ポルトガル周遊の旅









                            

 

 スケジュール


 出発: 2009年9月25日〜10月2日

 

月  日 スケジュール ホテル名
9月25日 成田発 12:00(AF275)  パリ 着 17:30 
パリ発 20:20  AF2124 リスボン着21:50              リスボン泊
 
サナ メトロポリタン
9月26日 ホテル発9:00 (100km)オビドス観光
ナザレへ (34km)  ナザレ観光後昼食 
バターリャへ (32Km) バターリャ修道院観光
ファティマへ (16Km) バジリカ観光
コインブラ郊外 (50Km)                      コインブラ郊外泊
ポウサーダ デ 
コンデイシャ ア ノバ
9月27日 ホテル発 9:15 コインブラ市内観光(コインブラ大学図書館、
 旧市街) 昼食
アベイロへ (90Km) 旧アベイロ駅観光、運河めぐり
ポルトへ   (65Km)                              ポルト泊
 
ティアラ パーク
アトランティック
9月28日 ホテル発 9:00 ポルト市内観光(ボルサ宮、ポートワイン工場
  サンフランシスコ教会) 昼食
ギマランイスへ (45Km) ギマランイス観光(ブラガンサ公爵館
  旧市街)    
ポルトへ  (45Km)                              ポルト泊
ティアラ パーク
アトランティック
9月29日 ホテル発 8:30 ポルト カンパ−ニャ駅 発車9:47
 高速列車「アルファーベンドラール」(1等車)
リスボン着 12:30(少し遅れて到着) 昼食
リスボン市内観光 (貸切トラムで観光(1時間) 、ジェロニモス修道院
 ベレンの塔 発見のモニュメント )   ホテルへ
夜 ファドディナーショー                           リスボン泊
ドン ペドロ リスボア
9月30日 ホテル発 9:00 エヴォラへ (125Km)  
 エヴォラ市内観光(カテドラル、ディアナ神殿)昼食
エヴォラ (125Km) リスボン ホテル着16:00
 夕食 日本料理「彩」で寿司(フリー)          リスボン泊
ドン ペドロ リスボア
10月1日 ホテル発 9:00 (45Km) ロカ岬 観光 
シントラへ (20Km) 王宮観光 
リスボンへ (28Km) ロシオ広場解散で自由行動
(昼食、サン・ロケ教会、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台)
ロシオ広場集合16:00 リスボン空港へ 
リスボン発 18:30 AF1925 パリ着 22:00
パリ発 23:35 AF278      
機中泊
10月2日 成田着 18:10(定刻10分遅れ) 



  訪問した場所

     
ポルトガルの訪問地
         
              


   ポルトガルの
  
  @ 人口は約1061万人(日本の1/10)、

  A 面積約9万Ku(日本の1/4)

 


 

1. リスボン空港


  リスボン空港の荷物受取エリアでワゴンで飲料水、果物、菓子の販売

     

           


 

2. オビドス


      

   
 リスボンのホテルを出て、オビドスへ向かう    途中風力発電の風車が目立つ 
                                    環境問題に対応したもの 

    
       
  
    

   
オビドス

       城壁に囲まれた人口800人ほどの小さな町。 「谷間の真珠」と呼ばれる
       ローマ時代に海からの敵の侵入を防ぐために砦が築かれことから始まる。
       その後、イスラム教徒に征服されたが、1148年アフォンソ・エンリケスにより
       ムーア人の支配が終わリ町は再建。1282年オビドスを訪れ、町に魅了された
       王妃イザベルにディニス王が町をプレゼント、1834年まで代々王妃の直轄
       地となった。


      

       オビドスの城壁
      


     オビドスの駐車場から城内へ                 城門ヘ
           


     城門は2重のジグザグ構造                 アーチ型の内部は18世紀のアズレージョ
           


  城壁の中のメイン通り(ディレイタ通り)               ブーゲンビリアが咲き、土産物屋が並ぶ
               


    ここの名産にチェリー酒がある。1
ユーロで味見できる
              

    

     メインの通りの突き当たりはサンティアゴ教会

      
     

            

      城壁の上に登れる                           城壁内の家

                      


     
    オビドスの周りは農村地帯                          城壁の上で
            


                                           ポサーダとして利用しているため宿泊できる

                                           (ポサーダは、国営で歴史的建物、風景のよい
                                           場所にその地方の建築様式を生かして
                                           レストラン、ホテルとして利用)


          
                    



           
   


    サンタ・マリア教会。1444年10歳のアフォンソ5世が8歳のいとこイザベラと結婚式を挙げた

           


      正面祭壇                           内部の壁は全面17世紀のアズレージョ
                                       で覆われている


         


      天井画                             ブーゲンビリアがきれいに咲いている

         


        






  

3. ナザレ



    8世紀、西ゴート王ロドリゴがロマノという僧を従えてシティオまできたとき、

       彼が携えていたマリア像がイスラエルのナザレのものだったことが由来で

       ナザレとなった。


ベデルネイラ地区


  
メモリア礼拝堂

   聖母マリアの奇跡が起こった場所
   1182年霧のかかった朝、ドン・フアス・ロビーニョという城主が馬に乗って
   狩りをしていた。鹿を岬の端まで追い詰めたが、鹿が急に姿を消した。
   馬は後ろ脚のみで岩に踏ん張り前足の下は深海が口を開けていた。
   その時、突然聖母マリアが現れ馬は奇跡的に後戻りした。
   それを感謝して礼拝堂を作った。

   
       

  
礼拝堂の内部。タイルで覆われている        幼いイエスに乳を与えるマリア像
      
   
          


  礼拝堂の裏に崖から落ちそうになったドン・フアスの姿がアズレージョで描かれている
        


   展望台からシティオ地区の眺め、大西洋です。,
           


   展望台                                  ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会
                                            17世紀の建物


            

ベデルネイラ地区
 

シティ地区



  海辺のレストランで昼食

         


 タコのリゾット                   サルディーニャス・アサーダス
                           (イワシの塩焼き:おいしい)

        


 マッサァン・アサーダ(焼きリンゴ)
   


  海岸から見た町の通り
    


 

4. バターリャ



        バターリャ:戦いの意味
   
1385年8月14日、バターリャ近郊のアルジェバロータで王位
        を狙って攻め入ったカスティーリャ軍をジョアン1世率いる
        ポルトガル軍が打ち破った。スペインに対するポルトガルの独立
        を守った。ジョアン1世が聖母マリアに感謝を捧げるため大修道院
        を1388年に着手した。
         修道院は16世紀初頭まで300年間をかけて作られた。

    
     
   地元の英雄「アルヴァレス」の騎馬像        バターリャ修道院の入り口             
        
    

      
    中央の祭壇
         


    ステンドグラスを通した日の光が美しい
        


    太陽とステンドグラスと、時間が作るハーモニー
          



  右がジョアン1世                     エンリケ航海王子の棺
 左が王妃フィリバ・デ・ランカスターの棺          (ポルトガルの大航海時代を築いた王子)

            


  アフォンソ・ドミンゲスによって作られた         大航海で得られた胡椒、果物などがモチーフ
  ゴシック様式の回廊。                   にされている。
 (リスボンのジェロニモス修道院も手がけた)

                   

 
  参事官室:無名戦士の墓が置かれている。この部屋は柱が一本もない
               


     未完の礼拝堂:ジョアン1世の息子ドゥアルテ1世
          が建設開始。100年ほどで中断

               


     マヌエル様式の装飾がされている
              

 
   未完の礼拝堂のため屋根はできていない
      

  

5 ファティマ



   

    
第一世界大戦中の1917年の5月13日に、3人の子供たちの前に
       聖母マリアが出現するという奇跡がおこった。
        3人の子供のうち2人はすぐに亡くなるが残りのひとり「ルシア」は
       2005年に亡くなる。
         当時はオリーブの木が点在する荒地。
       1981年の5月13日に前ローマ法王ヨハネ・パウリ2世がバチカンで襲撃
       された。これを、聖母マリアの出現を見た「ルシア」は予言したそうです。
        ローマ法王もこの地を訪れている。
       
   100年前までは牧草地だったところが今や広大な宗教施設となっている。
   これは多数の信者が集まりミサが行われてい。
    パウロ6世司教センタでのミサの様子。

      



  バジリカに向けて歩く。この広場は30万人を収容できる
             


   聖母マリアが出現した場所に             5体倒置のように手と膝で礼拝堂まで行く
  作られた礼拝堂                    熱心な信者の道。(広場の光っている部分)

         

    

      バシリカ                     ミサの様子
               


   
 

6. ポサーダ(コインブラ近郊)



   ポサーダ
     ポルトガルの国営ホテル。歴史的な建築物を改修したり、
       景観の良い場所にその地方の建築様式を生かして建てら
       ている。 
   夕日を眺めながらの夕食
       

  ここは、緑のワインがある
   

      
  朝は、ホテルの裏が広い芝生になっている           周りはノンビリとした農村
            


  ホテルでの朝食                       ホテル玄関
           

 

7. コインブラ



  ポルトガル第3の都市。文化の中心。人口は約9万人。
 



 

コインブラの丘の上



 コインブラ大学の並びの丘の上の高級住宅街
     


  コインブラ大学の学生が卒業後に建てた石碑。        タンパース。ススキの一種
 詩が記されている。このような石碑がたくさん
 並んでいる。

           



 

コインブラ大学



 医学部の建物
 
                 


  コインブラに大学が置かれたのは1308年。
   1290年にリスボンで創立された大学がコインブラ
   に移転されたこことに始まる。



  無情の門と呼ばれる鉄の門。ここを入ると            デニス3世の像
 旧大学の中庭に出る。

            


   旧大学。時計塔もある。                 ラテン回廊
           


   学生たちが「カブラ(ヤギ)」と呼ぶ時計台
  18世紀に建造された。

    
         
         
  ジョアニア図書館。蔵書は30万冊。館内にはコウモリが生息し、蔵書をいためる
 虫を食べる。このため、右の大きな扉の左スミに小さなくぐり戸がありノックすると
 そこから入れてもらえる。

            

                                         
    ターリャ・ドゥラーダ(金泥細工)による内部装飾、調度品
              


    この図書館、学術調査ならいまでも           天井の模様
   貸し出すそうです

                   


   図書館の右にある礼拝堂                 空間に飛び出した独特のパイプオルガン
             
               
              
   


  旧サンタ・クララ修道院                          新サンタ・クララ修道院
   モンデコ川の氾濫で旧修道院は上部
   の新修道院に移された
                
             

   
 

旧コインブラ市街散策



  
  丘の上のコインブラ大学から旧市街をモンデコ川のほとりまで下る
          
 
 
 
 旧カテドラル
 初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケスが1162年の建築。ロマネスク様式
 レコンキスタの時代は要塞も兼ねていた。

           


  教会内部。ミサが行われていた。
               


   旧市街を下ってくる途中
           


  
    


   モンデコ川近くの土産物店             日本で金平糖となったお菓子
           


8. アベイロ




   ポルトとコインブラの中間の町。


 (1)旧駅舎
  アベイロの旧駅舎。見事なアズレージョ       この地方の農村風景
     

  ここは大西洋の沿岸のため、塩田で塩を       潟でとれる藻を肥料として利用していたが
   作る様子を描いたアズレージョ           その様子のアズレージョ
       
     


      

  今も電車が運行されているホーム側から      ホーム側にもアズレージョが
   旧駅舎を見る

      

      

  ホーム側のアズレージョ。一部欠損がある。新しく補充すると色が異なる
 
            



            
     

  
 (2)運河めぐり
  

  海藻を集める船を「モリセイロ」と呼ぶ       ヤシの木があり家もカラフル
 それを模した運河めぐりの船で40分の船旅

           


           


  昔の水車小屋。たくさんの水路がある        中央運河。運河めぐりの発着場
                          鉄道駅とは徒歩20分程度の距離

           



  9月27日ポルトのホテルの夕食時のレストランでの運転手フリオさん
   
 

9. ポルト




  ポルトのホテル                   旧市街は坂道が多い
            


 ポルトの旧市街にあるサン・ベント駅。駅構内にアズレージョがある
 この駅からは特急、急行はでていない。

 



 (1)ポルサ宮
  
 サン・フランシスコ修道院の跡地、ポルト商業組合も建物が造られ
  たのは1834年ごく最近まで証券取引所として使われていた。

   ポルサ宮の入り口


     


  場内は撮影禁止のたカタログから
  エントランス        人物画の間         アラブの間          

               


   黄金の間         会議室          大広間     
              


     王の間         法廷の間  
       


  入り口横の資料室:偶然ドアが開いていて撮影できた
         


  資料室の天井
   
 

 (2)ポートワイン工場
  
  旧市街からはドウロ川をわたって対岸に並ぶポートワイン工場
   を見学する。

  ドン・ルイス1世橋を渡る。             鉄橋の上部は鉄道。水面近くは道路で利用
  この橋はエフェル塔の設計者の弟子が設計したもの

  
           
              
            
     
    鉄橋の上部を電車が走る             ドウロ川に浮かぶワイン運搬船。
                           対岸は旧市街   
  

             



  ポートワインの工場:SANDEMAN,
    イメージ衣装の女性と            ワイン貯蔵の樽

           


    ワイン樽貯蔵所に浮かび上がるSANDEMANのロゴマーク
    

   樽貯蔵所                    ワインの試飲
          




  



 (3)サン・フランシスコ教会
  

  ドン・ルイス1世橋を渡り、旧市街のポルサ宮のとなりの
   サン・フランシスコ教会へ行く

  ポルサ宮前にあるエンリケ航海王子の像       サンニコラス教会
                           ポルサ宮の横(ドウロ川沿い)
        


   サン・フランシスコ教会
        


      


        


 (4)昼食

   ドウロ川をはさんで対岸にポートワイン工場が見える。
   こちらは旧市街

     

 
  昼食は
   タコの唐揚げ                  タコのリゾット
           

10. ギマランイス



 ポルトからバスで1時間程度の場所
   初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス
   生誕の地。
      


   ポルトガル初代国王エンリケス1世の像      
             
   
 ブラガンサ公爵館                 サン・ミゲル教会
  
ジョアン1世の息子初代ブラガンサ公爵と      12世紀に建築したロマネスク様式の建物
  なったドン・アフォンソによって15世

  
初めに建設。現在は国賓などの接待の場

     


 ギマランイス城                 旧市街を歩く。サンタマリア通り
  10世紀の城。ポルトガル初代国王         14世紀から19世紀の建物が並ぶ
  アフォンソ・エンリケスは1110年ここで誕生。

     

 
 旧サンタクララ修道院。現在は市庁舎        2階の繋ぎは18世紀のもの      
    

 サンチャゴ広場:庶民的家屋が並ぶ
     

 ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会
  ロマネスクとゴシック様式が混じった建物

   

 アーチはムーア軍を打ち破ったサーラードの
  戦いの勝利記念。1342年完成。

 

 昔のメーンストリート
     

 「ここにポルトガル誕生する」の表示
 
 
 
    
  ポルトの旧市街で夕食
   ポルサ宮の前のエンリケ航海王子の像の前
  からドウロ川との間の旧市街が夕食レストラン

  エンリケ航海航海王子の             ビルにはエンリケ航海王子の生まれた
  生まれたビル。(左側の2番目茶色いビル)     ことを示す表示がある

          



  夕食レストラン                 これが日本に伝来してカステラとなった
                         「パンデロー」
           

              


     夕食レストランの通り
     



11.ポルトからリスボンへ



  ポルトからリスボンへ高速列車「アフファーベンドラール」
    で移動した。バッグなどの大きな荷物はバスに乗せて
    高速道路を走り、先にバスと運転手到着。
 
  ポルトのホテル「ティアラ パーク アトランティック」を出発

     
    

          

  ポルトの特急、急行発車駅のカンパーニャン駅
  ここから中心部のサン・ベント駅などに向かう

            


  9:47発の「アルファーベントラール」でリスボンまで3時間の旅
  高速バスで3時間半〜4時間とのこと。

         


  電車は旧市街地に対してドウロ川の対岸を走る
 旧市街とクレリゴス教会の塔も見える

  


  電車は1等車だが、1車両の半分は進行方向とは反対向き。
 座席の回転ができないようだ。

           



  コーヒーか紅茶とミニのケーキも付く。また、イヤホンも付いてくる。
  お茶のサービスの女性

            


  大西洋のきれいな海岸線を走る
                


   リスボンからポルトへ来る際に立ち寄った「アベイロ」の旧駅
           
 

   線路は広軌の線路のためかなりのスピードがでる。
  在来線を走っているがスピードは230Km/時近く。

            
          


    12時35分ごろ定刻より5分遅れで        撮影に手を振ってくれた車内サービスの女性
  サンタ・アポローニア駅(リスボン)に到着。

             



  

12.リスボン市内観光



(1)昼食


  サンタ・アポローニア駅の目の前に豪華客船    4月25日橋。1966年完成、全長2278m
  が停泊。大西洋、テージョ川と遡ってくる。     1974年4月25日アントニオ・スピノラを
                           中心とする革新派軍人グループがクーデター
                           を起こし新政府が誕生。それに由来する。

            


   テージョ川の川べりにならぶ倉庫をリニューアル   パシュティシュ・デ・バカリャ
  したレストラン街                 干しタラのコロッケ(名物料理)
  
           


  エストレーラ聖堂
 ドナ・マリア1世が息子の誕生を神に感謝して
 1779年建設開始。ネオクラシック様式

     


 (2)トラム貸切でリスボン市内観光


   貸し切ったトラム(約1時間走る)          運転手は女性
            


   トラム車内の様子                  こような急なカーブを走る       
             



    狭い道も走る。歩行者もすれすれに走る
    



    サンタ・ルジア展望台(テージョ川もよく見える)
               


  ここは、単のトラムが交差できる場所        サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会
 運転手は電車を降りていろいろしています。     1147年アフォンソ・エンリケスが建築した当時
                          は城壁の外。

           


  リスボンは坂の町                 トラムに無賃乗車する若者
            


   カルモ教会                   
           



   市庁舎                      首相官邸
            


   ジェロニモス修道院の近くでトラムの旅は終了
              


 (3)ジェロニモス修道院

     エンリケ航海王子の偉業を称え、またヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓
   を記念してエンリケ王子が建てた礼拝堂の跡地にマヌエル1世が1502年に着工した。
   1584年の日本からの天正遣欧少年使節が一時滞在した。

  


               



               


      
     祭壇
                 
   

                                              ポルトガル最大の詩人
                          カモンイスの棺

                    
    


    ヴァスコ・ダ・ガマの棺
     


      ステンドグラス
           

   

     


     回廊。マヌエル様式の装飾。1辺が54mの回廊。すべて石でできている
            



    模様は当時の大航海時代に手に入れた胡椒(右の尖塔の部分の丸い粒)、ヤシなどが使われた
             



    修道士たちの食堂の壁面の絵            
             

      
    回路                         天球儀(航海に必需品)
                    



                 


  (4)ベレンの塔

       16世紀初めマヌエル1世の命で船の出入りを監視するための要塞として
    テージョ川と大西洋の境につくられた。
     マヌエル様式の優雅なテラスを持つこの塔を司馬遼太郎は「テージョ川の公子」
    と呼んだ


                  



              


(5)発見のモニュメント
   
  1960年エンリケ航海王子500回忌を記念して造られた


           

 
   足元には当時の世界地図と発見した年を記載      日本は1541年。これは豊後にポルトガル
 「+」はポルトガル。                 が漂着した年

             


    アフリカ喜望峰の発見
    



   東側からみた発見のモニュメント
   @先頭は、エンリケ航海王子、A番目アフォンソ5世、B番目ヴァスコ・ダ・ガマ
   D番目マゼラン、左の後ろから2番目膝まづいているのはフランシスコザビエル


              



  西側から見た発見のモニュメント
 @先頭はエンリケ航海王子、A番目はエンリケ航海王子の実弟
  後ろから5人目が詩人のカモンイス、後ろから2人目がエンリケ航海
  王子の母。

  

            

 

   ジャカランタの花が咲いていた。春と秋の2回咲くそうです。街路樹。
  ジャカランタはブラジルからもってきたそうです。

             


      


     18世紀の水道橋                宿泊したホテル
               



   (6)ファッドディナー 


      ファッドとは、社会の底辺にいる貧しい人たちが
      親しむ大衆的な音楽



   サン・ロケ教会の近くのファドレストラン街
             


     ファド歌手が歌う。会場は大変暗くなる。哀愁を帯びた歌
             



  明るいものが間にはいる。このときは照明も明るくなる
    


    ファドレストランの店の前
        




  

13.エヴォラ



  宿泊のホテルを出発
           



 4月25日橋を渡る。右はリスボン市内へ       テージョ川の河口にはベレンの塔
 の出勤の車

              


    コルク樫の木:10年に一度皮をはぎ        これが皮を剥いだ木
          コルクをとる

           


   コロク樫の森が続く
   


 (1)エヴォラの遺跡
   

    ディアナ神殿:2〜3世紀ローマ人によってつくられた。コリント様式の神殿
         月の女神ディアナに捧げられたものと推測
         

        


   ロイオス教会:15世紀に建造された教会
    


  カテドラル:12〜13世紀のロマネスクからゴシックの過渡期に建築された。
                



                                                天井画
            



                      
             



     1562年作成のパイプオルガン。1584年天正遣欧少年使節の伊東マンショと
   千々石ミゲルがこのパイプオルガンを弾いた

     

   司教の館:現在はエヴォラ美術館        バスコダガマの宮殿
         

    貴族の館
    



     10月5日通り(メインの通り)で土産物やも並ぶ
             


    鉄の手すりと白い壁とタイル(アラブ様式)がこの地方の特色
      


  ジラルド広場
            
     

   

     サン・フランシスコ教会:16世紀初頭に建築されたマヌエル様式の教会
               



                   



     



     人骨堂:5000体の人骨が壁、柱にぎっしりと埋め込まれている。
    修道士たちが瞑想場として作った。
    サン・フランシスコ教会内だが別料金。

            



  ロイオス教会の修道院がポサーダとして利用されている。
 本日の昼食はポサーダ。

              


  修道院時代の回廊がレストラン
                     
   

14.日本料理の夕食




  ツアーでご一緒の渡部様のご紹介で日本料理「彩」にご一緒させていただいた。
  「彩」は地球の歩き方にも紹介されている

             


   ポルトガルでいただくサラダ            米茄子の田楽
             


    メインはにぎり。                 「彩」のおかみ、渡部様ご夫妻と
               




 

15.ロカ岬



   ポルトガル最後の朝。ホテルの部屋
         


  東はシベリアから始まったユーラシア大陸の西の端がロカ岬
 ポルトガルの詩人はのカモンイスの一節

  
「ここに地果て、海始まる」
 
  が石碑で建てられている。


   ロカ岬の石碑。これが最西端
                


   ロカ岬灯台
       


    ユーラシア大陸最西端到達証明書
                   
  

     大西洋です。
            
 

    ロカ岬は寒村でお店もないため移動販売の露天市場が開催される
    





16.シントラ



   緑の木々にしっとり覆われたシントラ山脈。ところどころに見える豪奢な城館。
  イギリスの詩人バイロンは「この世のエデン」と称えた。


   王宮
    14世紀にジョアン1世
が建築。         二本の煙突は台所の煙の排煙塔
    王家の夏の離宮。
        

  白鳥の間。27羽の白鳥が天井に描かれている
      

  カササギの間                 壁面のアズレージョ
     
  

    


    
    アラブの間
     



   マヌエル王を中心に72のポルトガルの主な貴族の紋章が並んでいる(天井)
  ただしコエーリョ家の紋章はジョアン2世に対する陰謀が発覚して取り除かれた

   

   周りの壁面は狩猟の光景を描いたアズレージョで囲まれている
         


   台所
   


   マヌエル王の居間。ベネチアガラスで作ったシャンデリア
           


    王宮の前は高級別荘地              シントラの町
           



   シントラの駅。リスボンの中心ロシオ駅まで40分。
  駅はアラブ風のアズレージョ

   

  

17. ロシオ広場を中心にフリータイム



(1)昼食

    ロシオ広場からロシオ駅横の階段を上り、サン・ロケ教会をめざす
      



   途中のレストランで昼食
          


   複数の日本語を話す店員             サラダ:巨大な胡瓜
            


   スープ:ソーバ・デ・レグーメス(野菜スープ)    サルディーニャス・アサーダス
                           いわしの塩焼き。うろこも付いたまま焼く 

                

   デザート:パイナップルにアイスクリーム       ココナツの中にチョコレートとアイスクリーム
       がのっている。おいしい          
   
                  

    レストランの入り口:店の中で食べている人はいない
    


   (2)サン・ロケ教会


    サン・ロケ教会
   16世紀末にイタリア人建築家によって建築されたイタリア式バロック様式
    1584年の天正遣欧少年使節が1カ月ほど滞在したイエズス会の教会

    
            



                         


   祭壇:ミサの後だったので、祭壇の上部の真ん中は、左は扉が開いている。
     右は絵がかかっている。見学中に変わった。

          



      


  教会奥の左の小部屋               フランシスコザビエルの絵
                          ここは、イエズス会の活動の絵が飾られている

            



 (3)サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台


   グロリア線の終点が                テージョ川が見える
   サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台

            
    

                                               正面丘の上はサン・ジョルジェ城
            


   展望台で
            


   展望台からサン・ロケ教会への道は狭い
  そこをトラムも走るのだからたいへん

    


 (4)ロシオ広場

  ロシオ広場                    ロシオ広場の地面は海の波を連想させるデザイン
  初代ブラジルの国王となったドンペドロ4世の像
             
     

                                               リスボンの繁華街のため商店も並ぶ
            


  ドナ・マリア2世国立劇場
   



  (5)オウロ通り


    オウロ通り                      レストランが並ぶ
                


    オウロ通りを抜けるとコメルシオ広場、広場の先はテージョ川
   コメルシオ広場にはドン・ジョゼ1世像
 
 

                  



         
     

 (6)帰国の飛行機

   テージョ川に架かるもっとも長い橋 ヴァスコ・ダ・ガマ橋
  長さ 17.2Km(飛行機の中から)

      


         海外旅行記に戻る