔墓は崩れることが多かった。
   地下墓:紀元後からは崩れることがない地下墓に移行していく。
   宮殿式墓:ローマが進出した3世紀からは宮殿式になってくる。




   エラベール家の塔墓は5階建てで156基の        棺棚に載せて順番に置いた
   ミイラを安置していた。

              
                  



      塔の内部                              崩れかけた塔墓 

                
               


    塔の内部                               天井画にはここの4兄弟が描かれている

   
            
             



    当主と奥さんの像

   
   


 

3兄弟の地下墳墓



     三兄弟の地下墳墓の入り口                    生前のレリーフ

    
        
              


    赤ちゃんの墓
   
          
          


                                          中央は当主。左は奥様、子供

   
         
         


  

ボルハ・ボルパの墓



  紀元128年に構築された。
 日本の発掘隊が発見した。                  特別にカギを開けてもらった
            


            

    
     石の分厚い扉                          内部
   
          
           



    
       
  


    ここは、棺棚も残っている                  真ん中が当主

             
           



              
            



    
    


ベル神殿



  ベルはバビロニア系の最高神。ギリシャのゼウス、ローマのジュピター
 と同一神。紀元後32年に建造された。
 1辺が200mの巨大な神殿。





    柱の頭部にはアカンサスのレリーフがある       本殿

             
          


   アカンサスのレリーフ
    
    


                                    南の祭壇。キリスト教の祭壇に利用された際
                                 ロウソクの煙で天井が黒くなっている。
                                 この天井は1枚岩に精緻な模様がほどこされて
                                 いる。これは後のヨーロッパ文明に影響を与えた


             
            


   北の祭壇
               
            


    タマゴとブドウのレリーフ                    悪の足はサソリ

                                        
             





列柱道路



   ベル神殿を出て列柱道路に向かう             記念門
  750本の列柱が記念門まであった。            ここから列柱道路が続く
 

              
            


     列柱道路から記念門                  ナボ神殿(ギリシャ語ではアポロ神殿)
           

            



   復元された円形劇場                     動物と人間の格闘競技が行われた
          

             



    円形劇場から四面門、アラブ城砦を望む
    
        


    元老院議事堂跡                   取引所跡
                                 パルミラ語とギリシャ語の表記がされていた
        

          


    四面門:記念門からまっすぐのびる列柱道路
        と交差点の門

    
               


   バールシャミン神殿:ギリシャ語でゼウス神殿。5世紀には教会として
                造り変えられたため保存状態がよい。 



                                      神殿の内部 
           
                

           
  


ゼノビア宮殿



  3世紀に存在したパルミラの女王の宮殿。
  パルミラの繁栄の絶頂期の再来を願ってローマ支配のエジプトに侵攻し
  ローマ帝国の逆鱗に触れローマ帝国軍に滅亡させられた。



                                          会議室:3世紀後半ローマ軍との会議で使用
               
          



     現地ガイドのファディさんお勧めの          ベル神殿、記念門、列柱道路、四面門
    ビューポイント                       が見える

               
                


アラブ城砦


  アラブ城砦は17世紀オスマントルコの統治者によって高さ150mの岩山
  の上に造られた。



  


   

  
   牢屋                            見張り場所 
          
           

    夕日とパルミラの展望でたいへんな人出      夕日。パルミラ遺跡とは逆方向に沈む

            
           


             
         




    幅1Km、長さ2Kmの広大な遺跡
   
        
              


    ライトアップされたアラブ城砦
   ライトアップされた記念門
  
          
           



             
            



     ライトアップされた列柱道                 円形劇場
             
             



4.クラック デ シュバリエ


  デデマンホテルを8時に出発ダマスカスまで約435Km(6時間20分)のバスの旅。
  途中 クラック デ シュバリエを観光



    
 ホテル出発後は砂漠の中にオアシスが点在する風景が続く 
                
     
            



     アーモンドの花が満開                  地中海沿岸に近づくにつれ緑と人家が増える
   
         
           


    春の野花が咲いている
   

          



  クラック デ シュバリエ 

   1144年に移り住んだ聖ヨハネ騎士団(十字軍)が標高650mの丘の上に立つ
  城を要塞化した。フランスの城塞様式。アラブの英雄サラディーンも1日で城
  攻撃をあきらめた。
   この城は当時の築城技術の粋が集められた。
  1227年の第9回十字軍に参加したイングランド王エドワード1世がイギリス国内
  にこの城と同様な城を建設した。その後中世ヨーロッパの築城に影響を与えた




     アラビアのロレンスが世界でもっとも美しい      5000人の兵を収容できた
    城と称した。

             
          


    シリアのガイドファディさんと
   

    


     入り口                             城壁の中通路
    
         
               


     馬で通行することを前提に造られている         矢での攻撃場所
             

             


     敵に石を落した
   
           
            


     外壁の通路は狭い                      外壁の上部
    
           
            


     
     内掘り                             内城(この上まで登る)
    
           
            


     水道橋                              アラブ浴場 
             

            



    外壁の上を歩く

               
           


    外壁と内城の間は春の花が咲いている
    
    
    

    ゴシック様式の会議室                    兵舎(馬小屋と同じ造り)
            

             


     オリーブオイル貯蔵所(穴に壺をさした)         ゴシック様式の会議室
    隣は食糧貯蔵庫(5000人分を2年間保管)
                 
              


      トイレ                              内城の上からの眺め
              

               


     内城の上
            

               


   昼食レストラン前
             
        
  
   クラック デ シュバリエで昼食(すぐ隣)後ダマスカスまで移動

5.ボスラ 



  3月21日 ダマスカスのホテルを7時30分に出発。
 ボスラを経由してシリア、ヨルダンの国境を越えてヨルダンのジェラシュまで
 280Km(4時間30分)。特に陸路で国境を越えるためホテルを早めにスタート。




  ダマスカスのホテル
   

     



    ボスラへの途中、ドローズ教の本山で停車。
    イスラム教の一派でイスマイール派の流れをくむ少数グループ
   

    



 ボスラ
  世界でもっとも完全な姿で残る巨大なローマ劇場


    ボスラの城壁
   13世紀半ば十字軍対策のために掘、壁が構築された
   

    


  ローマ時代のモザイクタイル                   楽屋。この先が円形劇場
           

         


     2世紀後半に造られた。幅102m 37段の客席
    25年前に演歌歌手の北島三郎もこの劇場で歌ったそうです
    

     


    6000人が着席でき、3000人が立席の収容ができた 
    
          
         


                                            この劇場はたいへん音響効果がよい
                                          ユーラシア旅行の添乗員が歌を披露
                                          していたが、上段でもよく聞こえた

                 
             



    旧市街。塔は7世紀からのウマールモスク         塔は6世紀からのキリスト教大聖堂
                                      ビザンチン時代。
                                      手前円柱は2世紀のローマ時代
    
          
                  


      石造です?
    
               
               



     ビザンチン時代のモザイク(移築)
   
           
           


                                            舞台
            

            



              
             




  

シリア・ヨルダンの国境通過



           
    

   シリアからヨルダンに陸路国境を越えるが当初予定では「ダラ」で
  国境超えであった。しかし、ダラでの反政府運動が激しくなり20Km
  東のジャベルで国境を越えヨルダンに入国した。。
   国境通過の約1時間かかった。シリアのバスがアンマンまでいった。



  


 

6.ジェラシュ 



  紀元後50年〜60年頃からローマ帝国の繁栄に伴い栄えた。
 106年トラヤヌス帝がヨルダン南部を征服して東方との交易路
 もつながり人口も2万5千人に上った。



     ハドリアヌスの凱旋門(ここから遺跡)          競馬・戦車の競技場  
               
           


   南門前にあるレストラン。ここで遅い昼食         春の花が咲いている
                
           


     南門。門前は市場として利用されていた      アカンサスのレリーフ
                                   アカンサスの葉をモチーフにしたのが
                                   コリント様式
  
        
                   


                                         フォルム:卵形の広場でイオニア式列柱
                                     に囲まれている。
                                    皇帝が来た時などの儀式に利用
             

             


     南劇場。3000人収容。                      南劇場から見た遺跡
    今でも毎年コンサートに利用   
                
             



      南劇場の上段から
     
            
              


     階段は急。座席は指定席であった。
   

    


     アルテミス神殿に向かう。                 マキシム列柱通り。列柱通りと直角に交差
    遺跡の草取りヤギが活動
   
          
           


     アルテミス神殿:紀元後1世紀から12本の
               柱が立っている


                
            


      アルテミス神殿
      
            


     修道院                               この道は列柱通りと並行して一段高い
                                       位置にあり、教会などが並ぶ

               
             


       ニンファエウム
     森の妖精と呼ばれている                 各台座に像がおかれ穴から水が流れた
    
           
               
   


     列柱通り。                            マキシム通りと列柱通りの交差点
    教会などが並ぶ神聖な通りから1段下がる        四面門がある
    この通りには商店などが並んでいた。
    突き当たりは北門
   
            
              



       ゼウス神殿:2世紀に造られたもの
     

        


     ジェラシュ観光後50Km(45分)でヨルダンの首都アンマンへ到着

メリディアンホテル


   アンマン市内のメリディアンホテルロビー
    
           
            
             




                 
              



    夕食はホテルレストラン(ビュッフェ方式)
             

             

7.アンマン市内観光 



  3月22日ホテル出発9時。午前中アンマン市内観光。昼食後ペトラへ
 アンマンは9000年前には町があったとても古い街です


  

ローマ劇場



  ローマ皇帝アントニウス・ピウス治世(138年〜161年)に建設された。
  ヨルダン国内最大の劇場

   円柱が並ぶアプローチ                           33列6000人を収容できる
  
           
          


    舞台
   
           
             

   急なすり鉢状になっている
     
    


 

旧市内散策



   120前に作られた商店街               モスクの塔の上に飾る金具の販売
        

         


   乾物屋                              香水屋
          

         



  水たばこの器具の販売                     水たばこも販売
                                     ニコチン系は少なくバーブが主体
  
            
          



    羊の肉をあらゆる部位を販売している          アル・フセイン・モスク
                                     ウマイヤ朝の640年、ビザンチン時代
                                     に造られた

              
            


     ザクロ
   
          
        


   

アンマン城


   ジャバル・アル・カラアの山頂にあり市内を一望できる




    アンマン市内:パレスチナ難民、イラク難民で人口が爆発的に増加
   イラク戦争前の人口は180万人。そのうち7割がパレスチナ難民。
   イラクからの難民80万人がアンマンに住んでいるといわれている

              
        


    ビザンチン時代の教会跡
     
    


   ヘラクレス神殿
             
        


   考古学博物館の6000年前の像。死海文書は移転のため展示されていなかった
    

    


   昼食レストラン
    
    


   アンマンから砂漠を260Km(3時間45分)バスで走り
  ペトラをめざす


8.ペトラ 


  3月22日17時前にペトラのホテルに到着


  

モーヴェンピック リゾート ペトラ




    ペトラへの入り口にあるホテル。             ホテル玄関
   ホテルヘ入る毎にセキュリティーチェツク
   を受ける


                      
              


   コーヒーのサービスをする人                  ロビー
  
             
           


     コのホテルで連泊
  

3月22日の夕食はベトウィンスタイルのディナー



   ホテルから車で30分ほどのベトウィンのテントに向かう
  そのテントでベトウィンスタイルのディナー




    テントの中。自家発電の明かりで暗い            食事はビュッフェスタイル

    
           
             


                                          ベトウィンの老人が突然楽器を演奏し
                                      抑揚のない歌を歌う
   
               
                    



     
     


  

3月23日ペトラ観光(終日)





      

    ペトラは、ナバタイ人の都市であった。
   ペトラは2000年以上前からアラビア半島からやってきた遊牧民のナバタイ人や
   ベトウィンによって栄えた中継都市。


    (1)ペトラ入り口からスークの1.5Kmの道でエル・ハズネ徒歩約30分
   (2)エル・ハズネから昼食レストランまで徒歩約1時間
   (3)昼食レストランからエド・ディルまで往復徒歩2時間
     (ビューポイントへの立ち寄り時間は除く)



      


  3月23日8時30分ホテルの部屋から見るとすでにペトラ遺跡めざしてぞくぞくと人が進んでいく。


   
            


   3月23日9時出発。
   今日1日ハイキングです
     
     


  

(1)入り口からエル・ハズネ



   入り口からエル・ハズネまで徒歩30分、馬車15分


     入り口とエル・ハズネ間往復で馬車1台(2名乗り)    最初は砂利道
    が$30+$10(チップ)=$40
    馬車でエル・ハズネまで行く      

                 
                


    シークが見えてきた。エル・ハズネ下る
   シークは大量の雨水が岩を削ったもの

                
            

   馬車はたいへんな振動。
  特に石畳は石と石の間に車輪が入りたいへん
  
            
             


               
             


    岩と岩の間から光が射しエル・ハズネが見える

               
            


    朝野エル・ハズネはたいへんな人出
   エル・ハズネは岩を彫り抜いた神殿風の霊廟
   映画「インディ・ジョーンズ」の最後の聖戦の舞台
   幅30m高さ43m。紀元前1世紀から紀元後2世紀のもの 

                          
               


   頭部の壺には財宝と勘違いして銃で            ローマ時代の「ミケ」(戦いの神様)の像
  撃った跡がある

               
             



    

(2)エル・ハズネから昼食レストラン



  エル・ハズネ出発は10時

   昼食レストランまで約1時間の工程



          


  最盛時3万人の街中心地                 岩を磨り潰した砂でガラス瓶に絵を描く
          


                                              これが商品
          


  ファサード通りを行く                    ローマ円形劇場。岩を掘って造った
                                  5000人収容。2〜3世紀のもの

         


    岩が独特の形と色をしている
             



           


     宮殿の墓。紀元後1〜2世紀造られた        柱廊通り。先にラクダ岩が見れる
           


   神殿の跡                           凱旋門(手前は公共施設のエリア)
           


    紀元後1世紀に建てられた神殿            11時過ぎ昼食レストランに到着
          


    ちょっと早い昼食
    


  

(3)昼食レストランからエド・ディル



  午前12時前にエド・ディル目指して昼食レストランスタート


    最初はなだらか
             



    ここから800段の階段上り   
     


  狭い道をロバに乗った旅行者が通過します      こんな狭い場所もあります
  ロバは複数頭で御者1人ですので御者が
  いないロバはたいへん危険です。

          


   谷筋を登ってきます
          


  もうすぐエド・ディルです
               


 エド・ディル


 高さ42m、幅52m。1世紀中ごろに建てられた
 ナバタイ人の神殿。ディルは修道院の意味

  




  

(4)エド・ディルから2つの展望台へ



  エド・ディル前の広場。広場の先にカフェがある。
  右の丘の上が展望台。広場を右に歩くとライトビューポイントがある

   



     カフェの横から展望台に上るがかなり急な登り
   


     展望台到着
                    


    眼下にエド・ディルが見える
      



    展望台からの眺め。パレスチナも見える
                                               

            


    展望台(下の写真の丘の上に小さいテントが見える)
   を一度くだりライトビューポイントに登る。移動には少し時間がかかる。
    

        

 
   ライトビューポイント
    

     



    ライトビュウーポイントからの眺め
    
       
            


   ライトビューポイント
            

            




    ライトビューポイントからエド・ディルへの戻り道
     
     


(5)エド・ディルから昼食レストラン経由エル・ハズネ



  帰りはもくもくと歩きます                 昼食レストランが見えてきました
 
        
        



 

(6)昼食レストランからエル・ハズネへ



    昼食レストランを14時30分スタート


  エル・ハズネに向けて約1時間のハイキング
  

    

  15時30分 エル・ハズネに到着
   朝のエル・ハズネとは異なり人も少なく閑散としている

    
         
          
         


    

(7)エル・ハズネから入り口へ



  16時発(朝約束)の馬車を待つがなかなか来ない。
  結局16時20分発となった。帰りはだらだら登りで
  馬も疲れがでてきたのか遅い


    
    

  ホテル到着は16時45分。ホテル出発が9時だから
 7時間45分のハイキング。長い一日でした。

(8)モーヴェンピック リゾート ペトラホテルで夕食




 3月23日 ホテルのレストランで夕食

  
        
           


9.マダバ


  3月24日


  マダバはペトラから225Km。バスで約3時間15分。
  マダバ周辺には洗礼者ヨハネが活動していた場所で、イエスもここで洗礼を受けたとされる
  などのキリスト教に関する場所も多い。このため、巡礼者の訪れる街。
  

  門前町の雰囲気のマダバの街             聖ジョージ教会。古い教会を覆うように
                                  新しい教会が建っている。

           


  6世紀のモザイク地図。古い教会床に描かれて      エルサレムが描かれている
  いる。右に死海が。ヨルダン川が流れ込んでいる    2本の通りには列柱がありローマ様
  川の魚はすべて死海の反対向きに描かれて       の街並みとなっている。
  いる。(死海の塩分濃度が高いため)            6世紀はローマの属国であった証。
   ジェリコ(一番古い町)も描かれている


             



 内部は古い教会。モザイクは床にある
            

   聖ジョージ教会の玄関
    
  


10.ネボ山


  ネボ山はマダバの西10Km。死海とパレスチナを見下ろす山。
  モーゼの終焉の地とされている。



   ネボ山を表す石碑。                     ここでモーゼが120歳で終焉を迎えた。
  ネボ山で雨が降りだす。

              

   
     後ろが死海
       

   

11.死海


  死海は標高ー420m。世界でもっとも標高が低い場所。アフリカ大陸の大地溝帯
  の一部で地球の割れ目。
  




   死海。対岸はイスラエル                 ケンピンスキー イシュタル ホテル玄関
          



  15時30分から死海浮遊体験を行う予定であったが、雨であったので16時からに延期
  行った。青空も見えてホテルのプライベートで浮遊体験。
  死海の塩分濃度は32%。通常の海水は6%。
  死海の浮遊体験では、塩分濃度が高いので顔を浸けてはいけない。
  このように浮くことが大切です。死海は水辺からすぐに石だらけの海底になるので
  サンダル等を履いて入る。1回に時間は10分以内。


            


    海岸にドラム缶で泥パック用の泥を置いて      イスラエル側に沈む太陽
   いるのでそれを塗る。

                 


    水辺までは砂です
     


   プライベートビーチ
            


  ホテルのプール。プールの先は死海。
   


    ホテルロビー                       ライトアップされた庭
           


    ライトアップされた庭
    


 

ケンピスキー イシュタル ホテルの夕食



   3月24日。ホテルでの夕食。
  広いホテルで夕食場所へ行くにもエレベータを2度乗り変えて行く
  

           


    このツアー最後の晩餐
           


 

ケンピスキー イシュタル ホテル内散策



  3月25日はホテルの出発が11時のため広いホテルを散策した。


  ホテルのプール。プールの先は死海           
              



   ホテルのコテージルームが並ぶ             コテージ客用のプール
            


     コテージの間のプール
        


    死海。海岸の白いのは塩。              プール

          


     宿泊した部屋がある建物
    


12.死海からアンマン、アブダビをへて帰国




     3月25日。
    アンマン市内のレストラン(昼食)で記念写真。

     



     アンマン空港。
          


    アブダビの夜景。

          



            

 
    エティハド航空機
     



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